『ヘレディタリー/継承』(2018)、『ミッドサマー』(2020)のアリ・アスター監督の最新作『ボーは恐れている』は、日常生活に強いストレスを感じる中年男性ボーの奇妙で壮大な帰省を描いたコメディ・スリラーだ。
主人公のボーを演じるのは『ジョーカー』(2019)、『カモン カモン』(2021)などの作品で知られる名優ホアキン・フェニックス。
また、ボーの支配的な母親モナをパティ・ルポーン、その若き日をゾーイ・リスター=ジョーンズが演じている他、『プロデューサーズ』(2006)のネイサン・レイン、『ワース 命の値段』(2023)のエイミー・ライアン、『コロンバス』(2017)のパーカー・ポージーら個性的な俳優が名を連ねている。
気鋭の制作・配給会社A24がこれまでで最も製作費をかけた作品としても話題の一編だ。
目次
映画『ボーは恐れている』作品情報
2023年製作/179分/アメリカ映画/原題:Beau Is Afraid
監督・原案・脚本:アリ・アスター 製作:ラース・クヌードセン、アリ・アスター
製作総指揮:レン・ブラバトニック、ダニー・コーエン、アン・ロアク 撮影:バベウ・ポコジェルスキ 美術:フィオナ・クロンビー、衣装:アリス・バビッジ 編集:ルシアン・ジョンストン 視覚効果監修:ルイ・モラン 音楽:ボビー・クルリック
出演:ホアキン・フェニックス、ネイサン・レーン、エイミー・ライアン、スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、ヘイリー・スクワイアズ、ドゥニ・メノシェ、カイリー・ロジャース、パーカー・ポージー、
パティ・ルポーン
映画『ボーはおそれている』あらすじ
ボー・ワッサーマンは父の命日に実家に戻り、久しぶりに母親に会うことになっていた。旅券も取り、準備万端なボーだったが、夜、眠っていると、誰かがドアの下から手紙を差し込むのを感じて目覚めた。
手紙には音楽がうるさいから静かにしてくれといった内容が書き込まれていた。ボーは音楽などかけていなかったので何かの間違いだろうとまた眠りにつくが、手紙は何度も何度も差し込まれ、最後には手紙の書き手はキレて、仕返しとばかり音楽を爆音で鳴らし始めた。
散々、睡眠を邪魔されたボーは寝過ごしたことに気付き、あわてて着替えを始める。トランクを外に出し、一瞬部屋に戻って再び廊下に出ると、さしたままだった家の鍵とトランクが消えていた。
このまま外出するわけにはいかないと途方にくれたボーはとりあえず、母に電話することにした。ドアとキーを盗まれて出るに出られずまだ家にいることを告げると、母はもう飛行機に間に合わないと驚き呆れ、帰りたくないのねと怒り始めた。ボーはまだ方法があるかもしれない、どうしたらいいと思う?と母に尋ねたが、電話は切られてしまった。
落ち着くために薬を飲み込んだが、薬には必ず水と一緒に飲むようにと書かれていた。ところが断水で水道の水が出ない。ネットで調べると水なしで飲みこむと多くの副作用が起き、へたすれば死に至ると書かれていた。
パニックになったボーは向かいの雑貨屋に向かうが、鍵がないので、アパートの入り口のドアを開いたままにするために電話帳をはさんで外に出た。店に入るやいなや水を飲んだボーはホッとしてレジに向かうがなんとカードが使えない。店主は警察に連絡すると言い出し、あわてて現金を出していると、彼のアパートに空いたドアから街のならず者たちが次々と侵入して行くのが見えた。
あわてて店を飛び出し全速力で走るボーの目の前で、無常にもドアが閉められてしまい、ボーはアパートから締め出されてしまった。
助けを求める友人もないボーは、ビルの外壁工事の足場で眠って一夜を過ごした。そんな中、スマホが鳴り、母が死んだことが告げられる。事故死だという。
やっと入ることが出来た部屋は誰かに侵入されて荒れ放題だった。ボーはとりあえず、風呂に入ることにした。バスタブにつかりながらふと上を見上げると、見知らぬ男が天井に頭を付けて、壁に足をかけて、ぶるぶる震えていた。なぜこんなところに人が、と呆然としていると、今話題になっている毒蜘蛛がするすると出て来て男にとまり、男は悲鳴を上げて落下してきた。
水の中で絡み合い、共に溺れそうになるボーと男。なんとかバスタブから脱出したボーは裸のまま外に飛び出すが、警察に銃を向けられる。その頃、この周囲では裸のままうろつく連続殺人鬼が話題になっていた。ボーは今まさに警察に殺人鬼だと思われているのだ。
そこに本物の殺人鬼まで現れて、あわてて逃げ出したボーはそこに猛スピードでやって来た車に轢かれ、そのまま意識を失ってしまう。
眠り続けていたボーが目覚めた時、彼は可愛らしく落ち着いた雰囲気の部屋のベッドに寝かされていた。
そこはグレースとロジャーという夫婦の住む豪邸で、ボーを轢いた彼らは、ロジャーが医師ということもあって、自宅に彼を連れ帰り、看病してくれたらしい。
夫婦にはトニというティーンエイジの娘がいた。今、ボーが眠っている部屋はもともとトニの部屋だったらしい。自分の部屋を使われているせいなのか、トニはひどく愛想が悪かった。
夫婦には息子もいたのだが、彼は戦争で亡くなったという。夫婦は息子の戦友でPTSDを患ったシーヴスの面倒を看ているようだった。
