ニューヨークでロボット工学を専門とする企業のCEOとして成功を収めたロミーは、良き夫と子どもたちに囲まれ誰もが羨むような生活を送っていた。そんなある日、ロミーはインターンとして現れた青年サミュエルを意識し始める。サミュエルは彼女の中に眠っていた欲望を本能的に理解し、彼女に近づいて来たのだ・・・。
ニコール・キッドマンが主演を務め、すべてを手に入れたはずの女性CEOの秘められた内面を鮮やかに表現している。2024年・第81回ベネチア国際映画祭ではボルピ杯(最優秀女優賞)を受賞している。
サミュエル役には『逆転のトライアングル』(2022)でブレイクしたハリス・ディキンソンが扮し、ニコール・キッドマンの夫役をアントニオ・ヴァンデラスが、ロミーの部下役を『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』(2022)で主演を務めたソフィー・ワイルドが、それぞれ演じている。
『BODIES BODIES BODIES ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』(2022/Netflixで配信中)などのユニークな作品で知られるハリナ・ラインが監督・脚本を務めた。
目次
映画『ベイビーガール』作品情報
2024年製作/114分/PG12/アメリカ映画/原題:Babygirl
監督・脚本:ハリナ・ライン 製作:ダビド・イノホサ、ジュリア・オー 撮影:ヤスペル・ウルフ 美術:スティーブン・カーター 衣装:カート&バート 編集:マット・ハンナム 音楽:クリストバル・タピア・デ・ビール
出演:ニコール・キッドマン、ハリス・ディキンソン、アントニオ・ヴァンデラス、ソフィー・ワイルド、エスター・マクレガー
映画『ベイビーガール』あらすじ
ロミー(ニコール・キッドマン)は、オートメーションとロボット工学を専門とする会社、テンシルのCEOだ。夫のジェイコブはニューヨークのオフブロードウェイで活躍する舞台監督で、思春期の娘が2人いる。充実した仕事と愛に満ちた家族に恵まれ、ロミーは人々が欲しがるもの全てを手にしていた。
ある日、オフィスに向かう途中、ロミーは飼い主の手をすり抜けた獰猛な犬に襲われそうになる。彼女を救ったのは一人の若い男性だった。男性は犬に「おいで!」と叫び、クッキーで手なずけ、無事、飼い主に犬を手渡した。ロミーはしばらく立ち尽くしていたが、我に返りあわてて会社へと向かった。
ロミーの仕事場に新しいインターンたちがやって来た。彼らはCEOに会えることで興奮しているようだったが、ひとりの男性だけが、会社のポリシーを批判するような質問を投げかけて来た。すぐにアシスタントが彼らを外に出してしまったが、その男性は先ほど犬を手なずけた人物だった。
男性の名はサミュエルといった。彼はロミーと対面するたび、彼女をCEOとはみなしていないような大胆な失礼な態度をとった。ロミーはそんな彼が気になり始める。なぜなら彼はロミーが実は「支配されたがっている」ことを見抜いているからだ。
ロミーと夫は結婚して20年になるが、ロミーは性的に満足したことが一度もなかった。フェミニストの夫は優しく、彼女を丁寧に扱ってくれたが、実はロミーは被虐的な行為を望んでいた。彼女はサミュエルが、彼女の欲求不満と抑圧された欲望を解放してくれると直感するが、それは危険で誤った行為だと自らの欲望を封印しようとする。
だが、彼女は次第にサミュエルとの関係に溺れ始める。ある日、サミュエルがロミーの家に現れ、ロミーは自身の行動の結果に直面することになるが・・・。
映画『ベイビーガール』感想と評価
(ネタバレを含んでいます。ご注意ください。)
1980年代から90年代にかけて量産された、『ナインハーフ』(1986)や『氷の微笑』(1992)といった古典的なエロティック・サスペンスは、男性目線の欲望が投影されたものだったが、本作は女性の視点で描かれており、これまでアメリカ映画ではあまり取り上げられてこなかった女性の性的嗜好と社会規範の軋轢がテーマとなっている。
物語の中心にいるのは、ニコール・キッドマンが演じるロミーというキャラクターだ。彼女は倉庫配送システム用のロボットを開発し、人間を不要にするロボット工学の企業のCEOとして成功を収め、一見すべてを手に入れた女性に見える。しかし、その完璧な外見とは裏腹に、内面では深い抑圧を抱えている。女であること、妻であること、母親であること、あるいは中年であることといった社会から押し付けられた規範に縛られ、長い間自らの性的願望(マゾヒズム的嗜好)を封印してきた。
そんな彼女が、20代のインターン、サミュエルとの出会いをきっかけにその殻を破っていく過程が描かれる。サミュエルを演じるハリス・ディキンソンは、リューベン・オストルンド監督の『逆転のトライアングル』(2022)でブレイクし、活躍が目覚ましい若手俳優で、本作ではロミーの隠された欲望を本能的に理解し、彼女を支配する役割を担う。この不倫関係が物語の推進力となり、ロミーは、長い間封印していた性的解放へと向かうが、社会的規範に囚われ、一歩踏み出たかと思えば、二歩下がるように、行ったり来たりを繰り返す。この心理的な混乱が映画の大半を占めているといってもいい。
ロミーとサミュエルのやり取りは、セクシーでありながら、同時に滑稽でもあり、不快感すら覚えるような緊張感に満ちているかと思えば、妙にロマンチックな味わいもある。この微妙なバランスを成立させるには、熟練した俳優の力量が必要不可欠だが、キッドマンとディキンソンはその期待に応え、見事な化学反応を生み出している。
サミュエルは支配的だが、驚くほど繊細でもあり、彼がこの関係に何を望んでいるのかは曖昧でよくわからない。しかし、彼はこれまで描かれてきた加虐的なキャラクターのステレオタイプから逸脱した一種の気品のようなものを纏っていて、ディキンソンの魅力が炸裂している。
一方、ニコール・キッドマンは、威厳と不安を同時に抱えたこの複雑な役どころを見事に演じ切っている。ロミーが長年隠してきた自分自身と向き合う瞬間には、観客も息を呑むほどの大胆さを披露する。映画は頻繁に彼女の顔をクローズアップでとらえ、彼女の表情や視線を通じて、私たちは彼女の心の奥底を探り、覗き見るような感覚に襲われる。
人間は自らの欲望と、どう向き合い、どう折り合いをつけるのか。監督は、性的嗜好という「個性」に対して、深い思いやりを持って、ロミーを見つめている。これまで男性主導のものであった「性の営み」を女性主体へと転換するラストは、鮮やかなカタルシスをもたらしてくれる。
また、本作は恋愛関係の力学から職場の権力構造まで、あらゆる形の権力がテーマとして取り上げられており、現代社会における支配と服従の関係を多角的に考察する姿勢が感じられる。
ソフィー・ワイルドが演じるロミーの若い忠実な部下エスメは、ロミーとサミュエルの関係に気付き、それを武器にしてあえて自分の出世の約束でなく、ロミーが全女性の憧れとして貢献するためにCEOを続け、もっと女性職員を増やすことを進言する。
通常なら、ロミーをキャンセルして彼女を追い出す方向へ動きそうなものだが、エスメはそうしない。女性の権利増大を目指すという自身の欲望を彼女はここで別の形で行使するのだ。Z世代の「ウォーク(Woke)」的な思考を踏襲しつつも、短絡的なキャンセルカルチャーに陥らないしたたかさが描かれていて、非常に興味深い。おそらく彼女は今後ロミーの腹心としてのし上がっていくのだろう。頂点を目指して。
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