ガイ・バード、マーティン・J・シャーウィンによるピューリッツアー賞受賞作『オッペンハイマー(原題:American Prometheus)』(ハヤカワNF文庫)を原作とした映画『オッペンハイマー』は、クリストファー・ノーラン監督の12本目の長編作品だ。
映画『オッペンハイマー』は、第二次世界大戦中にアメリカの原子爆弾開発を主導し「原爆の父」と呼ばれる理論物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの人間としての選択と葛藤を描いた3時間以上に及ぶ伝記映画で、ノーラン監督作品常連のキリアン・マーフィがオッペンハイマーに扮し、ノーラン作品で初めて主演を務めた。
原子力委員会委員長のルイス・ストローズ役をロバート・ダウニーJr.が演じているのを始め、妻のキャサリンをエミリー・ブラント、マンハッタン計画を指揮する陸軍将校レズリー・グローヴスをマット・デイモン、元恋人にして不倫相手のジーン・タトロックにフローレンス・ピュー、大学時代の師ニールス・ボーアにケネス・ブラナーが扮するなど実力派俳優が集結し、素晴らしい演技を見せている。
世界興収10億ドルに迫る世界的ヒットを記録し、第81回ゴールデングラブ賞では作品賞(ドラマ部門)を始めとする5部門を受賞。第96回(2024年)アカデミー賞では同年度最多となる13部門にノミネートされ、作品賞、監督賞(クリストファー・ノーラン)、主演男優賞(キリアン・マーフィー)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)、撮影賞(ホイテ・バン・ホイテマ)、編集賞(ジェニファー・レイム)、作曲賞(ルドウィグ・ゴランソン)の七冠を達成した。
目次
映画『オッペンハイマー』作品情報
2023年製作/180分/R15+/アメリカ映画/原題:Oppenheimer
監督・脚本:クリストファー・ノーラン 製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローベン、クリストファー・ノーラン 製作総指揮;J・デビッド・ワーゴ、ジェームズ・ウッズ、トーマス・ヘイスリップ 原作:ガイ・バード、マーティン・J・シャーウィン 撮影:ホイテ・バン・ホイテマ 美術:ルース・デ・ヨンク 衣装:エレン・マイロニック 編集:ジェニファー・レイム 音楽:ルドウィグ・ゴランソン 視覚効果監修:アンドリュー・ジャクソン 音響デザイン;リチャード・キング ヘア・デザイン:ジェイミー・リー・マッキントッシュ メイキャップ:ルイサ・エイベル
出演:キリアン・マーフィ、エミリー・ブラント、ロバート・ダウニー・Jr、フローレンス・ピュー、ゲイリー・オールドマン、マット・デイモン、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、ディラン・アーノルド、ベニー・サフディ、グスタフ・スカルスガルド、デヴィッド・クラムホルツ、マシュー・モディーン、デヴィッド・ダストマルチャン、トム・コンティ
映画『オッペンハイマー』あらすじ
1926年.若きJ・ロバート・オッペンハイマーはケンブリッジ大学で実験物理学を専攻していたが、実験が得意でなく、鬱々した日々を送っていた。聞きたかった講義も聞かせてもらえず担当教官に居残りを命じられた彼は、発作的に教官の机に置かれたりんごに青酸カリを注入する。
翌朝、自分のしたことを思い出した彼はあわてて、実験室へ走った。そこには客員教授のニールス・ボアの姿があり、オッペンハイマーに気付いたボアは彼に理論物理学を学ぶように進言する。オッペンハイマーはリンゴを手に取って食べようとする彼から虫食いですとりんごを奪い、ゴミ箱に放り込みことなきを得た。
ドイツに渡って量子物理学を学んだオッペンハイマーはこの分野で才能を開花させる。アメリカに戻りハーバード大学、カリフォルニア工科大学、カリフォルニア大学バークレー校でポストドクターとして教鞭をとるようになり、バークレー校では実験物理学者のアーネスト・ローレンスと知り合い友情を育んだ。
この時期、オッペンハイマーの仲間の多くは共産党員やそのシンパで、弟もその妻も共産党に所属していた。オッペンハイマーも党員にこそならなかったが、平等主義のより良い社会を作る運動に共感を寄せていた。
労働組合に関しても熱心に活動する彼を見て、ローレンスはほどほどにしておくよう進言している。
こうした彼の活動が1950年代初め、冷戦期のアメリカのマッカーシズムの時代に問題視されることとなるのである。
