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映画『熱のあとに』(山本英監督)あらすじと感想/実話を元に橋本愛主演で描く一途で激情的な「愛」の形

愛するあまり、恋人を刺し殺そうとした過去を持つ女性が、事件から6年を経て尚、「愛」に囚われ懸命にもがく姿を描いた映画『熱のあとに』

 

2019年に起きた新宿ホスト殺人未遂事件から着想を得た作品で、『夜が明けたら、いちばん君に会いに行く』(2023)のイ・ナウォンが脚本を担当し、東京藝術大学大学院映像研究科の終了作品『小さな声で囁いて』(2018)が国内外の映画祭に正式出品された山本英が監督を務めた。

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主人公の沙苗を『PARKS パークス』(2017)、『私をくいとめて』(2020)の橋本愛、沙苗の過去を受け入れる結婚相手の健太を『すばらしき世界』(2021)、『泣く子はいねぇが』(2020)の仲野太賀、謎の隣人である足立を『わたし達はおとな』(2022)の木竜麻生が演じている。  

 

目次

映画『熱のあとに』作品情報

(C)2024 Nekojarashi/BittersEnd/Hitsukisya

2023年製作/127分/日本映画

監督:山本英 脚本:イ・ナウォン エグゼクティブプロデューサー:川村岬、定井勇二 プロデューサー:山本晃久 アソシエイトプロデューサー:天野恵子 ラインプロデューサー:中川聡子 撮影:渡邉寿岳 照明:及川凱世 録音:織笠想真 美術:松永景子 装飾:野村哲也 衣装:石原徳子、馬場恭子 スタイリスト:石原徳子、馬場恭子 ヘアメイク:山口かな子、タナカミホ 小道具:五嶋望友、村山侑紀奈 リレコーディングミキサー:野村みき サウンドエディター:大保達哉 編集:大川恵景子 音楽:岡田拓郎 助監督:川井隼人 スチール:木村和平

出演:橋本愛、仲野太賀、木竜麻生、坂井真紀、木野花、鳴海唯、水上恒司、楽駆、佐久本宝、松澤匠、アベラヒデノブ、望月めいり、田中佐季、中山求一郎

 

映画『熱のあとに』あらすじ

(C)2024 Nekojarashi/BittersEnd/Hitsukisya

愛するあまり、恋人でホストの隼人を刺し殺そうとした過去を持つ女・沙苗。

 

事件から6年の時が経ち、出所した沙苗は、母の勧めるお見合いで林業に従事する健太と出会う。健太は沙苗の過去をまるごと受け入れ、二人は結婚。平穏な生活を送り始めた。

 

東京の神経内科で定期的に受けているカウンセリングを終えて戻って来た沙苗に向かってひとりの女が「やっと会えた」と近づいて来た。

 

女は足立という名で、健太はその日、仕事で彼女の家の道路に面した木を伐採し、東京に行くという彼女を車で送ってやったのだ。

 

沙苗は自分のことを足立に話したのかと健太に尋ねるが、健太は否定する。だが足立は沙苗のことを確かに知っていた。

 

沙苗の燻っていた隼人への愛が再び燃え始めようとしていた。

 

ある日、沙苗は指輪を排水溝に落としてしまう。工具を買うためホームセンターを訪れた沙苗はそこで偶然足立と再会する。

 

足立に誘われて農園に行った沙苗は彼女と会話を交わす中で、彼女が隼人の妻だということを知り愕然とする。隼人は事件以来、行方がわからなくなっていた。

 

夜、対岸の光に誘われるように、沙苗は湖に入っていく。彼女を探していた健太は湖を進んで行こうとする沙苗に気付き、暴れる彼女をなんとか連れ戻した。

 

健太は沙苗がおかしくなったのは足立のせいだと考え、引っ越しを決意する。引っ越さなくてもいいと言う沙苗に健太は早苗が隼人に1000万円も貢つぎ、金を用意するために体まで売っていたことを問い詰め、騙されていたのだと責めるが、沙苗は騙されたとは思っていないと言い返す。

 

沙苗が足立の家を訪ねると、彼女は外出するところだった。一緒に行った先は教会で、告解室でふたりは対峙する。足立の隼人に対する姿勢は愛ではないと話す沙苗に、足立は「現実をバカにしないで。愛は終わったの」と応えた。

 

ふらふらと交番に入って行った沙苗は、泣きながら捕まえてくれと頼み、しばらくして警察から連絡を受けた健太が迎えにやって来る。家に戻る途中、健太は「もう無理だ」と呟くと、一人で飲みに出かけてしまうが・・・。  

 

