売れないコメディアンのドニー・ダンが働いているパブに、ある日マーサという中年女性がやってくる。金がないといって泣き出しそうな彼女に同情したドニーは紅茶を無料で提供し、彼女を喜ばせる。その親切心がやがて彼の人生を大いに苦しめることになろうとは、まだこの時、彼は知る由もない・・・。
『私のトナカイちゃん』は、イギリス・スコットランドの作家でコメディアンであるリチャード・ガッドによる同名の一人芝居をNetflixの全7話のミニシリーズとしてドラマ化したものだ。
ガッドの実体験に基づいた作品で、ガッド自身がさえないコメディアン志望の主人公シドニー・ダンを演じ、ドニーに執拗につき纏う女性マーサ・スコットにジェシカ・ガニング、ドニーが出合い系サイトで知り合うトランス女性をナバ・マウがそれぞれ扮し、見事なアンサンブルを見せている。
2024 年 4 月 11 日にNetflixで配信が開始され、Netflix の「グローバル ウィークリー トップ 10 TV (英語)」 でトップになるなど、大きな注目を集めている作品だ。
目次
Netflixミニシリーズ『私のトナカイちゃん』作品情報
2024年/イギリス/全7話(27–45分)/原題:Baby Reindeer
製作総指揮:リチャード・ガッド 監督:ベロニカ・トフィウスカ、ジョセフィン・ボルネブッシュ 脚本:リチャード・ガッド 音楽:エフゲニ・ガルパーリン、サシャ・ガルパーリン
出演:リチャード・ガッド、ジェシカ・ガニング、ナヴァ・マウ、トム・グッドマン=ヒル、ニーナ・ソーサニャ
Netflixミニシリーズ『私のトナカイちゃん』あらすじ
売れないスタンドアップ・コメディアンのドニーは、元恋人の母親の好意で彼女の家に住まわせてもらいながら、生活費を稼ぐためにカムデンのパブでバーテンダーとして働いていた。
ある日、パブにひとりのふくよかな中年女性が入って来た。注文を尋ねると、彼女は金を持っていないから何もいらないとくたびれ果てた表情で応える。ドニーは気の毒になって紅茶を一杯奢ってやった。
女性は目を輝かせ、自分はマーサという名で売れっ子の弁護士だと自己紹介し、多くの有名人と知り合いだと饒舌に語り始めた。ドニーは話の矛盾に気が付きながらも、楽しそうに話す女性の言葉に耳を傾けた。マーサはドニーに "トナカイちゃん "というあだ名をつけた。
彼女はパブに毎日やって来て、そのたびに、ドニーは飲み物を無料で提供しなければならなかった。当初は自分を褒めてくれる彼女の言葉に心地良さを感じたが、次第にずうずうしくなっていく彼女にドニーはついに我慢できなくなり、代金を請求した。すると彼女は豹変し、暴力的になって、他の店員によって店を追い出された。
その後マーサはストーカーと化し、数年にわたりドニーを追いかけまわすこととなる。ドニーがマーサの名前をインターネットで検索すると、なんと彼女は、過去に別の人にストーカーした容疑で逮捕歴があった。
ドニーが夢を叶えるため挑んでいるスタンダップの決勝大会にもマーサは乗り込んで来た。一度目はマーサとの掛け合いがなぜか客に受けて、皮肉にもいつもより良い結果を生むことになったが、二度目はすっかりステージを台無しにされてしまう。
ドニーは警察にストーカー被害について相談しに行くが、何か特に危険なことがなければ警察は動けないと被害届を受理してもらえない。
もっともドニー自身、まだためらいがあり、マーサについて全てを訴えたわけではなかった。そんな中、彼は出会い系サイトでトランス女性のテリと知り合う。紆余曲折を経ながら、ドニーは本気で彼女を好きになる。そこに嫉妬に駆られたマーサーが現れ、テリを傷つけてしまう。
再びドニーは警察を訪ね、マーサに前科があることを訴えると、マーサは警察の監視の対象になることになるが・・・。実はドニーにも人に言えない過去のトラウマがあった。
Netflixミニシリーズ『私のトナカイちゃん』感想と解説
(完全ネタバレしております。作品をご覧になってからお読みください)
本作はスコットランドの作家でコメディアンであるリチャード・ガッドがエジンバラ・フリンジで初披露し、その後ウェストエンドでも好評を博した一人芝居をNetflixへと舞台を移し、全7話で映像化したものだ。
1話が30分前後で構成されているのでさくさくと観られそうだが、コメディアン志望のバーテンダーの男性ドニーが一人の中年女性に執着され追い回されるという内容はさすがにずしりと重い。なにしろマーサという女性はドニーが勤務するパブを出禁になってからも彼を追い回し、さらに全部で41,071通の電子メールと350時間に及ぶボイスメール、SNSへの数々のコメントや手紙などを数年に渡って送り続けるのだ。メールにはいつも最後に「iPhoneから送信」と記されているのだが、マーサはiPhoneを持っていないはず。それでも毎回、そのように記載され、おまけにスペルミスだらけの文面が画面に頻繁に映し出される。それが妙に観る者を居心地悪くさせる。