1936年、オッペンハイマーは共産党員のジーン・タトロックと知り合い、婚約するが、既婚者の生物学者の"キティ“キャサリンと出逢って互いにひかれあい、彼女が妊娠したため、ジーンとは別れることとなる。
キティは離婚して、オッペンハイマーと結婚。無事出産するが、育児ノイローゼになり、困ったオッペンハイマーは隣人で友人のシュヴァリエ夫妻に長男ピーターの育児を依頼する。作家でフランス文学教授であったハーコン・シュヴァリエはオッペンハイマーを助けるために快く受諾し、ピーターの面倒を看てくれるが、彼はのちに「シュヴァリエ事件」として疑惑の人となる。
1942年オッペンハイマーは「マンハッタン計画」の最高責任者である陸軍工兵隊の将校レズリー・グローヴスから原子爆弾開発に関する極秘プロジェクトのスーパーバイザーになるよう打診される。前年の1941年にアメリカは第二次世界大戦に参戦しており、ナチスよりも早く原子爆弾を開発する必要に迫られていた。
オッペンハイマーはニューメキシコの砂漠地帯に街を作り、ロスアラモス研究所を設立して所長に就任。優秀な科学者たちを一同に集め、家族共々移住させ、核開発に従事することとなった。
1945年、ナチスが降伏するが、日本を降伏させるために核兵器の開発は続けられた。1945年7月、トリニティ実験の成功によって原子爆弾はついに完成し、人々は歓喜の声を上げる。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。
冷戦、赤狩りの激動の時代の波に呑み込まれ、過去の左翼活動を掘り起こされると共に、水爆開発推進や、空軍の核兵器による大量戦略爆撃計画に反対したことがFBIのフーバー長官らの怒りを買い、1954年、オッペンハイマーはソ連スパイ容疑に関する聴聞会にかけられることとなる・・・。
映画『オッペンハイマー』感想と解説
映画『オッペンハイマー』は、第2次世界大戦中に広島と長崎に投下された2発の原子爆弾の研究開発を主導し、「原発の父」と呼ばれるアメリカの理論物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの選択と葛藤を描いた三時間の大作だ。
オッペンハイマーのケンブリッジ時代から1945年のトリニティ実験の成功と原爆投下までを伝記的に描くと共に、1954年にオッペンハイマーがソ連スパイ容疑をかけられ開かれた聴聞会と、オッペンハイマーを追放したアメリカ原子力委員会の委員長ルイス・ストローズの上院での商務長官任命に関する1959年の公聴会の様子が、いつものノーラン作品と同様、時系列をシャッフルさせながら描かれる。また、オッペンハイマーの主観と客観によって映画はモノクロとカラーの間を行き来し、さまざまな視点からオッペンハイマーの人生を考察するという構造になっている。
ちなみにノーランは、本作を制作するにあたってコダックに70ミリIMAXフォーマットに合う白黒フィルムを作らせたという。
若き頃の学生時代のシーンでは、ストラヴィンスキーの「春の祭典」や、ピカソ、T・S・エリオットなどの芸術をたしなむオッペンハイマーの姿が捉えられている。そうした教養的なものも全て含んで、彼の頭の中で形成される思考や専門的な理論自体が視覚化されるという驚異的なショットが何度も登場する。ノーランはCGを使用しないことで知られているが、こうしたショットはどのようにして生まれたのだろうか。
不遇だったケンブリッジからドイツに渡り、理論物理学を学んで頭角を現したオッペンハイマーはアメリカに戻り、カリフォルニア大学バークレー校などで勤務する。それは彼にとって最も希望に満ちた晴れやかな時代であっただろう。彼を慕って理論物理学を学ぶ学生が増え、大学のみならず、アメリカの理論物理学の成長の立役者となって行く。また、社会をより良くしたいという想いから共産主義へと傾いたのもこの時期だった。ここでは彼が覚える知的興奮が画面から生き生きと伝わって来る。
一方で、彼の恋愛事情は複雑で、婚約破棄(その後、彼女は死亡)、不倫など、私生活には多くの問題があった。婚約者であった共産党員の女性ジーン・タトロックをフローレンス・ピューが演じているが、ほとんど裸体で出演し、キャラクターが良くつかめない彼女の描き方は本作の中で唯一不満のある点だ。対して、エミリー・ブラント扮するキティは、’50年代のアメリカ社会が求めた家庭的な女性像とは異なる「強い女」像を押し出していて、興味深かった。
物理学に無邪気に戯れていられた時代はいきなり終焉を迎える。それは「武器」という言葉が口にされた瞬間で、以降、科学と政治の濃密な交わりが始まることになる。
