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映画『セーラー服と機関銃』あらすじと解説/空前のヒットを巻き起こし薬師丸ひろ子の人気を決定づけた相米慎二の代表作

普通の女子高生、星泉はひょんなことから弱小やくざの組長を襲名することとなったが・・・。

 

薬師丸ひろ子主演の映画『セーラー服と機関銃』は公開当時(1981年)、絶大な支持を得て大ヒットを記録。薬師丸ひろ子が歌った主題歌「セーラー服と機関銃」もオリコン週間1位を獲得するなど大ヒットとなり、薬師丸のアイドル人気を一気に高めることとなった。

 

赤川次郎の同名小説を田中陽造が脚色。相米慎二が監督を務め、『翔んだカップル』(1980)に続いて薬師丸ひろ子とタッグを組んだ。撮影は村川透監督の「遊戯シリーズ」や、角川映画を多く担当した仙元誠三。

 

『セーラー服と機関銃』は、その後、たびたびリメイクされ、1982年にはTBS系列で原田知世主演の連続テレビドラマが放送を開始し、2006年には長澤まさみ主演のドラマ(TBS)、2016年には橋本環奈主演で映画『セーラー服と機関銃 -卒業-』が製作された。

 

目次

 

映画『セーラー服と機関銃』作品情報

(C) KADOKAWA 1981

1981年製作/112分/日本映画/配給:東映

監督:相米慎二 原作:赤川次郎 脚本:田中陽造 撮影:仙元誠三 製作:角川春樹、多賀英典 プロデューサー:伊地智啓 美術:横尾嘉良 音楽:星勝 主題歌:薬師丸ひろ子(作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお)録音:紅谷愃一、信岡実 照明:熊谷秀夫 編集:鈴木晄 アシスタントプロデューサー:山本勉 助監督:森安建雄 スチール:正木輝明

出演:薬師丸ひろ子、渡瀬恒彦、風祭ゆき、三國連太郎、大門正明、林家しん平、酒井敏也、柳沢慎吾、光石研、岡竜也、柄本明、佐藤允、北村和夫、寺田農、藤原釜足、円広志、斎藤洋介

 

映画『セーラー服と機関銃』あらすじ

(C) KADOKAWA 1981

弱小で知られる目高組の組長が、血縁者を跡目にするようにと言い残して他界。一方、女子高校生の星泉は、交通事故で死んだ父の葬式で最後の別れを惜しんでいた。母は遠い昔に亡くなっており、彼女はとうとう天涯孤独になってしまったのだ。

 

ところが泉のマンションにマユミという女が転がり込んで来る。彼女は「もし自分が死んだら泉をよろしく」という父の手紙を持っていた。

 

翌日、泉が通う学校の校庭の片隅に黒いスーツを着た大勢の男たちが微動だにせず並んで立っていた。生徒たちはその雰囲気に呑まれて、前を通るのをためらっていたが、泉はなぜ通ったらいけないのとばかり、堂々と通り過ぎようとした。その時、男の一人が「星泉さんですね」と声をかけて来た。そのまま泉は車に乗せられ、彼らの事務所に連れて行かれる。

 

大勢いた黒服の男たちはほとんどがアルバイトで、目高組には四人しか組員がいなかった。泉は唯一の血縁者であり、目高組四代目組長を襲名してほしいと彼らは頭を下げたが、泉は即座に拒否。それなら組を解散し、殴り込みをかけて潔く散ろうと彼らが話すのを耳にして、泉は慌てる。彼らを死なせないようにするために泉はしぶしぶ組長になることを承諾した。

 

ヤクザの親分になったことで泉は学校を退学処分になってしまう。泉は組員の佐久間に連れられて、大手ヤクザ組織の浜口のところに挨拶に行くことになった。浜口は泉が組長になったと聞かされて笑いだすが、佐久間は動じない。

 

数日後、泉のマンンョンが何者かにひどく荒らされる事件が起こった。犯人は何かを探していたようなのだが、それが何なのかさっぱり見当がつかない。黒木と名乗る刑事によれば、どうやら麻薬が絡んでいるらしい。しかも彼は亡くなった泉の父が麻薬の運び屋だったと言うではないか。泉はにわかに信じることが出来なかった。その日を境に、マユミが姿を消してしまう。

