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【解説】映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』あらすじ・感想/チェスを拠り所にした孤独で狂気に満ちた闘い

文豪シュテファン・ツヴァイクが1942年に発表し、命をかけてナチスに抗議した書として世界的ベストセラーとなった小説『チェスの話』を『アイガー北壁』(2008)、『ゲーテの恋~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~』(2010)のフィリップ・シュテルツェル監督が映画化。

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少年時代に原作と出会って深い感銘を受けたシュテルツェルは、自由だった世界がいとも簡単にひっくり返されるという物語に、現代の社会状況との共通点を見出し、警告の思いを込めて本作を制作した。

 

主人公のヨーゼフ・バルトークを演じたのは『帰ってきたヒトラー』(2016)でアドルフ・ヒトラー役を演じたオリバー・マスッチ。ドイツで最も敬愛される名優の一人だ。  

 

目次

映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』作品情報

(C)2021 WALKER+WORM FILM, DOR FILM, STUDIOCANAL FILM, ARD DEGETO, BAYERISCHER RUNDFUNK

2021年製作/112分/ドイツ映画/原題:Schachnovelle

監督:フィリップ・シュテルツェル 製作:フィリップ・ワーム トビアス・ウォーカー 原作:シュテファン・ツヴァイク 脚本:エルダル・グリゴリアン 撮影:トーマス・キーナスト 衣装:ターニャ・ハウスナー 編集:スベン・ブデルマン 音楽:インゴ・ルードビヒ・フレンツェル

出演:オリバー・マスッチ、アルブレヒト・シュッフ、ビルギット・ミニヒマイアー、アンドレアス・ルスト、ザムエル・フィンツィ、ロルフ・ラスゴード

 

映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』あらすじ

(C)2021 WALKER+WORM FILM, DOR FILM, STUDIOCANAL FILM, ARD DEGETO, BAYERISCHER RUNDFUNK

ロッテルダム港を出発し、アメリカへと向かう豪華客船。ヨーゼフ・バルトークは久しぶりに再会した妻と共に船に乗り込んだ。

 

かつてウィーンで公証人を務めていたバルトークは、ヒトラー率いるドイツがオーストリアを併合した際、ナチスに逮捕されたという過去を背負っていた。

 

ゲシュタポ工作員ベームは、バルトークが管理する貴族の莫大な資産の預金番号を教えろと迫るが、バルトークはそれを拒否。教えない限りナチは自分を殺さないだろうと考えたのだが、ホテル・メトロポールに連行された彼は長時間ホテルに監禁され精神的拷問を受けることとなった。  

 

アメリカ行きの船ではバルトークは周囲からみすぼらしい人間と見下されているのを感じた。船内は華美な洋服を来た華やかな人々で溢れていた。

 

 

船に乗って2日目。バルトークは妻がいないことに気づく。船員にそのことを告げるが、彼らはバルトークは最初から連れはなく、一人だけだったと主張し、彼を戸惑わせる。

 

船内ではチェスの大会が開かれ、世界王者ミルコ・ツェントヴィッチが船の乗客全員と戦っていた。船のオーナーにアドバイスを与え、引き分けまで持ち込んだバルトークは、オーナ-から王者との一騎打ちを依頼される。

 

バルトークがチェスに強いのは、ナチに監禁された際にチェスの書物を手に入れたからだった。監禁中は気休めになるようなものは一切与えられず、たばこが一日に一本与えられるだけだった。

ある時、バルトークは新たな尋問を受けるため、別の場所に連れてこられるが、同じく囚われの身となっていた人物が窓から飛び降りるという騒ぎがあり、その際、バルトークは焼却される運命にあった本を監視の目を潜り抜けて手に入れることに成功する。それがチェスのルールブックだったのだ。

 

熟読を重ね、食事で与えられるパンを少しずつ残し、それを材料にチェスの駒をこしらえ、すべての手を暗唱できるまでになった。

 

しかし、彼は手荒い拷問を受けた日に、部屋にやって来たベームにより、本と手作りの駒を発見されてしまう。頼みの本と駒を失ったバルトークは頭の中でチェスを動かしていった。

 

バルトークは、どうやってナチスの手から逃れたのか? 王者との白熱の試合の行方と共に、衝撃の真実が明かされる──。  

映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』感想・評価

(C)2021 WALKER+WORM FILM, DOR FILM, STUDIOCANAL FILM, ARD DEGETO, BAYERISCHER RUNDFUNK

本作はシュテファン・ツヴァイクの小説『チェスの話』の映画化作品だ。

ツヴァイクヒトラー政権が誕生した年にオーストリアから亡命した作家で、本作は、亡命生活の最終地、ブラジルに滞在した1941年9月から1942年2月にかけて書かれたものだ。

本作は過去にも何度か映画化、ドラマ化されており、また、彼の多くの作品が映画化されているが、私たちにとってもっとも馴染みの深いものといえば、ウェス・アンダーソン監督が、映画『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)で、ツヴァイクの作品にインスパイアされたと言及していることだろう。  

 

冒頭、ささやき声が聞こえる中、右に左に激しく動く目が映し出される。バックミラーに映る男の顔。車の外は人で溢れていて、男は車を降りる際、運転手から本を受け取る。男はそのまま長い列の後ろにつき左へ左へと移動していく。どうやらここは港らしい。どことなく戸惑っているかのような頼りなげな男性に「ヨゼフ!」という女性の声が届く。