トリニティ実験のシーンでは、ノーランは画的にはそれを成功物語として描き、人々が歓びを露にする様を描写している。当時、実際にこの実験に携わった人々も、おそらく同じように歓喜の声を上げ、実験の成功を目にして達成感と高揚感に包まれたことだろう。ここではそうしたシーンが忠実に再現されている。
だが、その画面からは、ルドウィグ・ゴランソンによる強烈なスコアも相まって異様な緊張感が漂い、観る者は圧迫されるような感情に突き動かされる。キノコ雲が上がるのを目撃した際にオッペンハイマーの脳裏を過ったと言われるインドの聖典「バガバッド・ギー ター」の中の言葉「今、私は死となり、世界の破壊者となった」の通り、原爆投下がもたらした巨大な苦しみと恐怖、その後展開することとなる軍拡競争への懐疑がそこに込められているからだろう。スクリーン上に展開する「熱狂する画」をまったく相反する「冷ややかなタッチ」で描いている驚くべきシーンだ。
もうひとつ、日本が降伏し戦争が終わった際、学生たちがオッペンハイマーを英雄として熱狂的に迎えるシーンでも、同様の表現が行われている。
足踏みで彼を称賛する学生たち。彼はそれを制して、学生たちを歓喜させるような言葉を選び語り出すが、彼の目は見開かれ、一人の女子学生の皮膚が焼けただれていく様を見る。それは勿論、幻影なのだが、彼の内面の恐怖や罪の意識や悔恨といった複雑な感情が表現されている。このシーンでの学生たちの足踏みは登壇者への賛辞のあらわれだが、ホラー映画かと思えるほどの恐怖を感じさせる効果音となって観る者の気持ちをざわつかせる。
ノーラン監督は、広島と長崎への原爆投下を直接的には描かず、このような表現を取ることでその恐ろしさと罪を浮かび上がらせている。
大勢の民間人が死亡することは当然、予測できた。実際多くの科学者が核兵器の開発に反対の意を述べたというが(デヴィッド・クラムホルツ扮する物理学者イジドール・ラビが発した「物理学300年の成果が大量破壊兵器か?」と言う言葉が印象的だ)、開発当初はナチスとの開発競争という名目のもとプロジェクトはノンストップで進み、ナチスが降伏したあとは日本を降伏させるためという名目にとって代わった。
オッペンハイマーは原爆開発が戦争を終わらせる手段だと無邪気に信じ、あるいは信じようとした。理論では可能であるものを現実化させたいという科学者としての底知れぬ欲望を「戦争の終結のため」という大義名分によって正当化したとも言える。そして開発したあとも、「抑止力」としてコントロールできるとも考えていたが、完成した兵器がトラックに積み込まれる際、彼がその使用について語ろうとすると、兵士から「ここからは我々の管轄です」と遮られる。それは科学が政治にどっぷりと取り込まれていたことを知らしめる瞬間であり、原爆に限らず科学が政治と絡んだ時の恐ろしさを示唆するシーンになっている。
オッペンハイマーはさらに強力な水爆の開発に反対し、戦後も核兵器への依存を抑制しようと努めるが、そのことによって、アメリカ政府から反感を買い、国家に対する忠誠心を疑われて、1954年、ソ連スパイ容疑で聴聞会にかけられる。
映画の終盤はこの長細い密室での長時間に渡る聴聞会の様子をリアルに描き出している。裁判ではないと断りながら行われる質問の数々は、過去の左翼的な活動から私生活までをあからさまに暴露する糾弾会のような、精神的拷問のような様相を呈していく。証人として出席させられたかつての仲間の振る舞いがそれぞれの人間性を表していて興味深い。中にはオッペンハイマーの立場に立ってくれる友人もいるが、多くが、彼を糾弾する側に回ってしまうのだ。
聴聞会と同時に、アメリカ原子力委員会の委員長ルイス・ストローズの上院での商務長官任命に関する1959年の公聴会の様子も描かれている。本作は演者が皆、本当に素晴らしいのだが、とりわけルイス・ストローズに扮するロバート・ダウニー・Jr.は、彼のキャリアの中でも最高峰と位置付けられるほどの名演を見せている。
そして、主演のシリアン・マーフィーは1920年代からジョン・F・ケネディが大統領に就任した1960年代までの約40年間に渡るオッペンハイマーの半生を一人で見事に表現している。
IMAXカメラはそんな彼に限りなく接近して、彼のやせこけた頬、憂いに満ちた青い瞳、遠くを見るような儚い眼差しをとらえる。声にならない感情の数々を宿した「顔」を大スクリーンに頻繁に映し出すことで、オッペンハイマーとは何者であったのかを映画は問おうとしている。
(文責:西川ちょり)