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【考察】映画『アステロイド・シティ』(ウェス・アンダーソン監督)あらすじと・感想/複雑な入れ子構造は何を描くためのものか⁉

独創的な世界観で映画ファンを魅了し続けるウェス・アンダーソン監督の最新作、『アステロイド・シティ』

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明るい希望の時代であると共に暗躍と欺瞞の時代でもあった1950年代アメリカを舞台に、隕石が落下して出来た巨大なクレーターが観光名所となっている「アステロイド・シティ」を訪れた人々たちを凝りに凝った構成で描いた偶像劇だ。

 

第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され好評を博し、アメリカ公開ではウェス・アンダーソン監督作史上最高の週末成績を記録。「ウェス・アンダーソン監督の最高傑作のひとつ」と高い評価を得た注目の一作だ。  

 

映画『アステロイド・シティ』作品情報

(C)2022 Pop. 87 Productions LLC

2023年製作/104分/アメリカ映画/原題:Asteroid City

監督:ウェス・アンダーソン 製作:ウェス・アンダーソン スティーブン・レイノルズ、ジェレミー・ドーソン 製作総指揮:ロマン・コッポラ、ヘニング・モルフェンター、クリストフ・フィッサー、チャーリー・ウォーケン 原案:ウェス・アンダーソンロマン・コッポラ 脚本:ウェス・アンダーソン 撮影:ロバート・イェーマン 美術:アダム・ストックハウゼン 衣装:ミレーナ・カノネロ 編集:バーニー・ビリング、アンドリュー・ワイスブラム 音楽:アレクサンドル・デスプラ 音楽監修:ランドール・ポスター

出演:ジェイソン・シュワルツマンスカーレット・ヨハンソントム・ハンクスジェフリー・ライトティルダ・スウィントンブライアン・クランストンエドワード・ノートンエイドリアン・ブロディ、リーブ・シュレイバー、ホープデイビス、スティーブン・パーク、ルパート・フレンド、マヤ・ホーク、スティーブ・カレル、マット・ディロン、ホン・チャウ、ウィレム・デフォーマーゴット・ロビー、トニー・レボロリ、ジェイク・ライアン、ジェフ・ゴールドブラム  

 

映画『アステロイド・シティ』あらすじ

(C)2022 Pop. 87 Productions LLC

1950年代。あるテレビスタジオで司会者が静かに語りだす。

「今夜の番組では新作舞台劇の制作過程をお見せします」

 

舞台のタイトルは『アステロイド・シティ』。「アステロイド・シティ」という架空の街に集まった人々を描く群像劇だという。この戯曲を書いた劇作家コンラッド・アープが、作品の舞台背景と登場人物を説明したあと、アステロイド・シティを通過する列車の映像が映し出される。

 

時は1955年。アメリカ中西部に位置する砂漠の街、アステロイド・シティ。紀元前3007年9月23日に隕石が落下して出来た巨大なクレーターが観光名所となっている人口わずか87人の街だ。

 

隕石が落ちた日を祝うため、ジュニア宇宙科学賞を受賞した5人の少年少女とその家族が招待されてこの街にやって来た。

 

戦場カメラマンのオーギーは科学賞を受賞した14歳の息子ウッドロウと3人の幼い妹と共にやって来たが、途中で車が故障して最後はレッカー車に引っ張られてようやく街に到着した。

 

本当は、妹たちを義父のスタンリーのところに連れて行き預かってもらう予定だったのだが、車が修理不能とわかり、義父に迎えに来てくれるように頼まねばならなくなった。電話に出た義父は子どもたちの反応はどうだったかと彼に尋ね、彼がまだ子どもたちに何も伝えていないことを知る。

タイミングを見て話せと義父は言うけれど、そんな都合のいいタイミングなどあるはずもない。実は彼の妻は闘病の末、3週間前に亡くなったのだ。

なんとか子どもたちにそのことを告げたオーギーだったが、幼い娘たちはまだ事態が呑み込めないようだった。

 

ダイナーで食事をしていると、見慣れた女性が座っていた。オーギーは咄嗟にカメラを構え、彼女を撮る。彼女は著名な映画スター、ミッジだった。彼女も科学賞を受賞した娘のダイナに付き添ってこの街にやってきたのだ。そのことをきっかけにオーギーはミッジと話をするようになる。

 

街には科学賞の招待客とその親以外にも、先生に引率されて来た10人の子どもたちや、旅回りのバンドメンバーたちの姿があった。

 