ボーが母の弁護士に電話を入れると、弁護士は、ボーが来ないと葬儀ができないことを告げ、葬儀を遅らせるなんて死者に対して失礼だとボーを罵る。ボーが母親の葬式に出ないといけないと言うと、ロジャーは、送って行くと約束してくれた。
彼らは親切でなんの問題もなさそうだったが、何かが変だった。トニがやって来て、「あなたは養子のテストに不合格になった」と言う。彼女は兄の部屋をペンキで塗りたくろうとし始めるが・・・。
映画『ボーはおそれている』感想と解説
道に迷ったり、選択を誤ったりといった様々なアクシデントに見舞われて目的地になかなかたどり着けない夢を見て、どっと疲れたことはないだろうか。
映画『ボーはおそれている』はまさにそんな「悪夢的」映画と言っていいだろう。
父の命日に実家に帰って久しぶりに母親と会うはずだったボーは、部屋を出ようとした途端、ドアにさしたままにしていた鍵とトランクを盗まれてしまう。このまま出かけるわけにはいかないと途方に暮れた彼は母親に電話して、どうしたらいいかと尋ね、母親を怒らせる。
彼がいつまでもぐずぐずと停滞していると、母が事故で亡くなったという報せが届く。彼はどうしても実家に戻らなければならないのだが、次から次へと地獄のようなことばかりが起こり、なかなか故郷に帰れない。
180分もある他者の夢(悪夢)を鑑賞させられるのはある意味苦行のようにも思えるが、そこはさすがにアリ・アスターだけあって、長さはそれほど感じられず、この悪夢の続きをもっと見たいとさえ思わせる。
「夢」と決めつけるのに語弊があるとすれば、本作は、母に会いに行かなければならないが、本当は行きたくないという強迫観念に囚われた一人の人物の頭の中を具象化した作品と言い換えてもいい。
なぜ、母に会いたくないのか(表向きは彼は必死で母のところに向かおうとしているのだが)は、繰り返し挿入される屋根裏部屋のショットや、過去の母と息子の逸話のフラッシュバックなどから明らかだろう。過去にアリ・アスターが描いて来たエディプス的な、毒親的な家族の問題が根底にあることが伺える。
行かねばならないが行きたくない、行きたくないが行かねばならないという感情のトリップが、圧倒的な想像力と精緻なプロダクション・デザイン、洗練した映像で展開していく。
『ボーはおそれている』で最も怖いのは冒頭のシークエンスだ。いきなり最初にドンという大きな音で始まりドキリとさせられる。唐突な大きな音で驚かせるのは、ホラー映画の常套手段だが、どうやら単なるこけおどしではないらしい。下から見上げているような誰かの視線によるあまり鮮明でない画像が続く中、女性の悲壮な声が聞こえて来る。話から判断するに女性の赤ちゃんを誰かが床に落としたようなのだ。一体なんてことをしてくれたのか、どういうことなのか、赤ちゃんは大丈夫なのかという女性の悲痛な訴えが聞こえてくる。このシチュエーションのなんと恐ろしいことか。赤ちゃんが床に落下するだなんて!
この赤ちゃんがボーだとしたら、彼の不安定さや混乱した様は生まれた時からおこっていたもので、騒いでいるのが母親だとしたら、この事故が、母親の息子への過保護、過干渉の引き金となったのは明白である。
そして、それ以外のシーンはたいして怖くない。連続殺人鬼の登場も、恐怖というより寧ろ笑えるシーンとして表現されている。
アリ・アスターはホラー映画作家として認知している方が多いと思うが、アート系の作家でもあるということを本作は改めて教えてくれるのだ。
作品は四つのパートに分けることが出来る。荒廃して荒れ狂ったボーの暮らす都会、親切そうだが明らかに病んで崩壊している家庭での幽閉生活、牧歌的な人々による森の中の演劇空間と殺戮、そして母親の世界そのものである実家である。
その中でももっとも視覚的に楽しいのは暴力と破壊に溢れたボーが暮らしている荒廃した都市のパートだ。
あちらこちらで殺人が行われている無法地帯。盗みは日常的、隣人は頭がおかしく、アパートに出入りする際も危険人物から逃れるために全力疾走しなければならない。公然と殺人が行われ、道路には死体が転がったままだ。まるで無法者に襲われた西部劇の町のようにも見える。
これもまた人間関係がうまくいかず不安だらけのボーの脳内の具象化ともいえるのだが、ここには殺伐として悲惨なのにどこか笑いを誘うユーモアがある。
真っ裸の殺人鬼や、蜘蛛に驚いて落下するスパイダーマンもどきの男などバカバカしくて笑える存在は勿論のこと、ボー自身も、どこかのほほんとしていて、大きな赤ん坊のような可笑しみがある。これはホアキン・フェニックスがこの役を溌溂と全力で演じている故だろう。
ただ、この状況を笑えるのも、ボーがまだ母親から遠く離れて一人で暮らしているからだ。それは、どんなにひどい場所でもまだ母親の近くにいるよりはましだということを意味しているだろう。
しかし、ボーは自分の中に根をおろした恐怖と闘い、親と向き合わなければならない時が必ずやって来ることを知っていて、そのことを「おそれている」。
あれほどたどりつけなかった実家にいつの間にかたどりついてしまった彼は、恐ろしくも邪悪な事実を知ることとなる。
彼は敗北したのだろうか。
いや、今頃彼は大汗をかいて息も荒く目覚めたはずだ。なんてひどい夢だったのか、頼むからもうこんな夢を見させないで欲しいと青ざめながら・・・。それでも夢で良かったと呟きながら・・・。
(文責:西川ちょり)