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映画『天国と地獄』あらすじと解説/児童誘拐事件を題材にしたスリリングなドラマに込められた黒澤明の人間観

製靴会社の重役・権藤のもとに「子供を預かった、身代金3000万円を払え」という脅迫電話がかかってくる。犯人が誤って権藤の運転手の息子を誘拐したことが判明するが、犯人は権藤に払わなければ子供を殺すと脅す。会社を自分のものにしようと画策していた権藤にとって3000万円を支払えば、身の破滅につながる。身代金を払うべきか苦悩する権藤。一方、警察は犯人が高台の権藤の家が見える範囲に住んでいるとみて、懸命に捜査を進めていた。

 

黒澤明監督の1963年の作品『天国と地獄』は、エド・マクベインの87分署シリーズの一編『キングの身代金』を原作に、黒澤とその脚本チーム(小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎)が翻案したスリリングなサスペンス作品だ。

 

主人公の権藤を三船敏郎、犯人役を山崎努が演じているほか、誘拐事件の捜査担当主任に仲代達也、捜査本部長に志村喬、刑事役に、石山健二郎、木村功、権藤の妻役を香川京子、権藤の秘書役を三橋達也、運転手役を佐田豊が演じるなど、豪華キャストが顔をそろえている。

 

目次

 

映画『天国と地獄』作品情報

(C) 1963 東宝

1963年製作/143分/モノクロ/東宝スコープ/日本映画/配給:東宝

監督:黒澤明 製作:田中友幸、菊島隆三 原作:エド・マクベイン 撮影:中井朝一、斎藤孝雄 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎 脚本:黒澤明、小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎

出演:三船敏郎、仲代達矢。香川京子、三橋達也、石山健二郎、佐田豊、木村功、加藤武、山﨑努、志村喬、田崎潤、中村伸郎、伊藤雄之助、島津雅彦、江木俊夫、藤田進、打矢嘉男、名古屋章、山茶花究、浜村純、西村章

 

映画『天国と地獄』あらすじ

(C) 1963 東宝

靴メーカー「ナショナルシューズ」の重役・権藤金吾の高台の家に他の幹部たちが勢ぞろいしていた。彼らは現在、会社が展開しているオーソドックスな靴よりも安価なデザイン重視の靴でなければ売れないと主張し、全員の持ち株を集めれば社長を退陣させられると息巻いていた。

 

しかし、権藤がすぐ壊れるような靴を作りたくないと彼らの提案を断ると、彼らは苦々しい顔で立ち去った。権藤は工場勤務からここまでのし上がって来た人物で、靴には特別なこだわりがあった。

 

実は、権藤は、密かに全財産を投じ、株を買い集め、経営権を掌握する計画を進めていた。最終的な話をまとめるために今から大阪に行こうとしていたその時、脅迫電話がかかって来た。「お前の息子を誘拐した。3,000万円を用意しろ」と男は言い、権藤は必ず払うと答えた。しかし、さらわれたのは権藤の息子ではなく、運転手・青木の息子だったことが判明する。

 

権藤は自分の子ではないとわかるとすぐに警察に連絡を入れた。他人の子供なら身代金を要求できないと考えたのだ。しかし犯人は、再び電話して来て、間違いを認めつつも、権藤に身代金を払うよう脅す。さもなければ子供を殺すと言って。

 

警察が百貨店の配達員を装って、権藤邸に到着した。権藤は当初要求に応じる義務はないと考えていた。もし、今、3000万円を手放せば、身の破滅につながり、この家も失うことになる。だが、父親としての道義的責任と良心の呵責が彼を襲う。彼は、最終的に身代金を支払う決断を下した。

 

権藤は犯人の指示に従い、特急第二こだま号のトイレの窓から指定された方法で身代金を投げた。その後、青木の息子は無事解放されるが、権藤は全財産を失い、経営権も手放すことを余儀なくされる。

 

犯人は事件を報道する新聞を見て、苦々しい思いを抱いていた。まんまと金をせしめたとはいえ、権藤が世間から英雄扱いされていることが腹立たしかった。毎日、高台の豪邸を見上げているうちに彼は権藤を憎むようになり、恵まれた人間に復讐がしたかったのだ。

 

警察は捜査を開始し、執念深く証拠を集め、犯人を割り出すことに成功する。犯人をおびき出そうと罠をしかけるが・・・。

 