スタンリーが街に到着した時、3人の孫娘たちは、母の遺灰の入った入れ物をモーテルの間の一角に埋めようとしていた。スタンリーがそれを止めようとすると孫娘たちは一斉に抗議の声を上げた。スタンリーは仕方なくその場に埋めることに同意し、あとで掘り出して持ち帰ることを提案してようやく孫娘たちの同意を得ることが出来た。

 

夜になり授賞式が始まったが、その最中に宇宙船が到来し、宇宙人が姿を現した。皆が固まって凝視し続ける中、オーギーは思わずシャッターを切る。宇宙人は隕石を手に取ると宇宙船に戻り、そのまま飛び去った。

 

この出来事により、アステロイド・シティには軍隊がやって来て、街は封鎖されてしまう。軍隊は宇宙人出現の事実を隠蔽しようとしていた・・・。  

映画『アステロイド・シティ』解説と感想

(C)2022 Pop. 87 Productions LLC

独特な舞台装置と映像表現で知られるウェス・アンダーソンは、本作でも凝りに凝った舞台を作り上げている。

 

CGを使わない彼は、架空の街、アステロイド・シティのセットをスペインのチョンチョン郊外に実際に作り上げた。モーテルもダイナーもガレージも本物の建築物として建てられ、山も岩も実際に作られた。

青い空と黄色い大地が果てしなく広がる中、一台の貨物列車が進行していく。その列車には砂利、アボカド、ピーカン、トラクター、ポンティアックなどと一緒に10メガトンの核爆弾が積まれている(のちに街の遠くで核実験が行われキノコ雲があがっているのを見ることになる)。

モーテル(「空室なし」の文字)、ガレージ、ダイナーのある四つ角をカメラはゆっくりとなぞって円を描き、右手に移動して、巨大看板、さらにパンして、隕石の落ちた巨大なクレーターを映し出す。

時は1955年の9月23日。隕石の落ちた日の記念日にジュニア宇宙科学賞を受賞した5人の少年少女とその家族がこの街にやってくるところから物語は始まる。

 

とはいえ、実はこの物語は、コンラッド・アープという劇作家が、あるテレビ番組のために書き下ろした戯曲であり、本作の本当の始まりは、そのテレビ番組の司会者が画面に向かって直立不動に立ち、「今夜の番組では新作舞台劇の制作過程をお見せします」と語るモノクロの場面なのだ。

(C)2022 Pop. 87 Productions LLC

ステロイド・シティは架空の街だと言及される。画面に登場するアステロイド・シティは舞台のセットであり、この街にやってくる人々も、その役を俳優が演じているということになる。例えば、映画の出演者としてクレジットされているジェイソン・シュワルツマンは、舞台「アステロイド・シティ」に登場するオーギー・スティンベックという戦場カメラマンと、それを演じる俳優、ジョンズ・ホールの二役を担っているというわけだ。それはこの極彩色の舞台に登場する全ての俳優にあてはまる。

なんて複雑な構成なのだろう。

前作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』ではフランスで発行されているアメリカの新聞(勿論、架空)の別冊に掲載された記事3編を映像化したオムニバス映画という体裁の凝った作品だったが、今回の凝り方はそれ以上だ。

 

実際のところ、劇作家がテレビ局のカメラに向かって、アステロイド・シティの説明と登場人物を説明したあと、モノクロから極彩色に変わって始まる「本編」は、演劇の舞台裏には見えず、一編の映画作品である。なぜこのような複雑な「入れ子構造」になっているのかはあとで考察することにして、まず、この映画内舞台(映画)「アステロイド・シティ」について見ていこう。  

 

「アステロイド・シティ」は、ウェス・アンダーソンらしいカラフルでポップな世界が展開し、遊び心に満ちている一方で、沈痛ともいえる心の痛みが画面を静かに覆っている。とりわけ、ジェイソン・シュワルツマンが扮する戦場カメラマン、オーギー(を演じるジョンズ・ホールについては今は考慮に入れない)の哀しみは癒えることがない。彼は妻を3週間前に亡くしたばかりなのだ。

 

この作品に『グランド・ブダペスト・ホテル』の稚気に富んだ活劇的なものを求めると肩透かしを喰らうだろう。そこはかとない可笑しみが時折訪れるとはいえ、映画はほぼ全編沈痛な感情に覆われている。

 

