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【4Kレストア版】映画『台風クラブ』あらすじと感想/中学生という年頃特有の不安定な感情の爆発を台風の到来と共に描いた相米慎二監督の代表作

近年、急速に国際的な再評価が高まっている相米慎二監督。

相米監督が1985年に制作した映画『台風クラブ』の4Kレストア版が、現在、全国の映画館で順次公開されている。

大人と子どもの中間にあたる中学生という年頃特有の不安定な感情の爆発を、台風の到来と共に描いた相米慎二の代表作の一つだ。

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細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』(2012)や池田エライザの『夏、至るころ』(2020)では、作中、『台風クラブ』のオマージュ的なシーンが展開するように、初公開から60年が経った今も映画界に与える影響は計り知れない。  

 

映画『台風クラブ』作品情報

(C)ディレクターズカンパニー

1985年製作1 /115分/日本映画

監督:相米慎二 脚本:加藤祐司 企画:宮坂進 製作:宮坂進 プロデューサー:山本勉 撮影:伊藤昭裕 美術:池谷仙克 音楽:三枝成彰 録音:中野俊夫 照明:島田忠昭 編集:冨田功 助監督:榎戸耕史 スチール:安保隆

出演:三上祐一、紅林茂、松永敏行、工藤夕貴大西結花、会沢朋子、天童龍子、渕崎ゆり子佐藤允寺田農伊達三郎小林かおり、きたむらあきこ、石井トミ子、鶴見辰吾、尾美とりのり、三浦友和  

 

映画『台風クラブ』あらすじ(ネタバレあり)と感想

(C)ディレクターズカンパニー

夜のプール。水泳帽をかぶった少年が顔を出す。少し泳いでは頭をあげる。三回ほど繰り返すのを少年の背中側から撮っている。もぐったままのところでタイトルが出る。

静けさは別の侵入者によっていきなり破られる。プールサイドの横の土手を走ってやって来たのは水着を着た少女たちだ。彼女たちはバービーボーイズの「暗闇でDANCE」に合わせてプールサイドで踊り始める。少女たちはすぐにプールに少年がいるのに気が付く。

画面変わって野球のユニフォームを着た少年が二人、町中を走っている。彼らが学校の脇を通りかかったとき、水着姿の女子の一人に呼び止められる。彼らは導かれるままプールサイドへ。水着の男子がおぼれたらしくプールサイドに寝かされている。野球少年の一人、三上(三上祐一)が、周りが見守る中、人工呼吸を始める。

少年は息を吹き返し、その時には女子生徒から連絡を受けた担任の梅宮(三浦友和)がすでに来ていて、「勝手にプールにはいるなって言ってるだろう。お前ら」と叱りつけている。「一体何されたんだ?」という三浦の質問に、少年はへらへらしながら、話し始めるのだが、その後に続くのは、コーナーロープで首元をぐるぐる巻きにされた少年が、何度も何度も少女たちに水に沈められるという異様な光景であった。少年がにたにたと笑っているので、誰も事の重大さに気が付いていないようだが、一歩間違えれば死んでいてもおかしくない状況である。

 

まだ中学生であるがゆえの無邪気さと無知な残酷さと、大人への階段を上がる不安定な気持ちが画面に漲り、ひりひりとした緊張感が全編に漂っている。

 

団地で暮らす理恵(工藤夕貴)はクラスメイトの三上の名前を呼び、階段を駆け下りていく。画面奥の小さな広場にいた三上をみつけ、ふたりが手をつないで学校へ向かうこの一連の動きを相米作品特有の長回しで撮っている。

教室の窓から向かいの校舎の教室の様子が見えている。数学を教えている梅宮が「真剣に聞けよ」と言い、その通りに真剣な面持ちで聴いている美智子(大西結花)にカメラがよっていき、その美智子を斜め後ろの席から切なさそうに見ている建(紅林茂)、その横で鉛筆を鼻に突っ込んで遊んでいる明(松永敏行)へと移動する。

山を背景に緑の田園が広がる学校周辺。そのあぜ道を歩いてくる三人の大人たちをカメラは引きの画面でとらえる。やがてその大人は教室に乱入してきて、梅宮の素性を生徒にばらしていく。なんだかいやな感じが生徒たちの間にじわりと広がっていく演出が素晴らしい。  

 

中学生特有の自意識過剰と、大人になっていくことへの不安と嫌悪が台風到来とともに一気に膨れ上がる。「台風来ないかな」という理恵のつぶやきは、切実なつぶやきであり、彼女たちは日常の息苦しさからの脱却を無意識に求めているのだ。

 

