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映画『哀れなるものたち』あらすじと感想/支配・束縛からの解放をエマ・ストーン扮するヒロインの冒険譚として描く

19世紀ロンドン、天才外科医のマッドサイエンス実験で蘇った若き女性ベラは、未知なる世界を知るため、大陸横断の冒険に出る―。

 

女王陛下のお気に入り』(2018)のヨルゴス・ランティモス監督エマ・ストーンが再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイが1992年に発表した同名小説を映画化。

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エマ・ストーンがヒロイン、ベラ・バクスターに扮し、天才外科医のゴドウィン・バクスターウィレム・デフォー、放蕩弁護士のダンカン・ウェダバーンをマーク・ラファエロ、ゴッドウィンの助手マックス・マッキャンドレスをラミー・ユセフが演じている。

 

2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で最高賞の金獅子賞を受賞。第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、脚色賞など計11部門にノミネートされた注目の一作だ。〔追記:主演女優賞(エマ・ストーン)、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞〕  

 

目次

映画『哀れなるものたち』作品情報

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

2023年製作/142分/R18+/イギリス映画/原題:Poor Things

監督:ヨルゴス・ランティモス 製作:セシ・デンプシー、エド・ギニー、リー・マジデイ、ヨルゴス・ランティモス 原作:アラスター・グレイ 脚本:デボラ・デイビス、トニーマクナマラ 撮影:ロビー・ライアン 美術:フィオナ・クロンビー 衣装:サンディ・パウエル 編集:ヨルゴス・モブロサリディス 音楽:ジャースキン・フェンドリックス

出演:エマ・ストーンウィレム・デフォー、マーク・ラファエロ、ラミー・ユセフ、ジェロッド・カーマイケル、クリストファー・アボット、スージー・ベンバ、キャサリン・ハンター、ピッキー・ペッパーダイン、マーガレット・クアリー、ハンナ・シグラ

 

映画『哀れなるものたち』あらすじ

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

天才外科医のバクスターの手によって胎児の脳を移植されたベラは、不幸な死からよみがえり、バクスターの保護のもと、大切に育てられる。

 

食べ物を吐き出したり、高価な皿を次々と割ったりという幼児期を通過し、ベラは外の世界に興味を持ち始めた。

 

外は危険が一杯だというバクスターに対し、どうしても外に出たいとダダをこねるベラ。ベラを説得することに失敗したバクスターは助手のマックス・マッキャンドレスと共にベラを蒸気馬車に乗せてピクニックに出かけた。馬車で帰宅途中、ベラはっ慎重に閉じられたカーテンをめくって外の景色を眺め、アイスクリーム売りを見つけて自分も食べたいから馬車を停めてと泣き叫ぶ。手を焼いたバクスターはベラにクロロホルムをかかせて眠らせてしまう。

 

やがてベラは性の欲望に目覚める。バクスターはそんなベラの様子を見て、ベラとマックスを結婚させようと考える。

 

バクスターに呼ばれて結婚に関する契約書を作りにやってきた弁護士のダンカンは、バクスターに隠れてベラに会いに行った。バクスターがベラをほとんど監禁状態にするつもりでいることに興味を覚えたのだ。

 

ダンカンに外の世界をもっと見ようと誘惑されたベラはバクスターを説得してダンカンと共に大陸横断の旅に出た。

 

リスボンに到着した二人は「熱烈ジャンプ」に明け暮れる。初めての世界で様々な事柄を吸収していくベラは次第にダンカンの手に負えなくなっていく。

 

ベラを自分の手元に置いておきたいダンカンはベラを騙して豪華客船に乗せてしまう。これなら外には行けないだろう。しかしベラは老婦人のマーサと黒人青年ハリーと交流を深め、読書をするようになり、ぐんぐんと知識を身に着けていく。

 

アレクサンドリアで停泊した際、世界を見たいと言うベラにハリーは本物の世界を見せてやろうと、貧民窟を頭上から見られる場所に連れて行く。そこでは子供は飢えて死に、大勢の人々が虐げられていた。

 

ショックを受けたベラは自分が恵まれていることを知り、ふらふらと船室に戻る。ダンカンがカジノで大勝した金をまき散らしたままベッドで眠っていた。ベラは散らばった札を集め缶にしまうと、船を降りようとして船員に止められる。

 

困った人たちにお金を渡したいのだと言うと、ひとりの船員が私たちは降りるので渡しておきましょうと言う。ベラは喜んで札束の入った缶を渡してしまう。

 

こうして文無しになったベラとダンカンはパリで客船を下ろされ、ベラは娼館で働くことにした。そんなことは絶対許さないとダンカンは激怒。ベラは出発前にバクスターが困った時に、と用意してくれた金を全てダンカンに渡してやる。

 

ベラは娼館で独り働き始めるが、これまでとは違う世界が待っていた・・・。  

 

映画『哀れなるものたち』解説と感想

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

(ラストに触れています。ご注意ください)

 