深刻なストーカー被害だが、それでも物語はコメディタッチで進行していく。とはいえ、ドニーがスタンダップを披露するコメディー・ショーでまったく観客に受けず、会場が冷え切ってしまうように、本作もなんとも笑うに笑えないダーク・コメディといった趣だ。
奇妙なことに、ドニーは警察に訴え出ても、マーサの前科を隠したり、具体的なことになると言い淀んだりする。
当初、マーサがドニーを称賛したり、好きだと言ってくれたりすることにどこか心地良さを感じていたことは、ナレーションを務めるドニー自身が告白している。マーサはやっかいな恐ろしいストーカーに豹変するが、朗らかで明るい一面には誰もが吸い込まれるような魅力があり、ジェシカ・ガニングがそのあたり、実に巧みに表現していて見事である。
これはもしかして、ストーカーとその被害者が、互いに誤解を解き合って恋仲になっていくラブコメなのだろうかなどとこの後の展開を考えてしまったくらいなのだが、当然、物語はそんなふうには進まない。かといって、映画『ミザリー』(1990)のようなホラー的展開へと発展していくわけでもない。『私のトナカイちゃん』は予想もしていなかった不穏な方向へと転がって行くのだ。
シリーズの中間点にあたるエピソード4は、過去のフラッシュバック回で、ドニーが背負ってしまったトラウマが明かされる。エピソードの最初に字幕で性的暴行シーンがあることの注意書きが出るが、被害者はドニ―なのである。
物語は5年前に遡る。コメディアンとして挑戦するため、エジンバラ・フリンジにやって来たドニーはそこで著名な脚本家のダリエンと出逢い、彼のアドバイスと援助によって、初めてショーが成功しコメディアンとして賞賛されるという経験をする。
ロンドンに戻ったダリエンから連絡があり、ふたりは一緒に脚本の仕事をすることになる。ダリエンはドニーには才能があると褒め、成功させると約束し彼を有頂天にさせ、やがて麻薬をすすめるようになる。ドニーは躊躇するが、断って彼の機嫌を損ねてはいけないと応じ、トリップしている間に性的虐待を受ける。
虐待されたあとも、名声を得るチャンスを失いたくないと思うあまり、すぐにその場を離れなかったことも彼の悔恨と自己嫌悪の原因の一つになっている。彼は大きなトラウマを背負い、当時つきあっていた恋人ともうまくいかなくなり、また自身のセクシュアリティに疎外感を覚え、男らしさの概念に囚われ、絶望し、後に告白しているように、「誰かを愛する以上に、自分を憎むことを愛してしまう」ようになる。
冒頭に「実話である」という字幕がでるように、本作はリチャード・ガッドの実際の体験が元になっている。上に立つ人間が、夢を持つ人の純粋さを利用して卑劣な行為を行うことへの勇気ある告発であると共に、虐待が如何に問題を引き起こすか、サバイバーがそのダメージを克服することが如何に苦しく困難を伴うことなのかが切実に綴られている。その苦境をリチャード・ガッドは魂を剥き出しにして演じている
このことによってマーサに対してドニーが当初とっていた態度の違和感の意味が判明する。自分を憎んでいるドニーにとって、マーサの真っ直ぐで素直な愛情表現は一種の癒しだったのだ。
彼がマーサが暮らす公営アパートまで彼女を尾行したのも、フェイスブックの友達申請を受け入れたのも理由は同じだ。そのせいで、事態はよりややこしいことになってしまったのだけれど。
そんな中、マーサのドニーに対する攻撃は悪化していき、マーサの両親にもメールが届くようになり、ドニーが知り合ったトランス女性にまで被害が及ぶ。さらに過激な脅迫メールを送って来たことでマーサはついに逮捕され、有罪判決を受ける。
ようやく、過激なストーカー行為から解放されたドニーだったが、彼はせっかく得たコメディアンのチャンスもふいにして、マーサから送られて来たメールやボイスメールを整理し、分析し始める。行為の説明がつかないところに彼の心の傷の深さ、戸惑いが見えて来る。
ラスト、彼は混乱の中、あるパブにたどり着く。ここで彼は、なぜ、マーサが自分を「トナカイちゃん」と呼んだのかを知ることになる。これまで聞いていなかったボイスメイルのファイルを開いてみたのだ。語られていたのは、孤独な子ども時代の話で、喧嘩の多い家で育った彼女はぬいぐるみの「トナカイ」を抱きしめて生きて来たという。人生で唯一のいい思い出であるトナカイの目も鼻もドニーとそっくりなのだと彼女は語る。ドニーはその言葉に衝撃を受ける。加害者とばかり考えていた彼女もまた被害者だったのだ。
注文したウォッカが提供された際、彼は財布を家に置いて来たことに気付く。すると、先ほどから彼の様子を見ていたバーテンダーは「かまわない、おごるよ」と言って、その場を離れ、ドニーは驚いたように顔を上げる。すぐにエンディングになってしまうので、彼の表情をじっくり見ることは不可能だったのだが、恐らく、彼は、自分がマーサに紅茶を奢った時に、マーサが何を感じたのかを今、初めて理解したのだ。
本作は心にずしりとのしかかってくるような強度な作品であり、作品を観終わったあともずっと心の中で波紋を広げ続けている。
(文責:西川ちょり)