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映画『プレゼンス 存在』(スティーブン・ソダーバーグ監督作)あらすじと解説/幽霊の視点から語られるある家族の肖像

郊外の一軒家に引っ越してきた家族は、次第にこの家に自分たちとは別の存在があるのではないかという疑惑を深めていく・・・。

 

映画『プレゼンス 存在』は、スティーブン・ソダーバーグ監督が斬新な映画技法を駆使したユニークな作品だ。

 

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ソダーバーグ監督の流麗なカメラワークと、デビッド・コープの緻密な脚本が見事に融合した本作は、幽霊の視点という実験的な手法を通じて、機能不全一歩手前の家族の関係、喪失、そして再生の可能性を描いている。

 

『キル・ビル』(2003)『チャーリーズ・エンジェル』(2000)などの作品で知られるルーシー・リューが一家の母親レベッカを演じ、父親クリス役は人気ドラマシリーズ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」のクリス・サリバン、物語のキーマンとなる娘クロエ役をカナダ出身の新鋭カリーナ・リャンがそれぞれ演じている。

 

目次

 

映画『プレゼンス 存在』作品情報

(C)2024 The Spectral Spirit Company. All Rights Reserved.

2024年製作/84分/アメリカ映画/原題:Presence

監督:スティーブン・ソダーバーグ 製作:ジュリー・M・アンダーソン、ケン・マイヤー 製作総指揮:デビッド・コープ 脚本:デビッド・コープ 撮影ピーター・アンドリュース 美術:エイプリル・ラスキー 衣装:マージ・ロジャーズ 編集:メアリー・アン・バーナード 音楽:ザック・ライアン キャスティング:カルメン・キューバ

出演:ルーシー・リュー、クリス・サリバン、ジュリア・フォックス、カリーナ・リャン、エディ・メデイ、ウェスト・マルホランド

 

映画『プレゼンス 存在』あらすじ

(C)2024 The Spectral Spirit Company. All Rights Reserved.

郊外にそびえる中古の一軒家に、ある家族が引っ越して来た。家族に関しての全てを仕切っている母親レベッカ。穏やかで良き父親だが、妻にはいつも遠慮しているクリス、水泳選手として活躍する兄タイラー、そして情緒不安定で喪失感を抱える10代の妹クロエのペイン一家だ。

 

レベッカはタイラーが水泳の才能を伸ばせる環境としてこの地を選び、この家に半ば強引に引っ越してきたのだ。レベッカは仕事に追われ、息子のタイラーを溺愛する一方で、娘のクロエにはいささか冷淡だ。タイラーはスポーツでの成功に夢中で、少し意地悪な面がある。クロエは親友を薬物で亡くした悲しみを抱え、未だに立ち直れないでいた。

 

クロエはすぐに家の中に自分たち以外の存在を感じ取り、亡くなった親友が会いに来てくれたのではないかと名前を呼ぶが、当然、返事はない。ほかの家族はだれも気配を感じた様子はない。

 

レベッカとクリスはクロエのことでちょっとした口論になる。クリスはレベッカも薬物をやっていないかと気にしているが、レベッカは娘に必要なのは時間なのだと取り合わない。クリスはまた、レベッカが経済的に豊かに暮らすために会社の犯罪めいたことに加担していることを気にしている。

 

もしもそれがバレ、警察沙汰になったら自分も捕まってしまうのだろうか。専門家である知人に、さも親しい友人から相談されたという体で、電話して尋ねてみると、罪を逃れるためには別居していることが必要だと聞かされる。

 

ある日、タイラーが新しい学校でできた友人クリスを家に連れて来た。クリスはクロエを見て一目ぼれしたようだった。やがてクリスとクロエは恋人同士になり、他の家族がいないときに、逢瀬を重ねるが、ある日、クリスはクロエの飲み物にクスリを入れて彼女の目の前のテーブルに置いた。ところがテーブルが突然揺れ、コップは落下してしまう。

 

また別の日、家族のだんらん時間、タイラーは学校で女子生徒にどっきりのいたずらをした話を嬉々としてしゃべっていた。父はその内容に顔をしかめていたが、母はところどころ異論を述べつつも、話を続けさせていた。彼が女子生徒をバカにして笑ったとき、彼の部屋から大きな音がした。あわてて二階にあがると、彼の部屋は水泳競技のトロフィーを含め、あらゆるものが落下していた。

 

何かがおかしい。クロエ以外の家族もこの家に別の存在があることを考えずにはいられなくなる。ついに彼らは霊感があるという女性を家に招くのだが・・・。

 

映画『プレゼンス 存在』感想とネタバレ解説

(C)2024 The Spectral Spirit Company. All Rights Reserved.