映画『熱のあとに』解説と感想

(C)2024 Nekojarashi/BittersEnd/Hitsukisya

「愛」とは何か、「人を愛する」ということはどういうことなのか。橋本愛扮する沙苗は、かつて刺し殺そうとした恋人への変わらぬ愛の気持ちをなんとか言葉にしようとしてもがき、自身の「愛」の気持ちをなんとか他者に伝えようとしてもがき苦しむ。

 

劇中、彼女は何度か「ねぇ聞いて」、「聞かせて」、「聞いたらわかってもらえる」という言葉を発し、「愛」に関するコミュニケーションを取ろうとする。だがそうすればするほど、相手と気持ちが乖離していく。

夫の健太(仲野太賀)にしてみれば、沙苗は悪いホストに騙されて金を搾り取られた寧ろ被害者としか考えられないし、男の妻である足立(木竜麻生)にとって沙苗は現実が見えず過去に囚われている哀れな片思いの女に過ぎない。沙苗が言う「愛」は彼らには「執着」にしか見えない。

 

沙苗はカウンセリングを受け、医師(木野花)の問いかけに答えていく中で、「本当に生きている自分が過去に存在したことが前提にあり、今は臨時的に生きているだけ。夫のことは好きだが表向きに過ぎない」と述べている。彼女の思考は観念的で、哲学的でさえある。終盤には苛立つあまり、医師に対して、ズレがなぜ起きるのか、なぜ受け入れてもらえないのか、先生は心の専門家なのだから説明して欲しいと激しく詰め寄っている。

このように沙苗が「愛」を伝えることを全てにおいて失敗することで、「愛」というものの得体の知れない深さが露になってくるのが本作なのである。

 

沙苗が、愛した相手のエピソードの一つとして、余命三ヶ月のおばあちゃんが店に来た時、彼がちゃんと向き合って葬式にも行ったことを上げ、誰にでも優しくできる人だと健太に語る場面がある。恐らくそれが沙苗が彼を本気で愛するようになったきっかけの一つだったのだろう。健太には理解できなくても何かが沙苗の心を貫いたのだ。

「愛」とは盲目で身勝手なもので、それを他者に理解させようとする行為自体が愚かしくもあるのだが、それが判らないのも「愛」の渦中にあるせいなのだ。タイトルにある通り、まさに沙苗は「熱」に浮かされた状態にあるといえるだろう。

 

一方で、沙苗が「表向きに過ぎない」という健太との生活に関しても、映画は丁寧な描写を重ねている。お見合いをした日、「木を見に行こう」と健太が誘い、二人を乗せた車はトンネルを走行していく。出口から溢れんばかりの光が注いでいるのが見える。出口というよりはまるで新しい世界に通じる光の塊のようだ。

 

すぐにふたりは結婚することになり、婚姻届けを出した市役所で記念撮影をするのだが、これまでずっと仏頂面だった沙苗がここで一瞬にこっと微笑むのだ。健太のことが好きだという彼女の言葉を証明するシーンであり、本作の中でもっとも幸せな場面と言っていいだろう。  

 

しかし、彼らの具体的な日常の営みはあえて描かれず、夜、眠れない沙苗を描写するシーンが何度か登場する。沙苗は前述したように愛について思考し、愛について語ろうとして粉砕を繰り返す。そこで彼女が歩むのが、トンネルの出口から注ぐ光と同様、夜の闇の中で輝く灯りである。

 

湖の対岸の灯りに誘われるかのように入水して進んで行く沙苗。また、暗闇の中、煌々と光る交番に吸い寄せられて行くように入って行く様子など、まるで彼女は明かりに引き寄せられるちっぽけな昆虫であるかのようだ。

 

過去の出来事を全て受け止めてくれている夫がいるにもかかわらず、過去の恋人が現れるや躊躇なく走っていく沙苗の姿は濱口竜介監督の『寝ても覚めても』(2018)で唐田えりかが演じたヒロイン・朝子を彷彿させる。

そしてあれほど狂おしく囚われていた「愛」が冷める時が忽然とやって来るのも二作に共通する点である。

 

映画の序盤から、沙苗と健太は極力、顔を合わさないように描かれている。車内のシーンでは、カメラは運転席と助手席に乗っている健太と沙苗の横顔を交互に撮っているし、フロントガラス越しに二人が並んでいるショットもあるにはあるが、その時、二人はまっすぐ前を向いている。健太が指輪を渡す場面は沙苗の首から下しか映されていない。ラストシーンを導くため、細やかな構成がなされているのだ。

 

二人が60秒見つめ合うラスト。二人が道路の中央で車を停めたせいで渋滞が起こっている。最後までなんて人騒がせなことか。でもそれもいたしかたないことなのだ。だって「愛」とはそういうものなのだから。

(文責:西川ちょり)

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