美智子は三上と理恵が戯れている様子を静かにみつめながら、さっと踵を返し、別の方向の窓を開ける。その表情をカメラは外からしっかり捉えている。翌日、美智子は三上の席に行き、開いている窓を閉める。彼女は担任に抗議をしようと三上を誘う。三上はその言葉には関心を示さず立ち上がって窓を開ける。窓の開け、閉め、それはまるでプールで泳いでいる際の息継ぎにも似ている。台風直撃の夜、「結婚」というものに取り込まれてもはや人生を引き返せなくなった梅宮が、恋人の叔父の背中の紋々をチラ見するシーンは笑いを誘うが、彼がわざわざガラス戸をあけて雨にさらされるのは息苦しさが頂点に達したからに違いない。

美智子が授業に遅れてきた梅宮に向かって「昨日のことを説明してください」と迫るところから、教室内の三箇所で揉め事が同時に起こるのをワンカットで撮っている。並みの作り手なら一つの騒動しか描けないだろう。ここでは後ろの方の席で殴り合いしている建たちの他にも前方の廊下側でもいさかいが起こっていて、その反対側では、女子生徒たちが美智子に詰め寄っている。些細な出来事と一つの暴力によって怒りの衝動が連鎖して子どもたちの不安定な感情が激しく立ち上がる。その騒ぎのあと、カメラは中途半ぱに開いた窓ガラスの外側から、そこへ近付いてくる明をとらえる。途端、どっと雨が降りだす。明は「僕が一番初めに雨を観た」とつぶやく。これまで人一倍子どもに見えた明の別の顔がそこにある。

台風の日に学校に残っていた建と美智子の気持ちがすれ違って建が衝動的に大西を追いつめていくシーンはこの映画の中で最もショッキングな場面である。職員室に逃げ込んだ大西はドアを背にして彼の侵入を拒むが、彼は廊下側から「ただいま、おかえり」とつぶやき続けながら、足で扉を蹴り続ける。カメラは内部に回って震える大西をとらえながら、扉の一部が破損していく様子を映し、今度はその隙間から外へ出て、さらに蹴り続ける建の上半身をとらえる。思慕の気持ちが突然暴力に代わり、計り知れない少年の闇の部分を見せられた思いがする。二人は同時に泣き(これはそこへ現れた三上の言葉「二人で泣いてたんじゃないか」による)、忽然と和解する。

台風がもたらす昂揚感と開放感の中で、学校に取り残された(わざと残った)6人は裸になって体育館でラインダンスを踊り、雨のやんだ校庭に飛び出して「もしも明日が」を大声で歌ってはしゃぐ。

一方で寝坊したために三上に置いてけぼりをくらっていつものルーティンワークを失った理恵は衝動的に家出をして原宿へ出かける。大学生と名乗る男に連れられて彼のアパートまで行くが、髪に触れられ、逃げるように大雨の外へと飛び出していく。嵐の中でひっくり返り、夜明けの商店街でオカリナを吹いている奇妙な男女に出会い、台風で不通になっている駅で往生する。  

 

そんな彼女の行動を理解できないことに悩んでいた三上はまさに中二病としか呼べない理由によって高く階段のように積み重ねた机に乗って一番高い窓から外へと身を投げる。あわてて校庭に飛び出した他の五人が観たものは、雨で出来た湖のような水たまりに足二本だけ突き出たまるで「犬神家の一族」のような三上の姿で、彼が意図したものとは真逆な光景に沈黙するしかない。

台風一過。漸く地元の駅に辿り着いた理恵は自身の家よりもまず学校へと向かう。明と出会い、学校は今日は休みだと告げられる。台風のあとに出来た校庭の湖がきらきらと光り「金閣寺みたい」と工藤は無邪気に叫んで二人は校庭を歩いていく。嵐の後。爽やかすぎるくらいの景色と、無邪気な中学生に戻ったような二人。まもなく彼らは嵐の「痕」に気付くことになるのだろうか。

 

今の時代には倫理的な理由などで表現できないであろう場面が多々見られる本作だが、恐らく、本作で描かれた中学生の頃の得も言われぬ息苦しさは、勿論、個人差はあるとはいえ、時代を超えて共通する感覚なのではなかろうか。相米慎二の数あるマスターピースの中でもとりわけ『台風クラブ』が時代を超えた共感を得ているのはそれ故だろう。

健が美智子に加える一連の加害と、その後の2人の関係に初公開時はひどく違和感を覚えたものだが、二人に起こったことは今回見直してみて、現実と妄想が入り混じった、どこまでがリアルでどこまでが虚構なのか判然としないものであるように感じられた。オカリナの男女の部分だけがひどく唐突に非リアルなものとして出現したように見えるが、作品全体に中学生のリアルと妄想が混在しているという解釈も十分可能だろう。それにより、なお一層、彼ら、彼女たちが抱える根源的な不安が見えて来るのだ。

(文責:西川ちょり)