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【Netflix配信】映画『マエストロ:その音楽と愛と』あらすじと解説 /アメリカを代表する作曲家&指揮者レナード・バーンスタインをブラッドリー・クーパーが監督・主演で描く

『マエストロ:その音楽と愛と』は、20世紀を代表する作曲家&指揮者であるレナード・バーンスタインの物語だ。大ヒットした『アリー/スター誕生』(2018)に続くブラッドリー・クーパーの長編映画監督第2作で、クーパーが主演も兼任している。

 

クーパーはバーンスタインの3人の子供たち、ジェイミー、ニーナ、アレクサンダーと数年間、緊密に協力し合い、作品を作り上げた。また、バーンスタインの妻で俳優のフェリシア・モンテアレグレをキャリー・マリガンが演じ、キャリア最高の演技を見せている。

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第80回(2023年)ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品作品。第81回 ゴールデングローブ賞(2024年)四部門ノミネート。

2023年12月より一部地域で劇場公開され、2023年12月20日よりNetflixにて配信中。

 

映画『マエストロ:その音楽と愛と』作品情報

(C)Netflix

2023年製作/129分/PG12/アメリカ映画/原題:Maestro/Netflix配信

監督:ブラッドリー・クーパー 製作;マーティン・スコセッシ、 ブラッドリー・クーパー、スティーブン・スピルバーグ、フレッド・バーナー、エイミー・ダーニング、クリスティ・マコスコ・クリーガー 製作総指揮:カーラ・ライジ、ジョシュ・シンガー、ボビー・ウィルヘルム、ウェストン・ミドルトン 脚本:ブラッドリー・クーパー、ジョシュ・シンガー 撮影:マシュー・リバティーク 美術;ケビン・トンプソン 衣装:マーク・ブリッジス 編集;ミシェル・テゾーロ 音楽:レナード・バーンスタイン 特殊メイク:カズ・ヒロ

出演:キャリー・マリガン、ブラッドリー・クーパー、マット・ボマー、マヤ・ホーク、サラ・シルバーマン、ジョシュ・ハミルトン、スコット・エリス、ギデオン・グリック

 

映画『マエストロ:その音楽と愛と』あらすじ

(C)Netflix

ニューヨーク・フィルの副指揮者を務めていた25歳のバーンスタインは、客演指揮者のブルーノ・ワルターが病に倒れたため、急遽、指揮者デビューを果たすこととなった。

 

リハーサルをする暇もなくぶっつけ本番で行われたステージは素晴らしい出来栄えで、バーンスタインは聴衆から熱狂的な歓迎を受ける。

 

そのころ彼はクラリネット奏者のデイヴィッド・オッペンハイムと恋愛関係にあったが、妹宅で行われたパーティーで、フェリシア・モンテアレグレと出会い、恋に落ちる。フェリシアは音楽の勉強をしていたが、女優志望だった。やがて彼女にもチャンスが訪れ、役者として成功の道を歩みだす。

バーンスタインはデイヴィッドにフェリシアを紹介する。デイヴィッドはふたりを眩しそうに眺め、フェリシアに「よろしく」と声をかけた。バーンスタインとデイヴィッドの恋はこうして終わった。

 

バーンスタインとフェリシアは四年の交際の後、結婚。3人の子宝に恵まれる。バーンスタインは指揮者として、また作曲家として多忙な日々を送り、名声を高めていく。

 

一家は幸せな日々を送っているように見えたがバーンスタインは有望な若い男性との噂が絶えなかった。ある日、フェリシアは、コンサート会場で夫が若い男の手を握るのを間近で目撃する。部屋に戻った彼女は夫の寝巻と枕と歯磨きを部屋から出してドアの前に置き、一人で就寝した。

 

感謝祭の日、パーティーが開かれている中、遅れて帰って来たバーンスタインは、フェリシアと口論になり、どちらもひかなかった。それは決定的な決裂となって終わる。

 

フェリシアは芝居の現場に復帰し、夫婦は離婚はしないまでもそれぞれの道を歩み始めた。しかしやがて、フェリシアはバーンスタインのこころの中には憎しみがないと気づき、彼に会いたいと思い始める…。

 

映画『マエストロ:その音楽と愛と』解説と感想

(C)Netflix

老年期に差し掛かったバーンスタインがピアノを弾き、カメラマンとインタビュアーたちが部屋の奥に陣取っているのが見える。演奏を終えたバーンスタインが亡き妻のことについて語り始める。時々、庭に彼女の姿が見えて、子どもたちに羨ましがられると。

このオープニングの後、映画はモノクロに移行し、画面のアスペクト比がタイトになる。真っ暗な画面の中央に四角い白い枠があり、一瞬なんだろうと観ていると、窓枠だと気づく。カーテンの端々から光が漏れているのだ。