 

麻薬と関連しているのか、暴力団同士の争いか、目高組のヒコと明が相次いで殺されてしまう。泉もまた「太っちょ」と呼ばれるヤクザのボスのところに連行された。彼女はそこで地雷の上に乗せられ、落ちたら爆発するという恐ろしい目に遭う。もうダメだと観念したとき、マユミが現れた。実は彼女は「太っちょ」の娘だったのだ。彼女のおかげで泉は危機一髪で難を逃れた。

 

そこに黒木がやって来る。実は彼は悪徳警官で、太っちょと組んで麻薬の密売に関係していた。父が亡くなった日、黒木は成田空港で麻薬を受け取っていた。捜査官に疑われたため、近くにいた泉の父親の鞄に咄嗟に麻薬を入れたのだが、父親は車にはねられて死んでしまった。マユミはいち早く麻薬の存在を知り、溶かしてローションの瓶にしまい泉の家に隠したのだ。

 

黒木はマユミから真相を明かされ、麻薬入りのローションの瓶を取りに泉のマンションに行くが、そこで松の木組に襲われ、麻薬を横取りされた挙句、命まで奪われてしまう。

 

泉と佐久間たちは、事件の黒幕である浜口物産に殴り込むことを決意するが・・・。

 

映画『セーラー服と機関銃』感想と評価

映画『セーラー服と機関銃』は、ヤクザ映画、アイドル映画、青春映画、アクション映画といったあらゆるジャンルを取り込みながら、どのジャンルにも属さない、不思議な、というか、実に奇妙な作品だ。普通の女子高生がヤクザの組長に就任するというぶっとんだ設定から連想するのは、はちゃめちゃコメディーか、あるいは奇をてらったエクスプロイテーション映画の類だが、勿論、本作はそのどちらでもない。大衆映画というよりは寧ろアーティスティックな作品といるのではないか。

 

このような作品が国民的大ヒットとなった背景には宣伝を担当した角川が大量のテレビスポットを流したことが原因のひとつに挙げられるだろう。映画のクライマックスで薬師丸ひろ子が、機関銃をぶっぱなし、「カ・イ・カ・ン」と呟くシーンを当時、何度もブラウン管の画面で見た記憶がある。このシーンをスクリーンで目撃したいがために映画館に足を運んだ人も多かったに違いない。

 

薬師丸ひろ子扮する星泉の初登場シーンでは、彼女はブリッジをしながら「カスバの女」を歌っている。女子高生がなぜこんな歌をこんな格好で歌わなくてはならないのか。アイドル映画なのにこの苦渋に満ちた顔を見せる必要があるのだろうか。明朗快活な作品を想像していた当時の観客にとって、この初登場シーンは理解を超えたものであった。

 

実はこの作品の根底に流れるのは娯楽性ではなく嗜虐性なのである。それは2025年の今の規範で語っているのではなく、当時から、感じられたものだった。

 

薬師丸はこの後も、クレーンに吊るされて何度もヘドロの中に入れられたり、地雷の上に乗せられたり、と体力的に過酷な目に遭わされる。だが、まだそこには映画における運動性、強い女性が求められるようになった時代性(1979年には『エイリアン』が登場している)を読み取ることが出来るが、それよりも少女が大人になっていく過程で「性」を体験する状況のいびつさが不快感を観る者に与えるのだ。

渡瀬恒彦と風祭ゆきの情事を目の前で見てしまうシーンにおいて、渡瀬が風祭の名前すら知らなかったと聞いた薬師丸は、「普通知り合ったら名前くらい教え合うものじゃないんですか」と渡瀬を問い詰める。すると渡瀬は「(ヤクザ)は口ではえらそうなことを言っても腹のそこはどろどろに腐っちまってるんです。手前で手前のいやな匂いにやりきれなくて、もっと汚ねぇもの、手前より腐っているものにのめっていく」と答えている。いくら組長になったとはいえ、そのようなヤクザの性事情まで聞かされなくてはならないとはなんと難儀なことだろう。

さらに、本作の興行的大ヒットを受けて翌年(1982年)には『完璧版』なる130分バージョンが公開されたのだが、そこには薬師丸が浜口物産社長の北村和夫に乱暴されかかり、あやういところで風祭ゆきが現れ、自分を身代わりに薬師丸を救うシーンまであった。

