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【解説】映画『落下の解剖学』(Anatomy of a Fall)あらすじと評価・考察/ジュスティーヌ・トリエ監督が法廷劇の中で真に描きたかったものを読み解く

第76回(2023年)カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞し、第96回(2024年)アカデミー賞では5部門にノミネート、さらに2024年度セザール賞で作品、監督、脚本、編集、主演女優、助演男優の6部門を受賞するなど本年度最大の注目作と話題のフランス映画『落下の解剖学』

 

グルノーブル郊外の人里離れた山荘から転落した夫の死体を、11歳の視覚障害をもつ息子が発見。当時、山荘にいた妻に容疑がかかり、事件は法廷に持ち込まれるが、そこで露にされたものとは⁉

 

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監督を務めたのは、『ヴィクトリア』(2016)、『愛欲のセラピー』(2019)で知られるジュスティーヌ・トリエ。『愛欲のセラピー』に出演したドイツ出身のザンドラ・ヒュラーが妻役を演じ、『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』(2019)のスワン・アルローが、弁護士を演じている。

また、本作に登場するボーダーコリーの愛犬「スヌープ」は、カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる(非公式な)賞「パルム・ドッグ賞」を受賞している。その名演もお楽しみあれ。

 

 

目次

映画『落下の解剖学』作品情報

(C)LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

2023年製作/152分/フランス映画/原題:Anatomie d'une chute(英題:Anatomy of a Fall)

監督:ジュスティーヌ・トリエ 脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ 撮影:シモン・ボーフィス 編集:ロラン・セネシャル プロダクション・デザイン:エマニュエル・デュプレ 衣装:イザベル・パネッティエ 音楽監修:ティボー・ドゥボアヌ

出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ、サミュエル・タイス

 

映画『落下の解剖学』あらすじ

(C)LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

グルノーブルの山荘で夫のサミュエルと息子と暮らすサンドラのもとに、インタビューをさせてほしいとひとりの学生が訪ねて来た。サンドラが彼女の質問に答えていると、突然、屋根裏のサミュエルの部屋から50セントの『P. I. M. P. 』のカバー曲が大音量で鳴り響き、インタビューを中止せざるを得なくなる。

学生が帰るとすぐに息子のダニエルが盲導犬のスヌープと共に散歩に出かけた。ダニエルは視覚に障害があるのだ。散歩から帰って来るとスヌープがいきなり走り始め、ダニエルを驚かせる。そんなことは滅多にないことだったからだ。ダニエルは父が雪の中に倒れているのに気が付き、母を大声で呼ぶ。

 

サンドラは血を流して倒れているサミュエルの姿を見て、あわてて医者を呼ぶが、夫は既に息をしていなかった。

 

サミュエルは屋根裏部屋の窓から転落死したのだが、それが事故なのか、自殺なのか、はたまた何者かによる他殺なのか判然としなかった。司法解剖に寄れば、死因は、頭の損傷で、落下中に物置の屋根に頭をぶつけたか、何者かに殴られた傷なのか、どちらかは判断できないという。

 

転落時、サミュエル以外に家にいたのは、サンドラだけで、必然的にサンドラに対して、疑惑の目が向けられる。学生が帰ったあと、彼女は二階の彼女の部屋に戻り、昼寝をしていたという。

 

一年後、彼女は起訴され、裁判が始まった。そこで明らかにされたのは、サンドラの家族が抱えた複雑な事情の数々だった。

 

ダニエルが視覚障害を負ったのは、彼らがロンドンで暮らしていた際、学校に息子を迎えに行く予定だったサミュエルが小説の執筆に追われ、シッターに代わりを頼んだ結果だった。自分があの時、ちゃんと迎えに行けば、ダニエルは交通事故に遭うこともなく、視覚障害になることもなかった―。サミュエルは後悔の念に襲われ、抗うつ剤を飲むようになったという。

 

また、ダニエルの治療に膨大な費用がかかり家計を圧迫。サミュエルは自分の故郷であるグルノーブルの家をコテージとして改装することを思いつき、一家は移住。サミュエルは小説の執筆を辞め、教師に専念しながら、改装に手をつけていたが、うまくいっていなかったという。

 

一方で、サンドラは成功した作家で、自身や家族の体験をもとにした小説を何冊も発表していた。検察側は事故のことでサミュエルを恨んだかとサンドラに質問する。何日かは恨んだが、夫の様子がおかしくなり、恨むことは辞めたと応えるサンドラ。

 

事件当日、あなたは昼寝をしていたというが、爆音の中で眠ることが出来たのかと問われ、サンドラは、このようなことは頻繁にあったのですっかり慣れてしまい、耳栓をすれば眠れるのだと応えた。

 

サンドラはドイツ出身でフランス語はあまり得意ではなく、家族間では英語でコミュニケーションをとっていた。しかし、法廷ではフランス語を話すことを勧められ、なかなかうまく言葉を伝えられないことに苛立ちを感じていた。しかし、イメージが大切だと弁護士から言われていたので、それを悟られないように努めなくてはならなかった。

 