「親しい人の死」はウェス・アンダーソン作品の大きなテーマの一つである。

ジェイソン・シュワルツマンウェス・アンダーソン監督の長編映画第二作『天才マックスの世界』(1998)で映画デビューを果たしたが、彼の演じたマックスは幼いころに母親を亡くしているという設定だった。マックスが名門校「ラシュモア」に固執するのは上昇志向、エリート志向というわけではなく、彼が7歳頃に書いたものを母が学校に送り、特待生となったという経緯ゆえだろう。劇中、彼が母親から送られたタイプライターを使用している場面が出て来るが、おそらく、母は、この問題児でもあるマックスをもっともよく理解し、その才能を最も早く評価していた人なのだ。その母を幼い頃に亡くし、7年が経った今もまだ彼はその喪失を埋められずにいる。また、マックスが恋をする女性教師も、夫を亡くしていて、その喪失感から立ち直ることが出来ないでいる。いずれも回想シーンなどは出てこないが、マックスのタイプライターや、教師の部屋に残された夫の手作りの品々が、彼らの哀しみを雄弁に物語っている。

2001年の『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』ではベン・ステラー演じるテネンバウムズ家の長男は、妻を事故で亡くし、息子たちもいつか事故で亡くすのではないかと恐れ神経症に陥っている。また、ダニー・グローヴァー扮する会計士のヘンリーは妻を癌で亡くしている。

その後の作品もほとんどと言って良いほど主人公たちは両親や配偶者など親しい人を失っている。何年経っても、その喪失感を埋められず、人生の中途で立ち止まっている人々が多く登場している。

 

天才マックスの世界』でマックスは、哀しみを忘れようとするかのように、数えきれないほどの様々な活動に打ち込み、初恋の教師の心をなんとか前に進ませようと画策していたが、「アステロイド・シティ」のジェイソン・シュワルツマンは、じっと動かない姿が多く見られる。  

 

彼の唯一の自発的行動はカメラのシャッターを押すことで、彼は劇中3回、シャッターを押す。一つは宇宙人を、もうふたつはスカーレット・ヨハンソン扮する俳優、ミッチ・キャンベル(を演じるメルセデス・フォード)を被写体として。

 

ジェイソン・シュワルツマンスカーレット・ヨハンソンは、互いが宿泊しているバンガローの窓越しに会話をする。2人の会話はまるで小津映画のような切り返しで行われるが、どちらもバンガローという小さな箱に収まっているのが可笑しみを誘う。

ヨハンソンの方は入浴や、演技の練習などをほぼ無表情で淡々とこなしているのに対し、シュワルツマンはただ正面を向いてじっと座っているだけだ。

彼の頭の中には、これからどうするのかという悩みも含まれているはずだが、それでも彼の佇まいから判断すると、ひたすら哀しみにくれているように見える。「時がすべてを癒す、なんてことはない」と彼は述べている。コミカルな宇宙人登場も、被写体にはなっても彼の助けにはならない。

(C)2022 Pop. 87 Productions LLC

そんな中、劇中内劇(映画)「アステロイド・シティ」が終盤を迎えた際、突如シュワルツマンがジョンズ・ホールとして立ちあがり、エイドリアン・ブロディ扮する演出家に演技上の疑問を投げかけるために、現場を飛び出し、モノクロの世界へと足を踏み入れるのだ。

 

演出家と話を交わしたあと、彼は頭を冷やしに、テレビ局の一番端のバルコニーに出る。そこで彼は、その隣の劇場の芝居に出演している女性(マーゴット・ロビー)と再会する。彼女は、オーギーの妻役で「アステロイド・シティ」に出演する予定だったのだが、彼女のシーンは全てカットされてしまったという。

 

死者である彼女がこれからも生きていくオーギーに対してかけた言葉がここで披露される。それは死者からの励ましの言葉だ。本作の複雑な入れ子構造は何よりもこのシーンへと導くために緻密に構成されたものだったのだ。

 

生前に死者が遺していたものがあった時を別にして、当然ながら人間は死者からのメッセージを通常受け取ることはできない。だからこそ、映画があり、演劇があり、小説があるのではないか。

これまでのウェス・アンダーソン作品で演劇や小説が度々、重要な役割を果たして来たことに異論はないだろう。

そうしたものが奏でるふとした表現が、ふとした台詞が、ふとした景色が、誰かの励ましになり、誰かの心を揺さぶるかもしれない。  

 

それは必ずしも求めて得られるものではなく、癒しというものに簡単にたどりつけると思ったら大間違いだと叱られてしまうことかもしれないが、それでも誰かの何かになるかもしれない、その可能性はゼロではないかもしれないという思いが、映画『アステロイド・シティ』には込められているのではないだろうか。

 

おそらく、非常に慎ましく控えめに、かつ「目覚めたければ眠れ」と強く繰り返されるメッセージと共に、映画『アステロイド・シティ』は一心に哀しみにうちひしがれた人々の方を向いているのだ。

(文責:西川ちょり)

 

 

 

 

 

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