 

薬師丸が持つ性への意識は、80年代に流行していた吉田まゆみのコミックに登場する少女たちが、『エンドレス・ラブ』(1981)のブルック・シールズとマーティン・ヒューイットに憧れているのとはあまりにも違い過ぎるのである。

 

本作を少女の成長物語として見るにはあまりにも嗜虐的すぎると言わざるを得ないし、薬師丸が翌年出演した『探偵物語』(1982/根岸吉太郎監督)の低レベルで通俗的な内容を見ると、おじさまたちが「大人の女優へ」などと言いつつ、好奇心で薬師丸を引っ張りまわしている印象すら受けたものである。

 

だが、薬師丸が偉大なのは、そうした周囲の思惑をものともせず、ずっと等身大の薬師丸ひろ子であり続けたことだ。『セーラー服と機関銃』という作品の中で、彼女が演じた星泉はまったく成長しないキャラクターなのだ。いや、初めから凛とした優等生的タイプで登場し、そのまま、そのキャラクターを持続し続けると言い直した方がいいだろう。

 

彼女がヤクザから影響を受けるというよりは、周りが彼女の影響を受けて変わっていくのだ。強面の目高組の組員たちは、すっかり彼女のファンになったかのように、彼女を敬い、護り、挙句には組の事務所の内装を女子高校生好みに模様替えするくらいである(本作の中でもっとも楽しいエピソードだ)。

 

また、薬師丸が組長(会長)を引き受けてくれと頼まれた際、自分はただの女子高校生だと断ろうとすると、渡瀬恒彦が「会長に年齢や性別の決まりはない」と言うシーンがある。まだまだ保守的だったあの時代にこの台詞は、作り手が意識していようがしていまいが、特別な感慨をもたらすものであった。

 

一方、敵であるヤクザの事務所も、名画座のような体裁の造りだったり、三國連太郎扮するヤクザの親分「太っちょ」のアジトがスパイ映画の要塞のような場所だったりと、まるで鈴木清順の日活作品のようなでたらめな美術の仕様で実に面白い。

 

めだか組は敵対する組織に次々と襲撃され、四人しかいなかった組員は半分になってしまう。薬師丸は組員たちの死よりも先に父親も失っており、死の重みをよく知っている。

散々ひどい目にあった薬師丸ひろ子は渡瀬恒彦と大門正明を従えて、殴り込みをかけ、前述した「カ・イ・カ・ン」の場面に突入していくわけだが、薬師丸が本当に闘ったのは、敵対するヤクザではなく、相米慎二であり、映画そのものだったのではないか。薬師丸は監督やカメラあるいはスクリーンやその先の観客にまで銃をぶっ放し、自身を解放させるのだ。この場面の素晴らしさは、嗜虐性に包まれた環境を自ら破壊する爽快感にあったのだ。

 

初期の相米慎二作品の特徴としてワンシーンワンカットの長回しが挙げられるが、この後の『ションベンライダー』や『雪の断章』ほどの過激さは見られないものの、本作でも随所にワンシーンワンカットの名シーンがある。

 

とりわけ、薬師丸のバイクに乗りたいという願いを叶えるためにヒコ(林家しん平)が暴走族(本物の族である)を止めて交渉し、一台のバイクを借りて薬師丸を後部座席に乗せ、暴走族を従えながら、先頭でまっすぐに走って来る五分半ほどのシーンの素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。途中、暴走族が左右にシンメトリーにさっと分かれて姿を消し、薬師丸のバイクだけが夜の道路を走り続ける、そこに絶秒なタイミングで音楽が響いてくる。こんな魔法のようなシーン、忘れられるわけがないではないか。

 

『セーラー服と機関銃』は薬師丸が地雷の上に立たされて、ゆらゆらと不安定に揺れ動くシーンのごとく、奇跡的なバランスで出来上がった作品と言っていいだろう。少し、右手に、あるいは少し左手に傾き過ぎたら、もう目を覆いたくなるような中途半端な作品になったところをぎりぎり堪えて名作足りえている、なんとも不可思議な作品なのである。

 

 

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