第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品されたのを始め、ノルウェーのアカデミー賞と呼ばれるアマンダ賞で驚異の4冠を獲得。世界の映画祭で16もの映画賞を受賞した北欧初のサイキック・スリラー『イノセンツ』。
脚本、監督を務めたのは、ノルウェーを代表する映画監督ヨアキム・トリアー作品の共同脚本化として知られ、2021年の『わたしは最悪。』でヨアキム・トリアーと共に第94回米アカデミー賞®脚本賞にノミネートされた鬼才エスキル・フォクト。
ノルウェーの郊外の住宅団地を舞台に、自身が不思議な力を持っていることを知った子どもたちが、やがて命をかけて対立していく姿を圧倒的な緊張感で描くサイキック・スリラー。
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映画『イノセンツ』作品情報
2021年製作/117分/PG12/ノルウェー・デンマーク・フィンランド・スウェーデン合作映画 原題:De uskyldige(英題:The Innocents)
監督・脚本;エスキル・フォクト 撮影:シュトゥルラ・ブラント・グロブレン 美術:シモーネ・グラウ・ロニー 音楽:ペッシ・レバント
出演:ラーケル・レノーラ・フレットゥム、アルバ・ブリンスモ・ラームスタ ミナ・ヤスミン・プレムセット・アシェイム、サム・アシュラフ、エレン・ドリト・ピーターセン、モーテン・シュバルベイト
映画『イノセンツ』あらすじ
9歳のイーダは一家でノルウェー郊外の住宅団地に引っ越してきたばかり。夏休みなのだから友人たちのように旅行に行きたいと思うイーダだったが、母は重い自閉症の姉アナにかかりっきりだ。
アナは言葉を発しないし、痛みも感じないように見える。イーダは姉の腕をおもいきっりつねるがアナは何も言わない。
外に出ると、一人の少年が近づいてくる。ベンと名乗った少年は不思議な力を持っていた。目の前に落ちたものを別の場所へ瞬間移動させることが出来るのだ。イーダは不思議でたまらない。その日をきっかけにイーダはベンと遊ぶようになった。
ある日、イーダはアナと共に外に出た。そこにベンがやってきたので、イーダはすぐ戻るつもりでアナをひとり残して彼と一緒にサッカーを始めた。
ところが、ベンがボールをけっていると年上の少年がやって来てボールを取り上げベンを手荒くあしらった。
あわててアナのところに戻ったイーダはアナが別の少女と一緒に遊んでいるのを見て驚く。少女はアイシャという名で、アナと心が通じ合うようだった。アイシャは他者の言葉が聞こえるという能力を持っていた。
アイシャと毎日遊ぶうちにアナは言葉を発することが出来るようになり、イーダは驚きと喜びで顔をほころばす。
4人の子どもたちは友人同士になり、離れた場所でささやいた言葉を聞き取れるなど、能力をためし、自分たちの不思議な力を確信し始める。
しかしある日、ベンの行った残酷な行為を目の当たりにしたイーダは、咄嗟に警戒心を覚えた。
ベンは自分を粗末に扱った人々へ憎悪を向け始め、団地の下の階に住む男を操って、サッカーボールを奪って恥をかかせた少年を殺害させる。
殺人のあったところに行ってはいけないと母親に言われながらもイーダは現場にかけつけずにはいられない。
ベンがやって来て、自分は人を操ることが出来ると自慢気に言う。彼はグランドで遊んでいる少年たちの方を向き、念を送り始めた。すると一人の少年が急に倒れ、大声で泣き始めた。足の骨が折れたのだ。
ベンが何かをしようとする度、必ずアナは激しい反応を見せた。彼女は危険を感知する能力があった。部屋を飛び出そうとするたび、事情を知らない両親は彼女を引き留め行かせなかった。
友情を育んでいた四人の間にひびが入り、ついには殺さなければ殺されてしまうという最悪の状況が訪れる・・・。
映画『イノセンツ』解説・レビュー
