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映画『ピストルライターの撃ち方』あらすじ・感想/2度目の原発事故が起こった地方を舞台に閉塞感の中でもがく人々を描く

映画『ピストルライターの撃ち方』は2023年6月17日より渋谷ユーロスペース他にて全国順次公開!


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映画『ピストルライターの撃ち方』は、遠くない未来に、再び原発事故が起こったある地方を舞台に、社会の底辺でもがきながら生きる人々の姿をオール宮城県ロケで描いた骨太の作品だ。

 

監督・脚本を務めたのは、東芸大大学院映像研究科修了作品『しんしんしん』(2011年)や、若手映画作家育成プロジェクト(ndjc)2018参加作品『サヨナラ家族』(2019年)の眞田康平。長年温めてきた企画をカタチにした待望の長編第二作だ。

 

ヤクザの下で立入禁止区域の除染作業員をタコ部屋まで運ぶバンの運転手をしているチンピラの達也を演じるのは、劇団「狼少年」を主宰し、映画『OLD DAYS』(2019)、『賑やか Neon City』(2017)などの作品で知られる奥津裕也

達也の親友で刑務所を出て来たばかりの親友・諒を『あなたにふさわしい』(2018)などの中村有、出稼ぎ風俗嬢のマリを黒須杏樹が演じている。 

 

目次

映画『ピストルライターの撃ち方』作品情報

(C)映画「ピストルライターの撃ち方」製作委員会

2022年制作/日本映画/シネスコ/カラー/ステレオ/118分  R-15+

監督・脚本:眞田康平 プロデューサー:奥村康 撮影:松井宏樹 録音:高橋玄 音楽:長嶌寛幸 美術:飯森則裕 助監督:登り山智志 ヘアメイク:香理 制作:宮後真美

出演:奥津裕也、中村有、黒須杏樹

杉本凌士、小林リュージュ、曽我部洋士、柳谷一成、三原哲郎、木村龍、米本学仁

映画『ピストルライターの撃ち方』のあらすじ

(C)映画「ピストルライターの撃ち方」製作委員会

遠くない未来。ある地方で再び原発事故が起こった。しかしその隣町では一見変化のない生活が続いている。

ピストル型のライターで煙草に火をつけるチンピラの達也は、ヤクザの下で立入禁止区域の除染作業員をタコ部屋まで運ぶバンの運転手をしている。そんな彼の下に、刑務所から出て来たばかりの親友の諒と出稼ぎ風俗嬢のマリが転がり込んできて、行き場の無い3人の共同生活が始まる―。  

 

映画『ピストルライターの撃ち方』感想・レビュー

(C)映画「ピストルライターの撃ち方」製作委員会

冒頭、奥津裕也扮する主人公・達也が運転する車のカーラジオから二度目の原発事故について語る声が流れてくる。町長か、知事か、はたまた総理大臣か、そうした誰かの呼びかけのようだ。「わが国には福島の事故から復興を押し進めて来た経験と力がある」と鼓舞し、人々の「絆」を訴えるという内容だ。

 

ただ威勢が良いだけで、具体的な対策も何もないところがいかにもこの国らしい。福島から何も学んでいない。と、ついそんな怒りを覚えてしまうほど、第二の原発事故という設定は、さりげなく提示されるにも関わらず強い臨場感に満ちている。尤も、ラジオが聞こえているはずの達也は何の関心も示さないのだが。

 

映画『ピストルライターの撃ち方』はこうした背景をもとに進んで行く。一見、人々は何事もなかったかのように暮らしているようだが、心は荒廃し、殺伐としていることが、画面の随所に立ち現れている。

 

達也が関わるヤクザたちのようにドライで割り切った連中はともかくとして、達也の同窓生の集まりで交わされる発言の刺々しさはそれらを如実に表しているだろう。

 

それは必ずしも原発事故によってもたらされたものとは断定できず、それ以前からくすぶっていたものが、事故によってさらに膨れ上がったと言えるのかもしれない。

 

ともあれ、この状況において、出ていける人は皆、すでに出て行ってしまっており、残っているのは、出て行くこともままならぬ取り残された人々ばかりだ。

 

行き場のない達也のような地元の人々(彼には認知症の母がいて動きに動けない)のほかにも、様々な事情でわざわざこの地に流れて来た人々がいる。借金を抱え、立入禁止区域の除染作業員として働かされる人たちだ。

 

達也は彼らを蔑むことで、自己を保ち、自分よりも弱い者を食いものにしてのし上がっていこうと考えている。しかし出稼ぎ風俗嬢のマリは「人間に上も下もない」と達也を一喝する。

マリを演じる黒瀬杏樹の威勢の良さがいい。マリだって決して褒められた生き方をしているわけではないが、彼女にはどこか芯の通った凛としたものが見受けられる。そんなマリと関わることで、達也の優しさが少しずつ見えて来るのだが、達也もマリも真っ当な心の持ち主であるがゆえに、この世界で生きることに不向きにさえ見えて来る。

頼りなげに見えた中村有扮する諒が次第に見せ始める得体の知れない凄みのようなものも、除染作業員のいつまでも自分がおかれた状況を呑み込めずにいる様子も、上の命令に忠実に従う小林リュージュ扮する部下の憎々しい態度も、それぞれが実に人間臭い。監督は、原発マネーに群がる人々の閉塞感たっぷりの生きざまを時に突き放すように、時に包み込むように描いている。  

 

タイトルの「ピストルライター」だが、達也は本物の拳銃に見えるライターを常に持ち歩いている。それは主に人を驚かせ楽しませる「遊戯」的な役割を果たす。映画の中盤、マリは「銃」を達也に向け「バーン」と声を出して撃ち、達也は転げまわって絶命してみせるシーンがある。

それはゴダールの『はなればなれに』の序盤に唐突に行われる”ビリー・ザ・キッド&パット・ギャレットごっこ”や、是枝裕和監督の『そして父になる』で子どもたちとリリー・フランキー福山雅治の間で行われる「シューティングトイ」での遊び=身振りといったものを思い出させる。

だが、本作のピストルライターには上記の作品には伺えなかったどこかそこはかとない切実さが溢れているように思えるのだ。

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