 

映画はこうして、主人公のヨーゼフ・バルトークがニューヨーク行きの船に妻のアンナと一緒に乗り込むシーンでスタートする。

 

継いで画面はヨーゼフ・バルトークがアンナと着飾って舞踏会へと向かうシーンとなる。時代は過去へ遡っている。彼らの乗った車は路上でナチスの支持者たちに囲まれて立ち往生するが、それ以上のひどい暴力は起きない。彼らが到着した場所はウィーン・オペラ座で、そこではウィーンの上流階級の人々のための舞踏会が開かれている。その煌びやかで優雅な様を見ていると、外の殺気だった喧騒がまるで嘘のようだ。

しかし、しばらくするとバルトークは友人から呼び出され、国民投票を前にナチスオーストリアを統合することになるからすぐに逃げるようにと警告を受ける。

 

「ウィーンが踊り続ける限り、世界は終わらない」と先ほども妻に話したばかりのバルトークはすぐにはその言葉を受け止めることが出来ず、いたって楽観的な様子をみせる。それでもユダヤ人の彼は警告に従って妻を先に行かせ、自分は家に戻ると、ナチスに見つかってはいけない書類を燃やし始める。

 

その中には自分が公証人として管理する貴族の財産の暗号一覧もあった。彼は必要な暗号を懸命に暗記するが、その途中、ゲシュタポたちがやってきて捕えられてしまう。ナチス政権がオーストリアを占領した1938年のことだ。  

 

このように本作はふたつの異なった時間が交錯するという構成をとっている。船のシーンからフラッシュバックして過去が語られるのだが、時に時計の針が逆回転するショットがはまされたりもする。

 

ナチに囚われたバルトークの前に現れたのがゲシュタポのフランツ=ヨーゼフ・ベームだ。彼は暗号を教えたらすぐに家に返してやるというが、そんな言葉、信用できるはずがない。拒否すると、彼は“特別客”としてホテル・メトロポールの一室に監禁される。

 

他の部屋からは悲鳴のような声があがっている。バルトークも拷問を受けるに違いないとハラハラしながら見ていると、ベームは肉体的な拷問ではなく、精神的な拷問を加えて、彼を降参させようとする。自身は手を汚さず、相手の精神に大きな打撃を与えようというのだ。

それはサディスティックな彼なりの「美学」なのだ。

 

書物やワインを愛していたバルトークにとって新聞も本も一切与えられず、食事は毎日同じスープで、一日一本たばこが与えられるだけ。そんな生活がどれほど苦痛かは容易に想像することができる。勿論、外部との接触も一切ない。

 

バルトークは相手の手中にはまるものかと抵抗を続けるが、次第によりどころを失っていき、絶望へと追いやられていく。

 

一方、船内に場面が移るとバルトークはほかの華やかな客たちから見下されているのを感じる。そこにはあの気高く陽気で楽天的なバルトークの姿はもはやない。オリバー・マスッチは表情豊かにバルトークを演じ、彼が直面する絶望や葛藤など多くの複雑な感情を見事に表現している。  

 

船ではチェスの対局が行われている。バルトークは助言を与え、船のオーナーに認められる。これまでチェスの駒に触れたこともないというバルトークの言葉にオーナーは驚く。にもかかわらずなぜバルトークはチェスに精通しているのか。このあたりのことは上記の「あらすじ」に詳しく書いたのでここでは割愛する。ただ、ベームが監禁前のおしゃべりでチェスの話題を出したときに、バルトークは「退屈なプロイセン将兵のための娯楽」と一笑していたことを付け加えておこう。

 

ハンガリー人のチェス名人ミルコ・ツェントヴィッチと対局が始まったあたりから、物語は混沌とし始める。

今だと思っていたこの世界は本当に存在するのか、何が現実で本当のことなのか、信じていたものが一挙に崩れ始めるのだ。

二つの時代だと思っていたものがもしかしたら同じものなのではないかとさえ思えて来る。何しろ、ミルコ・ツェントヴィッチを演じている俳優はフランツ=ヨーゼフ・ベームを演じているアルブレヒト・シュッフなのだ(一人二役)。

 

そもそも、バルトークは妻と船に乗り込んだはずなのだが、二日目になると妻の姿はなく、船員たちは最初からバルトークは一人で船に乗り込んだと口をそろえて言い、彼を混乱させる。監督フィリップ・シュテルツルと脚本エルダー・グリゴリアンは、バルトークという人物が孤独で狂気に満ちた闘いの中で受けた精神的打撃をサスペンスフルに、かつ慈愛を込めて描いている。  

 

映画を観ている私たちもまた混乱を強いられるが、気づけばどっぷりとバルトークの精神世界に引きずり込まれている。

精神的拷問を受けた人の心を体感していく112分と言ってもいいだろう。そのため、観終えたあとどっと疲れることこの上ないが、最後に字幕で出るシュテファン・ツヴァイクの「精神が無敵だと信じなければならない」という言葉に本作の力強いメッセージが表われている。

ツヴァイクがこの作品を書いたあと、すぐに自殺したことを思うと、戦い続けることの困難さに暗澹たる思いを抱くが、彼が残した思いは、時代を超えて、こうして確かに人々へと伝えられていくのだ。

(文責:西川ちょり)

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