映画『野良犬』は、2025年3月17日(月)に NHKBSプレミアムシネマにて放映(午後1:00~3:04)。
新人刑事である村上は、混雑したバスの中で拳銃をスリに盗まれてしまう。責任を感じた彼は、執念深く捜査を進めるが、やがてその拳銃が犯罪に使用されていることを突き止め絶望感を味わう。経験豊富な佐藤刑事(志村喬)と共に、村上は犯人の行方を懸命に追うが・・・。
黒澤明監督が1949年に発表した映画『野良犬』は、戦後の荒廃した東京を舞台にしたサスペンスと人間ドラマが融合した傑作として知られる。共に復員兵だという共通項を持つ村上と犯人との対比を通じて、戦争によって翻弄された若者たちの異なる運命が浮き彫りになる。
黒澤と共同脚本を務めた菊島隆三は、実際の事件を参考にオリジナルストーリーを書き、黒澤はフランスのミステリ作家ジョルジュ・シムノンの作品から影響を受けたと公言している。
ロケーション撮影を多用し、当時の東京のリアルな風景が映し出されており、満員の後楽園球場で行われる巨人対南海戦の映像は歴史的に貴重な資料でもある。
新人刑事である村上を若き三船敏郎が、ベテラン刑事の佐藤を志村喬が演じ、名コンビぶりを発揮しており、犯人役に木村功、犯人と関係のあるダンサーを松竹少女歌劇研究所員より抜てきされたばかりの淡路惠子が演じている。
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目次
映画『野良犬』作品情報
1949年製作/122分/日本映画/配給:東宝
監督:黒澤明 脚本:黒澤明、菊島隆三 製作:本木荘二郎 音楽:早坂文雄 撮影:中井朝一 編集:後藤敏男 美術:松山崇
出演:三船敏郎、志村喬、木村功、淡路惠子、千石規子、三好栄子、河村黎吉、千秋実
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映画『野良犬』あらすじ
暑い夏の日の午後、警視庁殺人課の新米刑事・村上は混雑したバスの中でスリに拳銃を盗まれてしまう。必死になって犯人を追いかけるが、途中転倒してしまったため犯人を見失ってしまう。
村上はパニックに陥るが、銃を盗まれたことを上司に報告すると、捜査して銃を見つけるのが彼の責任だと告げられる。
村上は銃の闇ブローカーと接触するため、闇市を歩き回り、ついに闇ブローカーの正体を突き止めるが、彼の銃を盗んだ若い男にはなかなかたどり着けない。そんな間に、村上の銃を使用したと思われる殺人事件が起こり、村上は絶望感にさいなまれる。辞表を提出するが、上司に破られてしまう。
村上はベテラン刑事の佐藤と協力し、ようやく遊佐という人物にたどり着く。彼の姉に会いにいった村上と佐藤は、遊佐が復員の際、帰りの汽車の中で全財産のリュックを盗まれ、それが原因で道を踏み外したことを知る。
彼の行方を追う中で、キャバレーのダンサーをしている並木ハルミが彼の幼馴染で今も交流があることが判明。ふたりは彼女に会いに行くが、ハルミは非協力的な態度を取り続ける。
再び遊佐の犯行と思われる強盗殺人事件が起こり若い女性が犠牲になった。村上は精神的に追い込まれて行く。
村上と佐藤はハルミのアパートを訪ね、遊佐の居場所を自白させようとするが、彼女は一向に口を割らない。佐藤は机の上に無造作に置かれた「あづまホテル」のマッチを手に取り、村上をその場に残して、ひとりホテルへ向かった。遊佐の足取りをたどるうち、ついに「弥生ホテル」に彼が宿泊していることを発見。佐藤は村上がいるハルミのアパートに電話を入れるが・・・。
映画『野良犬』感想と解説
黒澤明は戦後、いくつかのノワール映画(『野良犬』、『天国と地獄』、『酔いどれ天使』、『悪い奴ほどよく眠る』等)を手掛けているが、『野良犬』は日本におけるこのジャンルの先駆的作品と言っていいだろう。
物語は、若手刑事・村上(三船敏郎)がバスで拳銃を掏られてしまい、その犯人である遊佐(木村功)を追う形で展開する。ノワールの典型的な要素である犯罪、追跡、暴力、光と影が詰まっているが、黒澤はこれを戦後日本の現実と結びつけることで独自の色合いを加えている。村上と遊佐が共に復員兵である設定は、戦争の傷跡が個人の運命や倫理観にどう影響するかを描く重要な軸となっている。
