Netflixのリミテッドシリーズ『エリック』は、ベネディクト・カンバーバッチが主演と製作を務めた全6話のサスペンス・ヒューマンドラマだ。
舞台は1980年代のニューヨーク。カンバーバッチが扮するのは、子供向けの人気テレビ番組のクリエイターで人形師のヴィンセントという人物。この男、才能豊かなことは誰もが認めるものの、その頑固で独善的な性格が周囲の者を常に疲弊させている。
或る日、彼の最愛の息子エドガーが行方不明になる。彼が妻と口論している間にエドガーはひとりで学校に向かい、その途中で行方が知れなくなったのだ。ヴィンセントは後悔にさいなまれ、息子が考案したエリックというキャラクターを人形にしようと決意する。エリックに命を吹き込めばエドガーは家に戻ると信じているのだ。しかしヴィンセントは、エリックを幻視するようになり、精神的にどんどん追い込まれていく…。
脚本を務めたのは、『SHAME -シェイム-』(2011)、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2012)、『未来を花束にして』(2015)などで知られる名脚本家アビ・モーガン。本作では少年の行方不明事件を発端とするスリリングな展開の中に様々なテーマを織り込んだ。
ヴィンセントの妻役のギャビー・ホフマンが素晴らしい演技をみせ、事件を担当する刑事にNetflixドラマ『オザークへようこそ』などのマッキンリー・ベルチャー3世が扮するなど個性的な俳優が脇を固めている。
ドラマシリーズ『エリック』(全6話)は、Netflixにて2024年5月30日より配信中。
目次
Netflixドラマ『エリック』作品情報
2024年/イギリス/全6話
脚本:アビ・モーガン 監督:ルーシー・フォーブス プロデューサー:ホリー・プリンガー 製作総指揮:ベネディクト・カンバーバッチ、ジェーン・フェザーストーン、ルーシー・ダイク 撮影:ベネディクト・スペンス 音楽:キーファス・チャンチャ 美術:アレックス・ホームズ 衣装:スザンヌ・ケイヴ
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、ギャビー・ホフマン、マッキンリー・ベルチャー3世、アイヴァン・モリス・ハウ、ロベルタ・コリンドレス、ダン・フォグラー、クラーク・ピータース、ジョン・ドーマン、フィービー・ニコルズ、ジェフ・ヘフナー、ホセ・ピメンタン
Netflixドラマ『エリック』あらすじ
1985年ニューヨーク。
ヴインセント・アンダーソンは、朝の子供向き番組『おはよう お日さま』を制作している才能豊かな人形師だ。
『おはよう お日さま』は70年代に一世を風靡した人気番組だが、最近、人気に陰りが見え、上からは改善を命じられている。最悪の場合、打ち切りになる可能性もある中、気難しいヴィンセントはすべての改正案に噛みつき、仲間をうんざりさせる。
こうした彼の態度は家に帰っても変わらず、妻のキャシーと喧嘩になることもしばしばだ。自分のことで頭がいっぱいのヴィンセントは息子のエドガーが考案したエリックというキャラクターの絵にも関心を示さない。
その夜も、キャシーと激しい口論となり、怒ったキャシーはグラスを投げつけた。その様子をエドガーはベッドの中で黙って聞いていた。しばらくして、キャシーがエドガーの部屋にやって来た。おびえている彼を慰め、精いっぱいの愛を伝えるキャシーだったが、その表情はひどく疲れていた。
翌朝、キャシーがエドガーを送ってちょうだいと何度訴えてもヴィンセントはキャシーに自説をぶつけ続けていた。
その間にエドガーはひとりで学校に出かけ、そのまま行方不明になる。ヴィンセントがそのことを知ったのは、仕事を終えて帰って来た夜のことだった。彼はキャシーから何度も電話があったことを伝えられていたにも関わらず、番組のことで頭が一杯で連絡していなかったのだ。
エドガーが行方不明になって48時間が過ぎ、警察は事件を公表し、ヴィンセントとキャシーは記者会見を行った。世間では治安の悪いニューヨークで子どもをひとりで登校させたことに対して両親を非難する声が上がっていた。
事件を担当するマイケル・ルドロイト刑事は、エドガーが自宅から学校に行くまでの間に、バーやクラブなどが密集した風紀の悪い場所を通ることに目をつけ、かつて犯罪の現場になったことがある「ラックス」という店に疑いの目を向ける。
ルドロイト刑事は、ラックスに密かに録音機を持って潜入する一方、エドガーのアパートからラックスまでの街の監視カメラを全て捜索するよう部下に命じる。
ヴィンセントは息子がエリックという青い毛むくじゃらのモンスターを考案していたことを今更ながらに知り、なぜきちんと見てやらなかったかと嘆き悲しんでいた。彼はこのエリックに命を吹き込めばエドガーは家に戻るのではないかと思い込むようになり、人形作りに奔走する。息子を探すために時間のある限り街頭でビラを配っているキャシーとは益々心がすれ違っていく。
そんな中、アパートの管理人のジョージ・ラヴェットに犯罪歴があることを突き止めたルドロイト刑事は、令状もないまま部屋に突入し、エドガーがいた形跡を発見して彼を逮捕する。
しかし、彼を犯人と断定する証拠はなく、また、ルドロイド刑事は彼と話をするうちに、彼が無実の罪で長い間投獄されていたことを知る。拘留期間が切れ、刑事はジョージを釈放する。
ルドロイド刑事はかつて担当し、未解決のままになっている黒人少年の失踪事件のことを思わずにはいられなかった。あちらは麻薬も絡んでおり、今回のエドガーの行方不明事件とは状況が違い過ぎるが、それでも幼い少年が立て続けに行方不明になっていることは事実だった。