映画『天国と地獄』感想と評価

(C) 1963 東宝

(ラストに言及しています。ご注意ください)

 

白黒映画に唯一ピンクの色があらわれる衝撃的なショットや、鉄橋を利用した現金受け渡しのシーン、刑事が特急列車から撮った8ミリフィルムの映像、変装した警察が次々に入れ替わって犯人を追う描写など、犯罪映画、捜査ものとして極上の切れ味を見せている本作だが、その根底には黒澤明の人間観、哲学が詰まっている。

 

製靴会社役員・権藤金吾(三船敏郎)が住む横浜の見晴らしの良い高台にそびえる豪邸と、誘拐犯・竹内銀次郎(山崎努)が暮らす「夏は暑すぎ、冬は寒すぎて眠れない」と形容される低地の住居は、物理的な高低差を通じて映画のタイトル通り、「天国」と「地獄」という象徴的な対比を明確に示している。

 

権藤の豪邸は富の象徴として屹立する一方、竹内の住む下町は混沌とした息苦しさに満ちている。この見下ろす行為と見上げる行為という縦の構図は、映画の視覚的テーマとして強調され、登場人物の社会的地位や内面的な葛藤を際立たせる重要な要素となっている。しかし、黒澤はこの単純な縦の関係に留まらず、ワイドスクリーンという技術を駆使して、画面の横幅を最大限に活用し、物語にさらなる広がりと深みを与えている。

 

ワイドスクリーンの採用は、黒澤の演出における革新の一つであり、『天国と地獄』では特にその効果が際立っている。フレーム内に大勢の人物が溢れ、捜索の過程で多数の警官がひしめき合っている数々のショットは組織の力をこれでもかと感じさせるし、ダンスホールや麻薬患者が集まる貧民窟などでは通常の映画の1.5倍は人がいるのではないかと思わせるような大胆な画作りが行われている。

群衆は、社会の構造や個人の運命に影響を与える力として機能し、「個人と社会」の対立を具現化する。権藤は家族や部下に囲まれながらも孤独を感じ、竹内は群衆に紛れながらも追い詰められていく。黒澤は、ワイドスクリーンの広さを活かして「群衆の中の孤独」というモチーフを強調している。

 

権藤と竹内は、天国と地獄、富と貧困、善と悪、英雄と悪役という相反する立場に置かれているのだが、本作は単純な二項対立の話ではない。

 

彼らは一見すると正反対の存在に見えるが、黒澤はその対比を深く掘り下げることで、両者が実は運命の分岐点における「選択」の違いによって光と影に分かれた存在であることを示唆している。

この視点は、黒澤の過去の作品『野良犬』(1949年)にも見られるものだ。『野良犬』では、三船敏郎扮する刑事と木村功扮する犯人が同じ復員兵で、復員時にリュックを盗まれたという共通の経験を持ちながら、人生の明暗が分かれてしまった現状が描かれていた。同様に、『天国と地獄』における権藤と竹内の現在の立場も、それぞれの選択が異なる道を切り開いた結果なのだ。

権藤は丁寧な靴づくりの伝統を守るため、会社を自分のものにしようと独善的な決断を重ねてきたが、誘拐事件を通じて人間性を取り戻す選択を行い、竹内は貧困と嫉妬に苛まれ、復讐という破滅的な道を選んだ。この選択の違いが、二人の運命を分けたのだ。

 

映画はラストシーンで、このテーマを象徴的に締めくくっている。権藤と竹内が刑務所の面会室でガラス越しに対峙する場面で、黒澤は二人の間のガラスに映る権藤の姿を巧みに捉えている。半透明に映し出された権藤の顔と、竹内の顔が重なり合うような構図は、二人がそれほどかけ離れた存在ではないことを示唆している。

 

権藤の毅然とした表情と、竹内の絶望的な叫びが交錯する中、観客は彼らが別の選択をしていれば異なる人生を歩んだかもしれないという可能性を感じ取る。権藤は富を捨てて人間性を選んだことで「天国」に留まり、竹内は憎しみに囚われたことで「地獄」に堕ちたが、その境界は決して絶対的なものではない。まったく逆の立場になった可能性もあったかもしれない。黒澤はこのシーンを通じて、人間の運命が固定的な善悪や階級によって定まるのではなく、個々の選択の積み重ねによって形作られることを示しているといえるだろう。

 

 

 

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