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映画『それでも私は生きていく』あらすじ・感想/ミア・ハンセン=ラブがレア・セドゥ主演で綴る人生の機微のスケッチ

『グッバイ・ファーストラブ』(2010)、『未来よ こんにちは』(2016)などの作品で知られるフランスのミア・ハンセン=ラブ監督が、自身の経験をもとに、様々な状況に直面しながら日々を生きる女性の心の機微を繊細に描いた作品『それでも私は生きていく』

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主人公サンドラを演じるのはフランスを代表する映画俳優レア・セドゥ。エキセントリックな役柄が多い彼女が、仕事、子育て、親の介護、恋に奮闘するシングルマザーの感情を豊かに繊細に表現している。

 

悲しみと再生という相反する感情の揺れを描いた本作は第75回カンヌ国際映画祭でヨーロッパ・シネマ・レーベル賞に輝いた。

 

目次

映画『それでも私は生きていく』作品情報

映画『それでも私は生きていく』

2022年製作/112分/R15+/フランス・イギリス・ドイツ合作映画/原題:Un beau matin

監督:ミア・ハンセン=ラブ 

出演:脚本ミア・ハンセン=ラブ  撮影:ドニ・ルノワール 美術:ミラ・プレリ 衣装:ジュディット・ドゥ・リュズ 編集:マリオン・モニエ

出演:レア・セドゥ、パスカル・グレゴリー、メルヴィル・プポー、ニコール・ガルシア、カミーユ・ルバン・マルタン、フェイリア・ドゥリバ、サラ・ル・ピカール、ピエール・ムニエ

映画『それでも私は生きていく』あらすじ

映画『それでも私は生きていく』

サンドラは5年前に夫を亡くし、通訳の仕事をしながらパリの小さなアパルトメントで8歳の娘のリンと暮らしている。

 

彼女の父・ゲオルグは哲学教師として多くの生徒たちから慕われてきた人物だが、今は神経変性疾患を患い、記憶と視力を徐々に失っていきつつあった。

 

父には五年越しのパートナーがいるのだが、彼女自身の健康の理由で父をフルタイムで看護することができない。

 

サンドラは度々、父の介護に赴くが、その度に父が衰えていく姿を目の当たりにすることになり、なんともいえぬ無力感に襲われてしまう。

 

そんな中、サンドラは偶然、夫の友人だったクレマンに再会する。クレマンは南極調査のためにフランスを離れていたのだが、つい最近、パリに戻って来たばかりだと言う。

 

楽しい再会はやがてロマンスへと発展していくが、クレマンには妻とまだ幼い息子がいた。クレマンはサンドラに一度は別れを告げるものの、君なしでは耐えられないと再び現れ、ふたりの仲はずるずると続いていく。

 

いよいよ父を一人でアパートに置いていくわけにはいかなくなり、施設がみつかるまで、一般の病院に入院させることになった。別居している母と妹も駆け付けて無事父を入院させたが、弱っていく父の姿を見るのはとてもつらく感じられた。

 

しかし、しばらくすると金にならない患者を長くは置いておけないとばかり病院は退院を急かし、サンドラたちは民間施設に世話になることにするが、パリの施設は費用がかさむ。仕方なく地方の施設にしばらく入居することになったが、そこはひどい場所で、結局何度も転居を余儀なくされる。

 

父の自宅の荷物の処理も簡単にはいかない。幸い、父が集めた貴重な蔵書は、父のことを尊敬するかつての教え子が引き取ってくれることになった。

 

父は病を患っても穏やかで紳士的な存在であり続けたが、サンドラをパートナーと間違えるなど、次第に家族の記憶が薄れていく。

 

サンドラは将来、自分もこの病にかかるのではないかと不安を抱き、クレマンは遺伝性のものとは限らないと彼女を慰める。

 

父を失う悲しみと、先の見えない恋の狭間で、サンドラは様々な感情を覚えながら日々を過ごして行く・・・。

映画『それでも私は生きていく』の感想・評価

映画『それでも私は生きていく』

『EDEN/エデン』(2014)では兄を、『未来よ こんにちは』(2016)では母を、『ベルイマン島にて』(2021)では自分自身と当時のパートナーであったオリヴィエ・アサヤスといった具合に、自分や身近な人々をモデルに作品を生み出してきたミア・ハンセン=ラブ監督。

 

本作も、彼女の父親が病気を患った際に、自分の周りで起こったことを念頭にした自伝的作品だという。

 

冒頭、パリの街の一角が引きのカメラで映し出される中、一人のボーイッシュな雰囲気の女性が歩いている姿が見える。その女性がレア・セドゥ扮する主人公・サンドラだ。

 