村上の内面の葛藤は、『野良犬』という作品の核心にあたるものだ。村上は拳銃を失ったことで警察官としてのアイデンティティを揺さぶられ、その拳銃が殺人に使われたことの責任感も相まって遊佐を激しく憎む。しかし、同時に遊佐と自分を重ね合わせる瞬間がある。
村上と遊佐はふたりとも復員兵であることのほかに、復員の時、リュックを盗まれたという共通体験がある。村上が「ごく簡単な理由で人が獣になるのを何度も見てきましたから」と戦争中の体験を志村喬扮するベテラン刑事佐藤に語るシーンがあるが、戦争で地獄を見てようやく故郷に帰って来た者のリュックを盗む社会の凶悪さやモラルのなさに遊佐は絶望したのだ。村上の「気持ちがわかる気がする」という感覚は、単なる善悪の対立を超えたもので、黒澤のヒューマニズムが犯罪映画に注入された証である。戦争がもたらした貧困と混乱の中で、人はどのようにして正義や道徳を保つのか、あるいは失い、堕ちて行くのか—このテーマは、終始、映画全体に重くのしかかっている。黒澤は戦後社会の再生への希望と絶望を並置してみせるのだ。
捜査にあたる村上とベテラン刑事・佐藤のコンビは、佐藤の落ち着いた経験豊富な態度と村上の情熱的な若さが対照的で、個性の異なった二人が捜査を進める姿はバディ映画としての楽しさに満ちている。特に、犯人を追い詰める緻密な調査プロセスは、刑事ものの醍醐味を存分に味わわせてくれる。後楽園での巨人対南海戦の試合で、超満員の球場で拳銃ブローカーを見つけることに四苦八苦する警察だが、佐藤は迷子のアナウンスにヒントを得て、男を呼び出すことを思いつく。ベテランらしい頭脳作戦だ。
佐藤の穏やかな指導と村上の成長が交錯する中で、二人の絆が深まる様子は、ノワールの暗さと悲壮さを自ずと和らげる。この関係性は、黒澤作品にしばしば見られる師弟関係のテーマとも共鳴している。
そんな彼らが歩き回る東京は、うだるような暑さが人々を包み込んでいる。画面には汗を拭う仕草や朦朧とした表情が繰り返し映し出される。
村上が拳銃ブローカーと出会うために闇市を長々と歩き回るシーンでは、むせ返る雑踏、当時の流行曲の喧騒(李香蘭の「夜来香」や二葉あき子の「薔薇のルンバ」など)、オーバーラップを多用した映像技法が相まって、熱気と混乱に満ちた眩暈のするような時間が展開する。ここでの暑さは単なる背景ではなく、村上の焦燥感や執念を増幅させる装置として機能している。
さらに本作では雷と大雨が重要なシーンで使われ、劇的な効果を上げている。遊佐を発見するためのキーとなる女、並木ハルミ(淡路惠子)が遊佐から贈られたというドレスを着て叫びながら回り続ける狂気のショットに激しい雷鳴が重ねられたり、遊佐に撃たれた佐藤がホテルの玄関前に倒れているのを、茫然と立ち尽くして観ている人々が雨の向こうに映る情景は、視覚的なインパクトと共に感情的な高ぶりを演出している。また、駅の待合室でのシーンでも「雨」が関連する。犯人の顔がわからず、年齢(28歳程度)だけが手がかりの中、村上が「落ち着け」と自分に言い聞かせながら、客たちをうかがう描写はただならぬ緊張感を生み出している。そんな彼がズボンの裾や靴の泥に気づく展開とその際のカメラワークの巧みさは、スピルバーグが『激突!』でオマージュを捧げたと言われるほどだ。
この待合室での一連のシーンでは早坂文雄によるスコアが使われているが、追跡シーンになるとその音楽はなりを潜め、代わりに、民家からピアノの練習曲が聴こえてくる。さらに村上が遊佐に手錠をかけ終えた後のシーンでは学校がえりの子供たちが童謡「ちょうちょう」を歌って通り過ぎていく。こうした音楽の使い方は黒澤映画の特徴の一つだが、「動」と「静」を使い分ける演出が鮮やかだ。
映画『野良犬』は、ノワール映画としての様式美と黒澤明のヒューマニズムが融合した傑作であり、戦後日本の現実を映す鏡のような役割を果たしている。