 

電話で起こされたバーンスタインは、客演指揮者のブルーノ・ワルターが病気で出演できなくなったことを知らされる。副指揮者の彼は代わりに、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団で指揮をとることとなったのだ。

時は1943年。この時、バーンスタインは25歳。電話を切った彼がカーテンをはぎ取るように開けるとベッドには下着姿の男性の姿がある。喜びを爆発させたバーンスタインはすぐに廊下を歩いていて、その様子を俯瞰で撮っている。そこはもうカーネギホールだ。その二階の客席にやって来た彼を捉えていたカメラは今度はいきなりステージ上までやって来て、さらにまた彼のところに戻って行く。と、もう演奏当日に舞台裏で待機する彼の姿となり、舞台に出て行って演奏が始まる。

この一連のシチュエーションは疑似ワンカットという形でダイナミックに描かれている。演奏が始まったと思ったら、その音はそのまま流れているのに画面はもう既に終演後の舞台挨拶シーンになっており、そのパワフルでリズミカルでスピーディーな映画話法によって、若きバーンスタインの活力に満ちた姿が大胆に表現されている。

こうしたダイナミックな表現は物語の随所に現れ、彼が作曲した舞台『オン・ザ・タウン』のリハーサルの場面では、バーンスタインがいつの間にか水兵の一人となっていて、フェリシアとダンスナンバーに参加するという幻想的で愉快な展開が繰り広げられたりもする。

 

本作は20世紀の巨匠、アメリカの偉大な作曲家&指揮者であるレナード・バーンスタインの生涯を描いた作品だが、日本語タイトルの副題そのままに「音楽」と彼の妻であるフェリシアとの「愛」に焦点が当てられている。

 

バーンスタインはフェリシアと共にテレビの取材を受け、「指揮者であり作曲家であり様々な活動をされているが、あなたをなんと呼べばいいか」と尋ねられ、「音楽家」であると応えている。そして、演者であることと作り手の両方をしていると時々、混乱すると告白している。演者の外側を向いた生き方と、作り手の内に向かうそれとはまったく相反するものだからと。質問者はすぐに次の質問に移ってしまうが、彼のこの告白は、本作のキーワードとも呼べる重要なものだ。

 

彼は活気に満ちた陽気な音楽家だが、気難しく、ふさぎ込むような一面もある。さらにフェリシアを愛しながら、若い男性と付き合い続けていた。彼は様々な面で常に引き裂かれた人物なのである。「人が好き」という社交性も裏返せば孤独を恐れるが故なのだ。

本作は、こうしたバーンスタインの人物像を、フェリシアとの関係を通して描いていく。

 

映画は再び、カラーとなり、画面のアスペクト比も横長に戻る。時代は1970年代になっていて、子どもたちも成長している。フェリシアは若い男性との戯れをやめないバーンスタインに耐えられなくなっている。

固定の長回しで撮られた感謝祭での二人の口論は、リアルで残酷でいたたまれないものだが、窓の外をパレードの、スヌーピーの巨大な風船が通過していくことで途端にスペクタクルなシーンへ切り替わる。その様のなんと鮮やかなことか。

 

長い怒りの季節を過ごしたあと、フェリシアはバーンスタインの元に戻って来る。イギリスのイーリー大聖堂でグスタフ・マーラーの交響曲第2番ハ短調を指揮するバーンスタインを、ブラッドリー・クーパーが憑依したかのように熱狂的に演じている。

見事な演奏が終わったあと、カメラはオーケストラの方から移動してきてフェリシアの後ろ姿の一部を捉え、継いで、彼女の顔をクローズアップする。バーンスタインは観客への挨拶よりも何よりも先に彼女の方に一目散に向かい、二人は抱き合い和解する。マシュー・リバティークによる的確なカメラの動きが素晴らしい。

しかし、人生とはままならぬもの。それからまもなくフェリシアは病に倒れてしまう。キャリー・マリガンが、フェリシアという女性の「愛と犠牲」、「生と死」を、静謐ながら強度を秘めた演技で鮮やかに表現している。

本作はバーンスタインの音楽を贅沢に使いこなし、パワフルで快活な音楽家である彼の素顔に迫ったものだが、同時に彼の人生において特別な存在であった妻・フェリシアの肖像を描いた作品でもあるのだ。

 

ブラッドリー・クーパーは、指揮者であり作曲家であるバーンスタインに、役者であり、映画監督である自身の姿を重ねていたのかもしれない。彼はバーンスタインの複雑な内面を理解しようと努め、「音楽家」としての彼を徹底的に魅力的に快活に描いた。その仕上がりはまだ二作目だとは思えない円熟ぶりで、見事というしかない。

 

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