監督のエスキル・フォクトは、ヨアキム・トリアーのほとんどの作品で共同脚本を務めており、『わたしは最悪。』(2021)ではヨアキム・トリアーと共に第94回アカデミー賞(2022)で最優秀脚本賞にノミネートされた。ヨアキム・トリアーから離れ、自身が監督を務めることもあり、2014年制作の『blind』(2014)は高い評価を受けた。本作も彼の単独作だ。
『イノセンツ』は子どもたちの不思議な力=超能力を主題としていることから、彼が共同脚本を担当したヨアキム・トリアー監督の2017年の作品『テルマ』を想起する方も多いだろう。
『テルマ』は特殊能力を持つ娘を世に放つまいとする両親と、必死に自分らしさにもがく娘という対立が描かれた「サイキック青春映画」と呼ぶのが相応しい作品だったが、そういう意味では本作は“『テルマ』前夜”の物語と呼べるかもしれない。
テルマが思春期の少女を主人公にしていたのに対し、『イノセンツ』は モラルが形成される前のまだ幼い子どもたちが主人公だ。
イーダは両親が自閉症の姉につきっきりなことに不満を抱いていて、姉に意地悪をする。しかし姉が言葉を話し始めると彼女の顔はぱっと喜びでいっぱいになる。このように子どもたちはまだ無垢と悪の境界線にいる。子どもたちは不思議な力があることがまだ何事であるかもわからず、好奇心と興奮を伴って無邪気に分かち合っていくが、やがてそれぞれの境遇やモラルの違い、行き過ぎた行為が対立を生んでいく。
イーダ役のラーケル・レノーラ・フレットゥムを始め、子役たちが皆、素晴らしい。イーダはベンがひどく残酷な行為をした際、一瞬でベンと自分の決定的な違いを悟った表情を見せる。この場面は、動物が好きな方にはかなり注意が必要な場面なのだが(筆者も猫を飼っているのでとてもいやだったが)、彼女がベンが危険な人物であると距離を置くことになる根拠となる初めてのシーンとして重要である。
子供やティーンエイジャーを主人公にした作品の中には子どもたちだけの世界を描き、大人を登場させないものもあるが、本作は彼らの親もきちんと描写されている。
しかし、驚くほどに子どもたちは自分たちだけの世界を持っている。とりわけ、怖い思いや不吉な思いをした時ほど、彼女たちは本当のことを親には話さない。話したところでなんの解決にもならないことを彼女たちは本能的に知っているのだ。
イーダが母親に意地悪な人がいればどうしたらいいかと尋ねた際、母は意地悪されているのかと問いかけている。イーダがそうでないと言うと、母はそんな時はまず親に相談してちょうだい、そして警察に頼むのもいいと答えている。もし私が大人だったなら?とイーダが尋ねると、母は自分で解決しなくちゃねと答える。母親の言葉は至極真っ当なものだろう。そしてイーダは親にも警察にも頼らず自分で解決することを選択する。
こうした子どもの世界を描くのに、住宅団地は格好の舞台となる。たびたび団地の建物は逆さ向きに画面に現れる。イーダーが特別な姿勢をしていることから見える風景だ。こんな風景を大人が見ることはそうはないだろう。
集合住宅の窓にこれ見よがしに何度も何度も近づいていくカメラはヒッチコック作品のカメラを思わせるし、廊下側のドアノブと室内のドアノブを二人の少女が同時にひねるのを上から見る奇妙なショットにはすっかり魅せられてしまう。
子供たちの心象風景とも言える景色を織り込み、丁寧に子供たちを観察するのは、親元を離れ大学で寮生活を始めた少女の覚醒を恐怖として描くだけでなく、人間の成長としても描いた『テルマ』に通じるものがあるだろう。
しかし、本作の何が一番素晴らしいかといえば、クライマックスにつながっていく展開があまりにも恐ろしく、怖いことだ。この緊張感はただものではない。
休暇を終えて帰って来た団地の人々で賑わう中庭で(そう思うと、4人の子どもたちはこの夏、どこにも行けなかった子どもたちだったのだ)ある対決が静かに展開する。
時に単調になりがちなサイキック対決が驚くほど臨場感に溢れ、大人と子どもの違いをさらに強調する。
本年観た作品の中でもっとも怖く、映画館の中で緊張感に包まれながらもっとも身を固くして観た作品であることを告白しておく。