そんな中、サンドラに内緒にしてサミュエルが録音していた二人の口論が、証拠として法廷で公開された。USBメモリに残されていた口論は激しいもので、終盤はサンドラの怒りが爆発し、彼女は夫を激しくこきおろしていた。最後にはガラスの割れる音や人を叩く音などが聞こえて来た。

 

音声から、サンドラが浮気をしたこと、彼女がバイセクシュアルであることも判明する。

 

サミュエルはなぜ録音していたのか、彼もサンドラのスタイルを真似て、これらを題材に小説を書こうとしていたのか。それなら、彼がサンドラの怒りをわざと誘発したとも考えられるではないか。

 

有罪か、無罪か、決め手がないまま、審理は混沌としていく。そんな中、一度証言を終えたダニエルがもう一度証言したいと申し出る・・・。  

 

映画『落下の解剖学』解説と評価

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グルノーブル近郊の人里離れた山荘で夫が転落死する。事故なのか?それとも自殺か? あるいは何者かによる殺人か?

疑惑は、その時間に山荘にいた妻、サンドラに向けられる。一年後、彼女は起訴され、法廷闘争が始まるのだが...。

 

なんとも鮮やかな導入部を見せる本作だが、ごく普通の法廷スリラーを期待していると肩透かしを喰うかもしれない。重要な証拠や証人が突然現れたり、真犯人が明らかになるという劇的な展開はここでは決して起こらないからだ。

 

ジュスティーヌ・トリエ監督はフラッシュバックを一切使わず、サンドラが黒なのか、白なのか、ヒントを与えようとはしない。サンドラ役のザンドラ・ヒュラーも、サンドラを演じるにあたってトリエ監督から有罪とも無罪とも聞かされなかったという。

 

法廷で露になるのは、問題を抱えたサンドラとサミュエルの結婚生活だ。息子が視覚障害になった原因を巡って、夫婦の間には大きな溝が出来ており、また、ふたりは同じ小説家という同業夫婦であり、妻の方は成功しているが、夫は挫折して教師をしており、そのことに不満を持っていることがわかる。また、妻は不倫をしたことがあり、バイセクシュアルであることも明かされる。

タイトルの「落下」には、こうした「夫婦関係の崩壊」という意味も含まれているといえるだろう。

 

サンドラたちの結婚生活は見ず知らずの人々に徹底的にさらけ出され、あらゆる方面から検証されることとなる。

決め手を欠く検察側は、状況証拠でサンドラを犯人に相応しい人物として作り上げようと懸命だ。不倫をしたこと、バイセクシュアルであることを強調してみせるかと思えば、彼女が書いた小説の一説を読み上げながら、それがサンドラの悪しき人間性の証明だとするような強引さも見受けられる。検事はフィクションと現実をわざと混同して見せるのだ。

 

検察側が提出する最大の「証拠」は、夫が録音していた夫婦喧嘩の音声である。これが実にリアルで生々しく、売り言葉に買い言葉で、心で思っている以上の辛辣な言葉を発したり、相手を必要以上に傷つけてしまうような激しい口論が続く。夫婦ならほとんどの人が心当たりがあるのではないかと思わせるような代物だ。

その言葉が、「本心」「本音」であると断定されて、「殺意」の証拠とされるだなんてたまったものじゃない。しかし、実際、サンドラのような立場に立てば、そうも言っていられない。法廷ではそれらの言葉は明らかに不利となるものばかりだ。

 

人間は他者の心の奥底や行動の意味を真に理解できないにも拘らず、他者の言葉や行動を自分に都合よく解釈し、なぜすぐに断罪しようとするのか。

 

ジュスティーヌ・トリエ監督がこの裁判を通して描いたのは、まさにそうした事柄なのであり、それこそが本作の主題なのだ。

それらはSNSを始めとする、昨今の風潮への大いなる批評(批判)でもあるだろう。ここでの「法廷」はすなわち社会の縮図なのである。  

 

シモン・ボーフィスによるカメラは、時に激しく話者から話者へと目まぐるしく移動しながら、法廷の場に流れる緊張感をうまく掬い上げている。とりわけ、印象的だったのは、最後に証言した人物である息子のダニエルを正面から映し出したショットだ。

理路整然と述べられた彼の言葉に法廷中が聴き入って集中している様がそのショットに全て鮮やかに表出されているのだ。

 

「言葉」は本作にとって、非常に重要な意味を持つ。サンドラはドイツ人で、ドイツ語と英語は流暢に話せるが、フランス語はたどたどしい。家族間では英語で会話していたという。しかし、法廷ではいい印象を与えるためにフランス語で話すよう言われている。そのため、問われたことに答える際、思うように言葉を操れないジレンマを感じている。このままでは表現しきれないと感じた彼女は最終的には通訳を頼ることを選ぶのだが、もどかしさと不安でいっぱいの主人公を、『ありがとう、トニ・エルドマン』(2016)などの作品でおなじみのドイツの俳優、ザンドラ・ヒュラーが絶妙な的確さで演じている。

 

法廷ではいかに説得力を持った言葉を発せられるかが判決の決め手となる。けれど、その言葉とて絶対ではない。人は常にグレーゾーンの中にいて、そのつど、「決断」を下して生きて行かなくてはならないのだ。

(文責:西川ちょり)

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