彼女は中庭のあるアパートに入っていき階段を上っていく。こうした何気ない、さりげないオープニングは、自転車に乗っている少年をずっと追っていた、ミア・ハンセン=ラブ監督の2010年の作品『グッバイ・ファーストラブ』の冒頭を思い出させる。

少年は用を済ませたあと恋人がベッドで待っている自宅に向かったが、サンドラはアルツハイマー症に由来する神経変性疾患を患った父を訪ねて来たのだ。

この病は、記憶と視力を徐々に奪っていくもので、父は既にドアを開けることすらままならないほど悪化している。

サンドラは哲学者の父を深く尊敬していたので、その父の代わりゆく姿に、深い悲しみと戸惑いを覚えている。レア・セドゥが抑揚を抑えた演技で、そんなサンドラの感情を見事に表している。

 

彼女はそのあとすぐに、まだ幼い娘を迎えに学校に行き、また、別の日には重要な式典の通訳を務めている姿が映し出される。目まぐるしい日々を送る中、彼女は亡くなった夫の友人と久しぶりに再会し、たちまち恋に落ちる。

 

子育て、仕事、介護、新たな恋といった彼女の多忙な日常を丁寧に綴りながら、映画は、悲しみや喜び、絶望と希望、不安と安心といった、心に湧き上がる相反する感情を繊細に掬い取っていく。

 

介護施設の現状はフランスも日本とあまり変わらないようで、高い金額を払えば充実したサービスが受けられるが、少し安価になれば、サービスも確実に劣ったものになる。

悲しいことに父が元気になって帰って来ることはもうないので、アパートの整理も始めなければならない。父が愛した書物をサンドラは散り散りバラバラにしたくない。なぜならどの書物を選んだかにはその人の人間性が反映されているからだと彼女は言う。父の蔵書は父そのものなのである。

ここには父への尊敬の念と深い愛情がこもっているが、それと同時に、書物、学問、そして「知」そのものへの強い敬意が表れている。

社会の仕組に問題があり、人々の生活に余裕がなくなると真っ先に振り向かれなくなってしまうもの、場合によっては「攻撃」の対象にもなるそうした「知の探究」の大切さをミア・ハンセン=ラブ監督はさりげなく説いてみせるのだ。

 

愛する人を失おうとしている悲しみの中、サンドラは思いがけず恋に落ちる。かつては恋の相手とは思いもよらなかった人だ。不安に苛まれる環境の中、彼の存在は彼女にとって大きな支えになる。

しかし、彼には妻子がいて、ふたりはいわゆる不倫の関係にある。互いに思案し何度か別れようとするも、情熱がまさって、別れることができない。

 

ミア・ハンセン=ラブ作品の魅力のひとつとして、「恋愛」は大きな要素といえる。前述した『グッバイ・ファーストラブ』を鑑賞した際、ヒロインの愛の深さに驚愕した思い出がある。

まだ若い彼女にとって、少年の愛こそが全てなのだが、少年は広い世界を見たいという思いに駆られ、少女を置いて旅立ってしまう。少年は最初こそ手紙を小まめに書き送っていたが、やがて彼女のことを忘れてしまう。

失恋したことにショックを受けた少女は自殺を図り、かろうじて命を取り留める。そんな彼女が立ち直るきっかけになったのは「建築」への興味だった。恋愛しか知らなかった彼女が「建築」に導かれ、大人になっていく姿が描かれる。少女の成長を描き、映画が終わると思いきや、少年が帰国していることが判る。少女は躊躇なく、再び少年と恋に落ちるのだ。

あれほどつらい思いをし、やっと立ち直って好きなものを掴んだ彼女はもう少年には目もくれないのではないかと想像していたものだから、やっぱりこの情熱はフランス映画ならではのものだと感心したものだ。

 

サンドラとクレマンは、互いに離れることができない。頭で考えればこの関係は清算した方がいい。わかってはいるけれど、好きという気持ちは理性やモラルでどうにか出来るものではないのだ。

傷ついても、誰かを傷つけても燃え上がり続ける「恋愛感情」というものをミア・ハンセン=ラブ監督はいつも狂おしいくらいのタッチで描いてみせてくれる。

 

皮肉なことに、サンドラとクレマンがサンドラの娘、リンと一緒にいると、彼女たちは本当に幸せそうな家族に見える。

 

ラスト、3人はサクレ・クール寺院に行き、高台からパリの風景を眺める。クレマンはリンに「知っている建物を言ってみて」と言い、いくつかの建物を指さす。「エッフェル塔」、「モンパルナスタワー」、そして「聖ヴァンサン・ド・ポール教会」。

なんていうことないシーンだが、いつかリンがこの時のことを思い出す日が来るような気がする。

この時の記憶が、いつか『グッバイ・ファーストラブ』の少女のように、ル・コルビュジエの書物に出会う機会を彼女に与えるかもしれない。

(文責:西川ちょり)

 

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