生涯に260本余の作品を撮ったマキノ雅弘。多くの傑作を生みだしたそのフィルモグラフィーの中でも、代表作として挙げられることの多い「次郎長三国志」シリーズ。
清水の次郎長、森の石松、追分三五郎に大政、桶屋の鬼吉など、個性たっぷりの次郎長一家が意地と度胸を懐に命がけのやくざ渡世をゆく笑いと涙の股旅時代劇だ。
第一作目の『次郎長三國志 次郎長賣出す』と、続く『次郎長三国志 次郎長初旅』は、1952年~1953年の年末・正月映画として封切られ、好評を得てシリーズ化され第九部まで制作された。
『次郎長三國志 次郎長賣出す』(1952年12月4日公開)
『次郎長三国志 次郎長初旅』 (1953年1月9日公開)
『次郎長三国志 第三部 次郎長と石松』 (1953年6月3日公開)
『次郎長三国志 第四部 勢揃い清水港』 (1953年6月23日公開)
『次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路』 (1953年11月3日公開)
『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』 (1953年12月15日公開)
『次郎長三国志 第七部 初祝い清水港』 (1954年1月3日公開)
『次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊』 (1954年6月8日公開)
『次郎長三国志 第九部 荒神山』 (1954年7月14日公開)
次郎長役には小堀明男が抜擢され、第一部『次郎長三國志 次郎長賣出す』で映画初主演を果たした。法印大五郎役に田中春男、石松役に森繁久彌、桶屋の鬼吉に田崎潤、江尻の大熊に澤村國太郎が扮するなど、豪華でにぎやかな顔ぶれが揃っている。
今回は大阪・シネ・ヌーヴォの「生誕百年 女優特集・第2弾〈宝塚歌劇出身の2大女優〉 越路吹雪と淡島千景」特集で上映された『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』を取り上げたい。
越路吹雪は本作で石松の幼馴染である小松村の七五郎の女、お園を演じている。人情に厚く信心深い上にたくましさと度胸も持っている粋な女性で、鮮やかな槍裁きにも注目だ。
目次
映画『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』作品情報
1953年製作/104分/日本(東宝)
監督:マキノ雅弘 構成:小国英雄 脚色:松浦健郎 原作:村上元三 製作:本木莊二郎 撮影:飯村正 美術:北猛夫、浜上兵衛 音楽:鈴木静一 録音:小沼渡 照明:西川鶴三
出演:小堀明男、河津清三郎、田崎潤、森健二、田中春男、石井一雄、森繫久彌、小泉博、緒方燐作、長門裕之、山本廉、越路吹雪、若山セツ子、広瀬嘉子、久慈あさみ、千葉信男、藤原釜足、英百合子
映画『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』あらすじと感想
このシリーズのタイトルバックは通常、出演者やスタッフの名前が出てくるだけのオーソドックスなものなのだが、この第六部では、第五部(『次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路』)での勘助らとの死闘の場面が再現されている。改めて見ると目つぶしのシーンなど執拗で残酷な臭いが漂っている。
この六部はシリーズの中でもとりわけ悲壮で暗く、初期のころの明朗さはほとんどない。これは次郎長一家の名声が大きくなるにつれ、これまでの子ども(不良少年)の寄り合いだったのが、大人になることを余儀なくされていく過程での試練を描いているといえるだろう。少年時代は終わったのだ。
もやっとした草むらに巡礼の親子の姿があり、父と息子だろうか、右手へとゆっくり進んで行く。その奥の道を股旅姿の一行が反対向きに歩いてくる。一行は立て札の前に止まり、盛んにみつめているがそのまま行ってしまう。そこで初めて地面にはらりと落ちた紙をカメラがとらえる。次郎長の人相書きだ。