19世紀の架空のロンドン。

拙くピアノを弾いている(というより叩いている)エマ・ストーン扮するベラを背中から前に回りこんで撮り、次いで階段を下りてくるウィレム・デフォー扮するバクスターの脚を捉えたショットへ。ベラに歩み寄って行く彼の後ろ姿を思いっきりローアングルで捉えたのち、やがて光景はアイリスイン/アウトのような黒い背景の中央の覗き穴のような丸い枠内におさめられる。その覗き穴は次のショットでは同じ大きさの円形の鏡にとって代わり、食堂に座るベラたちがそこに映っている。

 

バクスターは外科医だが、同じく外科医であった父親に実験台にされて体を切り刻まれたために、ちょっとばかり常人とは違う身体の特徴がある。そのため、食事後は、げっぷであろうか、大きなシャボン玉のような球体を口から出している。球体は少し上昇したかと思うとシャボン玉がはじけるように破裂する。

 

また、映画は魚眼レンズを多用して、ベラたちの屋敷や、その後、ベラが冒険する各所を歪曲に捉えて見せる。『哀れなるものたち』にはそこかしこに、このような丸い、円形のイメージが溢れている。

 

この丸さ、円形のイメージが何かの象徴なのかはいろいろな解釈があるのだろうが、少なくとも、ヨルゴス・ランティモス監督の2015年の作品『ロブスター』のような棘々した痛々しさは本作では感じられない。また、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2017)で、家族の中から犠牲者を決める究極の選択として使用される円環ほど悲痛なものでもない。

 

上記の二作に流れていたようなサディスティックな趣は、本作ではバクスターの父がバクスターに取った異常な行為のエピソードに集約されていて、それらは実際には描かれない。バクスターはマッド・サイエンティストではあるが、ベラにとっては愛すべき「ゴッド」であり、暖かな性根の好人物として描かれている。

 

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

 

見かけは大人だが、振る舞いや言動は子供であるベラは、実は自殺を図った女性の脳に、身籠っていた子供の脳を移植するという実験の産物である。

 

女性は蘇生できたかもしれないが、一度死のうと決心した人間を生き返らせるのは気の毒だったし、こんな身体はなかなか手に入らないものだとバクスターは助手のマックス・マッキャンドレスに、実験を行った経緯を述べている。

やっていることは無茶苦茶なのだが、実際、この女性が息を吹き返して家に戻ったとしても不幸なだけで彼女はまた同じことを選択したのではないか。いや、寧ろ、あの夫に外に出ないよう幽閉されもっとひどい目にあったかもしれない。

とまぁ、それは詭弁だとしても、ベラは社会規範に囚われない自由な人間のまま順調に成長していく。奇しくも男性優位社会で抑圧されてきた女性が、何物にも束縛されない自由な女性へと生まれ変わっていくわけだ。

 

やがてベラは性に目覚め、彼女を手元に置きたいバクスターは、マックスと結婚させようとする。だが、好奇心と探求心の塊であるベラは弁護士で詐欺師のダンカン・ウェダバーンの誘惑に心をくすぐられ、彼とともに大陸横断の旅に出るのだ。

性に目覚めた彼女にとってダンカンは快楽で結びつくうってつけのパートナーに見えたが、彼女は伝統的なビルドゥングスロマン教養小説)方式で成長し、新たな認識を獲得していく。世界の残酷さを知り、金を稼ぎ自活することを知り、性産業の暗部と搾取を知り、社会主義を学び、最終的には医師になる決心をするのだ。  

 

その旅=冒険のシークエンスは、見事なプロダクション・デザイン、緻密な衣装なども相まってどれもすこぶる興味深く愉快なものだが、その中でも特筆すべき場面は、ダンスフロアで優雅な踊りが行われている中、ベラが、その流れとはまったく別の踊りを初めて、ダンカンがあわてて彼女に駆け寄り、普通のダンスに導こうとする場面だ。

だが、ベラは決して、ダンカンの動きに合わすことなく独自の動きを続ける。ダンカンはやっきになって型通りのダンスをしようとベラを振り回すが、ベラは従わない。あくまでもベラを自分の支配下に置きたいダンカンとそれに「NO」をつきつけるベラ。その姿は、女性が家父長制社会に敵対し、自由な意思と体を獲得していく過程そのものだ。

そしてベラが自由人であればあるほど、彼女を規範内に納めようとする男性の滑稽さが「哀れなるもの」として際立ってくるのだ。

 

この時、踊りながら格闘しあっているベラとダンカンを囲むようにペアになった何組かの男女が円を作って優雅に踊っている。本作には様々な円環のイメージが溢れているのだが、ここでの円環は、とりあえず、世界が無事に回っているという、いわゆる円満な社会の象徴といえるものだろう。

けれど、円満であることが正しいのかというと、この世は多くの矛盾をはらんでいて、誰かの犠牲によって回っているものでもあるのだ。ベラのようにその円を乱していく人がいて、改善していかなければ、円満で問題ないと思われていたその「円」は、バクスターのげっぷのようにいつかパシャっと潰れてしまうだろう。

(文責:西川ちょり)

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