本作の最大の特徴は、物語が幽霊の視点から語られる点にある。この「幽霊」は物理的な姿を持たず、カメラの動きそのものがその存在を現している。例えば、クロエのベッドにある本が空中に浮き、机に置かれるシーンでは、透明人間のような効果を通じて幽霊の「行為」が視覚化される。この手法は、観客に「見えない存在」を強く意識させると共に、映画における「視点」の概念を再定義する役割を果たしている。

 

ソダーバーグは監督としてだけでなく、撮影者としても自らカメラを操り(ソダーバーグの場合、これは珍しいことではない)、すべてのシーンに関与することで、幽霊の視点を具現化している。彼は単なる記録者ではなく、物語の一部となって、他の俳優と共演しながらその空間を生きている。そういう意味で彼自身もまた「幽霊」といえるかもしれない。

 

通常の映画では、カメラは観客を導く客観的な目として機能するものだが、『プレゼンス』ではカメラが主体性を持ち、感情や意図を持った存在として観客と物語をつなぐ役割を果たしている。

幽霊の視点を通じて観客は家族の動向を見守り、彼らの苦悩や葛藤に直面し、時には怒りや共感を抱く—そんな恐怖映画を超えた感情の流れが、本作の魅力のひとつとなっている。ソダーバーグは観客を物語の傍観者にするのではなく、幽霊との共犯関係に引き込むのである。つまり、観客もまた幽霊なのだ。

 

こうした実験的な手法を用いている本作だが、エンターティメントとしてもかなり面白い仕上がりになっている。物語は静かに進行していくが、絶えず不穏な雰囲気が漂い、最終的にはショッキングな出来事が待っている。ただ、表面上はホラーやスリラーというジャンル映画の要素を持つ本作だが、本質は崩壊寸前の家族の物語である。新居に引っ越してきた一家は、一見、裕福な問題のない家族に見えるが、実はそれぞれに葛藤を抱え、機能不全一歩手前だ。彼女たちの姓が「ペイン」というのはなんとも皮肉なことである。

 

家族を(経済的に)維持するために、何か犯罪行為に近いことに加担しているらしい母親のレベッカをルーシー・リューが演じている。彼女は自己中心的で高校生の息子タイラーを溺愛し、彼の成功のために生きていると言っても過言ではない。夫のクリスは、強引な妻から一歩引くことで争いから身を護っているが、最も家族のことを考えた人間として描かれている。10代の息子タイラーは水泳選手としての才能を開花させているが、母親と同じく他者の気持ちがわからない傲慢な人物だ。妹のクロエは最近親友を亡くしたため、いまだに悲しみに暮れ、立ち直れずにいる。クリスという存在があって、ぎりぎり家族はその形態を維持することが出来ているのだが、彼は犯罪者として巻き込まれないよう、この家を出たがっている。

 

悲しみを抱えるクロエを中心に、幽霊の存在が家族間の内面的な軋轢や感情の断層を浮き彫りにする。ソダーバーグ監督は、長いワンテイクのあと、暗転を用いてシーンを切り替え、最終的な悲劇へと物語を導いていく。

 

クロエだけはその気配に最初から気づいている。クロエが幽霊を亡くなった親友の名で呼びかけるシーンは、彼女の喪失感や癒されない深い心の傷を象徴しており、幽霊が娘に自分の存在を知らせようとする行動は、彼女との感情的な結びつきを暗示しているようにも感じられる。しかし、クロエにしてもいつでも幽霊の気配に気づくわけではない。幽霊もクロエも孤独で孤立した存在なのだ。

幽霊が何者であるか—亡くなったクロエの親友なのか、過去にその家で死んだ誰かなのか—は、最後まではっきりと明示されずぼんやりしたままだが、この曖昧さが逆に観客の想像力を刺激し、映画に深みを与えている。

 

ただ、幽霊が女性であることは確かではないだろうか。

そのように推測する根拠として、タイラーが学校の女子生徒にひどいイタズラをしたことを親に面白可笑しく報告するシーンがあげられる。兄が女子生徒を笑いものとして語った直後、階上の兄の部屋がぐちゃぐちゃに荒らされるのだ。この場面は、幽霊が単なる観察者を超えて、怒りという感情を表出させたことを示している。

兄の女性に対する軽視や暴力性を知った幽霊がそれに反応し、物理的な形で報復を行ったのは明らかだ。この怒りは、幽霊が女性として連帯を感じている、あるいは自身が過去に似たような被害を受けた可能性を示唆している。トロフィーの破壊は、兄の傲慢さや「男性としての勝利」を象徴する物を攻撃することで、その価値観への反抗を示したものなのかもしれない。

 

終盤のクライマックスとでもいうべきシーン—娘の恋人だと思っていた兄の友人が娘を眠らせてオーバードーズを企て、それを阻止するために幽霊が兄のもとに向かう—では、幽霊の心理にさらなる深みを与えている。階段を下りて兄を起こし、状況を瞬時に悟らせた幽霊の行動は、クロエを救いたいという明確な意図によるものだ。

 

幽霊がとるこの一連の行動は、幽霊が女性としての視点から男性の暴力性や無責任さに反応しているといえないだろうか。この視点から見ると、幽霊は、ジェンダーの力関係や暴力に対する暗黙の抗議を体現している存在とも言えるのだ。ソダーバーグが意図的にこのテーマを織り込んだかどうかは不明だが、幽霊の行動が男性キャラクターの悪行に反応する形で描かれているのは偶然ではないだろう。

 

 

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