股旅姿の一行は勿論、凶状旅の次郎長一家で一家は疲れ果て、沼のほとりで休憩をとる。そこで、石松の大演説が始まるのだが、気づけば、吃音だったはずの石松(森繁久彌)、片目を失ったのがきっかけなのか、吃音が治っているのである(といっても指摘されて意識すると戻ってしまうのだが)。石松の存在はみなを和ます清涼剤のようであり、これは第八部の『海道一の暴れん坊』で最高潮を迎えることになる。
お蝶(若山セツ子)の具合が悪く、一行はますます悲壮感を漂わせるようになる。そんな中、面倒を見てくれる親分がいて、歓待されるが、次郎長は夜はうなされ、お蝶は、その家の主人と女房の話を耳にして、長くいるわけにはいかないと翌朝早く家を出る。別の家がみつかってお世話になるが、画面はすぐに家を出ていく一行を映しだす。おたずねものになっている次郎長を世話してくれる家はそうはないのである。
お蝶の具合がますます悪くなる中、雨となり、お堂で雨宿りしていると、三五郎(小泉博)と石松は以前同じシチュエーションで出会い、次郎長親分に助けてもらった相撲取りのことを想い出し、かけあいにでかける。相撲取りはすでに廃業し、駆け出しの親分として売出し中という保下田の久六(千葉信男)は大いに喜び、次郎長一家を迎えることを承諾する。しかし、どうも様子がへんである。久六の家の周辺はあわただしく人が行ったり来たりしている。実は、彼は裏で役人と通じていて、懸賞金目当てに次郎長一家を売ろうとしているのだ。
久六は、役人と小芝居をうちながら次郎長一家を安心させ、着々と準備を整えていた。石松だけが、なんだかおかしい、とぶつぶつ言っている。そんな中、九六のうちに、石松の幼馴染、小松村の七五郎(山本廉)がやってきたことで、九六の企みがばれ、次郎長一家は、屋敷の者に、調子よく握り飯など作らせながら、脱出する。たくさんの御用提灯がやって来た時にはすでに跡形もない。
お蝶を戸板で運びながら、暗い森の中を黙々と歩く次郎長一家。七五郎がここまで来たらもう大丈夫と言い、草むらにうずくまる一行。裏切られた悔しさと責任感でいっぱいになっている石松と三五郎は、泣きながら、杯をおかえしいたしやすと親分に言う。次郎長とお蝶の気持がいたいほどわかる大政(河津清三郎)は、彼らを説得し思いとどまらせる。そんな中、おずおずとうちに来てくれと語る七五郎。
小松村の七五郎家では、七五郎の帰りが遅いと心配しているお園(越路吹雪)の様子が描写される。「起こしてくれなくていいんだよ」と鶏に語りかけ、夜一睡もできなかったとつぶやき、石切権現さんに神頼みをするのだが、この語りがユーモアたっぷりで、独特である。
長五郎が戻ってきて、最初は次郎長一家の世話を頼むといわれても断るお園だが、もう前まで来てるんだよと言われて、こんな格好でとあわてるシーンも細かな心理がよく描かれている。
客用に殺した鶏を法印(田中春男)が法要している。これは、第七部の河豚(ふぐ)でもそうだが、法印のお経自体はでたらめでふざけたものだが、性根のやさしい場面といえよう(それとも当時では当たり前のことだったのだろうか)。
このあと、桶屋の鬼吉(田崎潤)たちが、親元に行って金を作ってくるシーンへと続くが、鬼吉親子のやりとりは涙なくしては見られない。
そんな苦労をしてやっと集めてきた金だが、次郎長は堅気のものに迷惑をかけた金など受け取れないと言う。そんなところへ、お仲さん(久慈あさみ)が随分探したんだよとやってきて、博打で稼いだという金を差し出す。「俺たちゃ馬鹿正直だったんだ。お前の金もこれに混ぜて親分に渡せ」という大政。金の問題はこれで解決するが、お仲さんがお蝶を見舞うと、お蝶の眼がみえなくなっている。お蝶は、子分たちをひとり、ひとり呼び、子分達は泣き崩れる。お園は駆け出し、石切権現の周りを何度も何度も回って神頼みを続ける。しかし次の場面ではお蝶を埋葬している次郎長たちの姿になっている。少し離れた位置からローアングル・ワンショットで撮っている。
朝になり、お園は家の前にうずくまっている一人の若い男に気付く。久六たちがここにやってくることを聞いたので助太刀するという男は、長門裕之扮する島の喜代蔵で、そんなこんなするうちに、久六一味が到着。お園も槍を振り回し、男たちに一歩も引かない。次郎長一家も飛び出て来て、切り合いとなるが、こうしたチャンバラ劇はいつも最後まで描かれることなく大胆に省略される。
清水へ戻る一行が橋を渡っている姿を映して「終」。
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