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映画『[窓] MADO』あらすじと感想/同じ集合住宅に住む2つの家族で争われた実際の裁判を基に相互理解の道を模索する社会派ドラマ

⻄村まさ彦 主演の映画『[窓] MADO』が、2023 年12⽉2⽇(土)より第七芸術劇場、2024年に元町映画館にて上映される(上映日が決まり次第追記します)。12月2日(土)、12月3日(日)には、西村まさ彦、大島葉子、麻王監督の舞台挨拶が予定されている(詳しくは劇場HPにてご確認ください)。

 

本作は、化学物質過敏症の原因を巡り、同じ集合住宅に住む2つの家族で争われた裁判を基に、現代社会の問題に深く切り込む人間ドラマだ。

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「横浜・副流煙裁判」と呼ばれたこの実在の裁判は、やがて⽇本におけるタバコ裁判において⼤きな問題として社会的に取り上げられるようになる。本作は、その過程で裁判資料として公に提出された 原告側の”A 家A 夫の記した4 年に渡る⽇記” からヒントを得て制作された、事実を基にしたフィクション映画だ。

 

本作で長編映画監督デビューを果たした麻王は被告であるB家の息子である。麻王監督はこの対立する二つの家族をどのような視点で描いたのだろうか。  

 

映画『[窓] MADO』作品情報

©️2022 towaie LLC

2022年製作/82分/日本映画

監督・脚本:麻王 製作・プロデューサー:藤村政樹 撮影:平野哲朗 照明:高橋朋裕 録音:菊池秀人 美術:内藤愛 衣装:五月桃 ヘアメイク:髙千沙都 音響効果:滝野ますみ 整音:菊池秀人 編集:藤村政樹 コンポジット:林剛志 カラリスト:亀井俊貴 音楽:板倉文 Ma*To 主題歌:小川美潮 制作担当:東海林純 撮影コーディネート:佐藤可居 キャスティング:ヤマウチトモカズ、佐野良太 ラインプロデューサー:真山俊作 タイトル・アートディレクション:高木公美子、HIGUNZ スチール:中村理生

出演:西村まさ彦、大島葉子、二宮芽生、慈五郎、MEGUMIモロ師岡  

 

映画『[窓] MADO』あらすじ

©️2022 towaie LLC

とある団地で起きた、タバコによる受動喫煙問題を巡り、4500 万円の損害賠償を求めた裁判が⾏われた。

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郊外のすずめ野団地に静かに暮らす、江井家。江井家は、英夫、英⼦、そして1⼈娘の英美の3⼈家族である。娘の英美は2016年2⽉から、階下に住む家族”備井”の部屋からくるタバコの煙害に苦しめられ体調を崩すようになっていた。

 

備井家の家族構成は、美井夫、美井⼦、そして⻑⼥の美井美。江井家と同じく3⼈家族だ。

 

英美は、歌を歌うことが好きでよくベランダで歌っているのだが、タバコの煙害によってベランダに出ることが出来なくなり、歌を歌えなくなってしまう。

 

英美の体調は⽇に⽇に悪化していき、見かねた英夫と英子は備井家と話し合いを持つが平行線に終わってしまう。江井家は引っ越しも考え、不動産屋を訪ねるが、年金生活者には物件を紹介できないと追い返されてしまう。

 

英夫は、トラブルを克明に記録するために⽇記をつけ始め、なんとかこの問題に対して対処しようと奮闘する。

 

そんな中、英夫は娘が「化学物質過敏症」の疑いがあるということを知り、英美が備井家からの煙草のせいで「化学物質過敏症」を発症したとして、遂に医師から診断書を発⾏して貰う。

これを機に、英家と備井家の裁判闘争が本格的に始まるのであった。  

 

映画『[窓] MADO』解説と感想

©️2022 towaie LLC

映画『[窓] MADO』は、同じ集合住宅の上階と下階に住む2つの家族の間で、化学物質過敏症発症の原因を巡って争われた「横浜・副流煙裁判」と呼ばれた実話を基にフィクションとして製作された作品だ。

 

郊外の団地で暮らす江井さん一家は3人暮らし。2016年2月頃から、江井さん一家は階下に住む備井さん一家のアパートからのたばこの煙による公害に悩まされていた。二家族は団地の責任者に同席してもらい話し合いを行うが、備井家の言い分は、美井夫が煙草を吸うのは事実だが、1日に1、2本だけで、音楽家である彼は防音設備のある部屋で吸っており、それが階上にあがっていくとは思えないというもの。他の家族はそもそも煙草を吸わないという。

 

しかし、江井家の娘の症状は悪化する一方で、母と共に「化学物質過敏症」の診断を受ける。ホテルに避難した際はこのような症状は出なかったため、今住んでいる部屋に問題があり、備井家から上がって来る煙草が原因としか考えられないという結論に至った江井家は医師の診断書を受け取り、裁判を起こす。

 

そうした過程を本作は江井家を中心にして描いていくが、それらは裁判資料として公に提出された ”A 家A 夫の記した4 年に渡る⽇記”が元になっている。

脚本・監督を務めた麻王が被告側のB家の息子であることを考えれば、本作が相手の立場を理解しようという姿勢で作られていることが判る。

英夫に扮する西村まさ彦をはじめ役者の好演も相まって、画面からは江井家の人々の苦しみと悲しみがひしひしと伝わって来る。

 

人間は感情の生き物であるから、一たび、捻じれてしまった関係をもとに戻すのは至難の業だし、冷静な判断など出来ず、芽生えた相手への不信感は増すばかりだろう。そうした中で、あえて、相手の立場に立とうとすることが、相互理解の道を開くという意志の元に本作が作られていることに正直驚かされた。

 

感情的になってこじれた関係を一旦引いてフラットに見つめて観ると、そこには現代社会が抱えた問題点が浮かび上がって来る。

江井家が引っ越しを考えた際、年金生活者ということで不動産屋から相手にしてもらえなかったことが描かれているが、救済の道は全くないのか。訴訟を勧める医師や弁護士に問題はなかったのか。そもそも他に相談できる窓口はなかったのだろうか、あったとしてもそこにたどり着けない人々はどうすればよいのか等々、社会の基盤に対する多数の疑問点が見えて来るのだ。

 

「煙草」に関しては吸う人と吸わない人で考え方が決定的に違うという点が分断を深めたと考えられるが、煙草に限らずこうした対立は誰にでもどこでも起こりうるものだろう。  

 

王監督は「⽇記を読み終えたとき、[窓] というキーになるモチーフが頭の中で浮かんだ」と語り、続いて以下のようにコメントしている。

 

ふと窓辺から覗き込んだ時に視える世界が、⾃分の主観である。

この映画を観ることで、A 家・B 家⾃⾝が客観として⾒つめることができるかもしれない。A 家・B 家に共感することができるかもしれない。その断絶は少しでも埋められるかもしれない。

 

社会の分断が顕著になった不寛容な時代、世界中で争いが絶えないこの時代に、そうした視点を持つことが出来たなら、と深く考えさせられる。

 

また、本作は舞台となる団地が美しい映像で捉えられている。時に集合住宅は近隣トラブルが起こる代表のような負のイメージを背負わされたり、画一的で個性のないものとしてとらえられることもあるが、画面に映っている団地のベランダの風景はそれぞれが個性的で、布団が干されている様子もカラフルで温かみを感じさせる。

 

大勢の人々が互いに思いやりを持ちながら共生できる場所の象徴として、あるいはそうなることを願って団地が描かれている証拠だろう。