自らノンバイナリーを公言するフランスのローラ・キボロン監督が、アンドロセントリズム(男性中心主義)のコミュニティに身を置き、犯罪に手を染めていく女性ライダーの姿を描いた映画『Rodeo ロデオ』。
2022年・第57回カンヌ国際映画祭ではある視点部門で審査員たちから大きな支持を受け、本作のために特別に設けられた「クー・ド・クール・デュ・ジュリー(「審査員の心を射抜いた」の意)賞を受賞。
キヴォロン監督のパートナーで本作にも重要な役割で出演しているアントニア・ビュレジが共同脚本を担当し、キヴォロン監督がインスタグラムで発見したという新人女優のジュリー・ルドリューが主演を務め、圧倒的な存在感を示している。
目次
映画『Rodeo ロデオ』作品情報
2022年製作/105分/G/フランス/原題:Rodeo
監督:ローラ・キボロン 製作:シャルル・ジリベール 脚本
ローラ・キボロン 、アントニア・ブルジ 撮影:ラファエル・ベンデンブスッシュ 美術:ガブリエル・デジャン 衣装:ラシェール・ラウルト 編集:ラファエル・トレス・カルデロン 音楽:ケルメン・デュラン
出演:ジュリー・ルドリュー、ヤニス・ラフキ、アントニア・ブレジ、コーディ・シュローダー、ルイ・ソットン、ジュニア・コレイア、アハメッド・ハムデイ、タブ・ンサマン、ムスタフ・ディアンカ、モハメド・ベッタアール、クリス・マコディ、ジャンニ・カイラ、クェンティン・アリジ、ブリス・ストラエイリ、セバスティアン・シュローダー
映画『Rodeo ロデオ』あらすじ
バイクに跨るためにこの世に生を受けたと豪語するジュリアは、ある夏の日、バイクを盗まれてしまう。
彼女はすぐに、個人取引サイトにバイクを出品していた男性からバイクを騙し取り、ご機嫌で道路に飛び出した。
そこで彼女は男性バイカー集団のB-Moresに遭遇。彼らはアクロバティックにバイクを操り、公道を爆走していた。
その中に混じってジュリアが走っていると、「女は邪魔だ!」と罵声が飛んできた。ここでは女性は男性のバイクの後ろに乗るか、脇で観ている者しかいない。
そんな中、アブラというバイカーが暴言をはいた仲間をたしなめ、彼女にアクロバティックな乗り方の手ほどきをしてくれた。彼に学んだ通り、練習をしていたジュリアの耳に飛び込んできたのは「警察だ!」という叫び声だった。
彼らが撤収しようとする中で、アブラと別の男が転倒して大きなケガを負う。ジュリアは怪我の状態を冷静に判断して、指示を出そうとするが、バイカーのひとりは彼女に指図されることをひどく嫌がってそのまま立ち去ってしまう。
その時、ジュリアにガソリンを分けてくれたカイエスが「車(トラック)に乗れ!」と声をかけて来た。彼が声をかけてくれなければジュリアは警察に逮捕されていたかもしれない。
B-Moresのガレージに到着してまもなく、仲間のアブラが亡くなったという報せが届く。悲痛な表情の仲間たち。彼らはアブラの写真を飾って、追悼式を行った。
行き場のないジュリアはB-Moresの裏の仕事に協力することで、ガレージでの寝泊まりを許されることになる。
B-Moresはドミノというボスの支持のもと、バイクを盗み、ナンバーを貼り替え、塗装し直し、それを市場に出すということを繰り返す窃盗集団でもあった。ドミノは収監されていたが、刑務所から指令を出し、皆を支配していた。
指示に従ってバイクを騙し取るのはジュリアにとっては難しいことではなかった。ジュリアは名前を尋ねるドミノに対して「Unknown」と名乗った。
ジュリアが戦力になるということで、メンバーたちも態度を改めるが、数名はジュリアに対して相変わらず嫌悪感をむき出しにしていた。
そんな中、B-Moresは大規模な窃盗の仕事の準備をしていた。その危険を伴う仕事はジュリアが提案したものだった。
映画『Rodeo ロデオ』の感想・評価
【参考動画】映画『アテナ』