キャシーは釈放されたジョージを訪ね、自分がひどい態度をとったことを謝罪した。そして、エドガーがいたという部屋を見せてほしいと頼んだ。エドガーは両親が喧嘩するとここに逃げ込んでいたのだ。壁には彼の絵がぎっしりと描かれていた。
ヴィンセントはエリックの制作に没頭していた。仲間たちの尽力で、エリックを番組に起用することも決定する。しかし、ヴィンセントの日常にもエリックが現れるようになり、エリックは辛辣な言葉をヴィンセントに次々とぶつけて来た。ヴィンセントの精神は益々不安定になって行く・・・。
Netflixドラマ『エリック』感想と解説
ベネディクト・カンバーバッチにとってエキセントリックな役柄を演じるのはお手の物だろう。だが、本作の主役であるヴィンセントは彼がこれまで演じてきた人物の中でもかなりの厄介者だ。
『セサミストリート』を思わせる子供番組『おはよう お日さま(Good Day Sunshine)』の共同プロデューサーで人形クリエイターの彼はだれもが認める天才だが、頑固で気難しく、周囲を振り回すタイプの人間だ。
番組の視聴率が落ちてきているため新しい工夫を求められているのだが、彼は改変案をすべて辛辣にこき下ろし、時代に合わせることを極端に嫌う。独善的で口が悪く、彼のいいところも知っているはずの番組の仲間たちもさすがにうんざりしている様子だ。
彼はしばしば「誰もが世界を変えようと考えるが、自分を変えようと考える者はいない」という格言(トルストイの言葉らしい)を口にするが、それは変化を嫌う彼の逆説的な表現方法なのだろうか。
彼の態度は家庭内でも同様で、キャビー・ホフマン扮する妻のキャシーには誰もが同情してしまうだろう。
そんなエキセントリックで自己中なヴィンセントの行動は8歳の息子エドガーが行方不明になる原因を作ってしまう。
彼は息子がいなくなって初めて自身のいたらなさに気が付き、猛烈に反省するのだが、エドガーが考案していたモンスターのキャラクターを制作して息を吹き込めば息子が帰ってくると信じて「エリック」という人形作りに没頭し始める。クリエイターとしてしか生きられない天才の悲しい姿ともいえるけれど、逆にこの状況で没頭できるものがあることは幸せなことなのかもしれない。
そんな中、ヴィンセントはエリックを幻視するようになり、傍から見ると彼は誰もいない方を向いて怒鳴ったり反論しており、明らかに尋常でない風に映る。どうやら、彼は子供のころにもこうした傾向がみられたようで、両親は彼を医療に委ねたらしきことが次第にわかってくる。
そこで浮上してくるのが父と息子の関係だ。ここで描かれているのは絶対的な権力を持つ強い父と、弱い立場の息子だ。父は自身の価値観に一切疑問を持たず、息子を傷つける。ヴィンセントは同じことを負のスパイラルで息子に強いているのである。
こんな調子で、ひとりの男性の内省が描かれていくのだが、一方で、行方不明事件を追う若き黒人刑事の姿を映画は追っている。
ルドロイト刑事を演じるのはNetflixドラマ『オザークへようこそ』などの作品で知られるマッキンリー・ベルチャー3世で、彼の誠実な仕事ぶりや、被害者家族に対する真摯な態度はヴィンセントとは真逆の印象をもたらすだろう。
彼はクイアで、年上の同性の恋人がいるのだが、それを公に出すことはできない。本作の時代背景は1980年代半ばのニューヨーク・マンハッタンで、当時は同性愛=HIV感染という偏見にあふれていた時代であった。そのような偏見やあからさまな人種差別にさらされるルドロイトの苦悩も本作の重要なテーマになっている。
ルドロイトは行方不明になった少年の足取りを探るのに、街のあらゆるカメラを集めるのだが、映像が納められているのがVHSテープで、それらを再生する操作風景はレトロな懐かしさを感じさせると同時に大変な作業であることが画面から伝わって来る。
ルドロイトの捜査は地味ではあるがディテクティブストーリーとして非常に面白く、もう一人の行方不明者の事件が絡む展開はミステリー、サスペンスとしても上質だ。
1980年代のマンハッタンの風景は、プロダクション・デザイナーのアレックス・ホームズによって見事に再現されている。
当時のニューヨークは、1970年代のどん底と言われた治安と社会状態から幾分か抜け出し、失業率も下がった一方、不動産価値が急騰し、富める者と貧しい者の二極化が進んだ時代だった。
本作では多くのホームレスが地下に潜って暮らしている姿が描かれている。地下都市ニューヨークという造詣がディストピア的な趣を醸し出していて興味深い。
ここでは市警も政治も腐敗している。人種差別、同性愛嫌悪、貧困問題など、多くのテーマが重なって表現されていることに驚かされるが、特に際立つのは賤民資本主義の蔓延だ。倫理も何もなく、ひたすら権力と金儲けにうつつを抜かす拝金主義的社会だ。ここで描かれた世界は言うまでもなく、今、現在の写し鏡であり、作品には大きな「怒り」が込められている。
アビ・モーガンは「人形」というアイテムに様々な思いを託している。「人形のどこがいいの?」と問われ「本音を代弁してくれる」という『おはよう お日さま』のスタッフの会話のように。
エリックは巨大な青い「モンスター」だが、本当のモンスターは誰か。本当のモンスターはベッドの下にはおらずどこにいるのか。そして自分こそがモンスターだと気づくことが出来る人間にはまだ救いがあることを本作は父子関係から描いている。
(文責)西川ちょり