Netflixで独占配信されているロマン・ガブラス監督の映画『アテナ』(2022)は、パリ郊外のスラム地区での若者の抗議による暴動を描いた作品だが、冒頭、武装して警察署を襲い車両を強奪した若者たちが彼らの住処であるスラム地区へと向かう様を圧巻の11分間長回しで描いている。その際、車両の横をびゅんびゅん仲間のバイクが飛ばしていくのだが、そこで何人かバイクをアクロバティックに乗りこなす連中がいて、その存在が、このシーンをよりエキサイティングなものに押し上げていた。
映画『Rodeo ロデオ』のヒロイン、ジュリア(ジュリー・ルドリュー)が出会うのも、モーターバイクをアクロバティックに操る同様の男性たちだ。
『Rodeo ロデオ』は、『アテナ』や、ロマン・ガブラス監督の朋友ラジ・リ監督の『レ・ミゼラブル』(2019)といったパリ郊外の移民が多く集まる団地を舞台にした硬派な作品の延長線上にあるといえるが、映画の冒頭、ジュリアが団地内で怒りを爆発させ、追ってくる家族や隣人からスルリと身をかわし、敷地内から出て行くシーンが描かれている。ジュリアに極度に接近した手持ちのカメラが激しく揺れ、彼女の怒りを伝えて来るが、彼女にとって最早この団地は居場所ではなく、出て行かなくてはならない場所なのだ。
そういう意味では本作はセリーヌ・シアマの『ガールフッド』(2014)の16歳のヒロインが「自分がなりたいものになる」ために、将来の夢を描くことすらできない団地での暮らしから脱出する状況と重なるだろう。
しかしジュリアが出会ったアクロバティックな集団は、男性中心社会という点で、団地での生活とほぼ変わりがないと言える。
生まれつきのライダーだと豪語するジュリアは、彼らと共に走りたいだけなのだが、ここでは女性はバイクの後ろに乗せてもらうか、道端で見守るしか許されていないのだ。
ジュリア自身が自らを女性であると意識していなくても、女性というだけで彼らは彼女を敵視する。まともに話せるのは警察から逃れる際、ジュリアをトラックに乗せてくれたカイアスだけだ。
行く宛のないジュリアはガレージに住まわせてもらうために犯罪に手を染めていく。といってもバイクを盗むことはジュリアにとって日常的なもので、皮肉にもそちらの方面で彼女はこの集団の中で頭角を表していく。
映画の後半はすっかり窃盗集団の犯罪ものへと突入していき、前半に見られたアクロバティックに道路を突っ走るバイカーたちの姿が封印されてしまうのはかなり残念なのだが、汗とガソリンと血に塗れたジュリアのアンチ・ヒロインぶりはジュリー・ルドリューの不敵な面構えも相まって強烈なインパクトを残す。
また、バイカー役にプロフェッショナルな俳優ではない若いライダーを多数起用しているのも実に効果的だ。
物語が進むにつれ、この集団は、今は刑務所に収監されている年長のリーダー、ドミノに絶対服従を誓わされていることがわかってくる。
ドミノは、妻・オフェリー(アントニア・ブレシ)も精神的に支配しており、彼女は幼い娘、キリアンを抱えながら家の中に閉じこもったままだ。彼女がどこかに行こうものなら、夫は必ずどこからかその情報を掴み、彼女にプレッシャーをかけてくるのだ。
ジュリアは彼女の買い出し係となり、二人の間には次第に信頼感が生まれてくる。ある日、彼女はふたりを外に連れ出しバイクに乗せ、3人乗りで風を切って突っ走る。この出来事もまたドミノの耳に入り、オフェリーはジュリアを避けようとするのだが、ジュリアが行った行為は囚われの彼女たちの生活に風穴を明けるひとつの伏線となる。
最後の大きな犯罪においてもジュリアが試みたことは、閉塞感に満ちた日常に穴を明けることに近かったのではないか。彼女はいわばこの閉じられたサークルにおける解放者なのだ。
その顛末は実にシビアなものだが、フレンチ・ノワールものの「滅びの美学」の伝統を継承しつつ、ローラ・キボロン監督は、犠牲者を鎮魂するかのような静謐でスピリチュアルな映像を展開してみせる。路上で散るものに対する最大限の敬意が表されている。
(文責:西川ちょり)