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Netflix映画『ストロー:絶望の淵で』あらすじと評価/シングルマザーの黒人女性が直面する最悪の一日

映画『ストロー: 絶望の淵で』(原題:Straw)は、『6888郵便大隊』(2024)、『メイアの事件簿 疑惑のアーティスト』(2024)などの作品で知られるタイラー・ペリーが監督・脚本・製作を手がけた心理スリラーだ。

(C)Netflix

シングルマザーの黒人女性ジャニヤ・ウィルキンソンが貧困、差別、娘の病という過酷な現実の中で追い詰められ、予想だにしなかった事態に陥ってしまう姿が描かれる。タイラー・ペリーらしいメロドラマの要素と社会批判が交錯する作品で、主演を務めるタラジ・P・ヘンソンの圧倒的な演技が注目の話題作だ。

 

タイトルの「ストロー」(Straw)とは、英語の慣用句「the last straw」(最後の藁)に由来している。この表現は、「我慢や耐えられる限界を超える最後の出来事」という意。

 

映画『ストロー: 絶望の淵で』は2025年6月6日よりNetflixで配信中。

 

目次

 

映画『ストロー:絶望の淵で』作品情報

2025年製作/107分/アメリカ映画/原題:Straw/配信:Netflix

監督・脚本:タイラー・ペリー 製作:タイラー・ペリー、アンジ・ボーンズ、トニー・L・ストリックランド 撮影:ジャスティン・モロ 美術:ライアン・バーグ 衣装:レイヨンダ・ベリーン 編集:ニック・コーカー 音楽:ダラ・テイラー 音楽監修:ジョエル・C・ハイ キャスティング:キム・テイラー=コールマン、ラビン・ドラマー

出演:タラジ・P・ヘンソン、シェリー・シェパード、テヤナ・テイラー、グリン・ターマン、シンバッド、ロックモンド・ダンバー

 

映画『ストロー:絶望の淵で』あらすじ

(C)Netflix

ジャニヤは黒人のシングルマザーで、てんかんなどさまざまな持病を抱える幼い娘の面倒をひとりで看ていた。仕事を二つ掛け持ちして、なんとか生活をやりくりしているが、家賃を払えず、大家からは退去を迫られていた。

 

それでも彼女は身体の不自由な隣人を見ると無視できず、最後の小銭を手渡す。心優しい人物なのだ。大家は今日、家賃を支払わなければ、家具を全部外に出すと怒鳴っている。とにかく今日は給料日だから、何もかもが好転するだろう、とジャニヤは自分自身を励まし、娘を学校に送ったあと、勤め先のスーパーマーケットに急いだ。

 

スーパーのレジ打ちの際、無礼な客が、瓶を投げたので、ジャニヤは店長から掃除するよう命じられた。だが、そこに運悪く学校から電話がかかって来た。今日、昼食代を払わなければ、児童福祉局の調査の対象になるという。ジャニヤが電話しているのを見た店長は、電話は禁止だと言っているのに掃除もしないで何てことだと怒鳴り、子供のことでどうしても出かけなくてはならないと訴えても耳をかそうとしない。

 

30分で帰るという条件付きでやっと学校に行けることになったが、銀行からお金を引き出すこともできず、学校にたどり着けば、児童福祉局は彼女を不適切な親とみなし、娘を連れ去ってしまう。給料をもらいにスーパーに戻る途中、渋滞につい苛立ち、無理に車を進めると、白人の警官が自分の車に傷をつけたと怒り、わざと激しく彼女の車にぶつかって来た。別の警官が違反切符を切って車はレッカー移動させられてしまう。

 

スーパーに戻ると上司は彼女を解雇し、彼女が弁明しようとしても「言い訳は聞きたくない」の一点張り。給与を求めたジャニヤに対して辞めた人間には郵送でしか給与は支払えないと嘲笑った。

 

そんな最中、彼女は武装強盗に巻き込まれてしまう・・・。

 

映画『ストロー:絶望の淵で』感想と解説

(大きなネタバレはしていませんが、ラスト、物語の骨格に触れています。ご注意ください)

 

主人公のジャニヤは、現代社会の周縁に生きる黒人女性の姿を体現したキャラクターだ。彼女はシングルマザーとして、難病を抱える娘アリアの医療費を工面し、職場でのハラスメントや経済的困窮に耐えながら、必死に生きている。物語は、ジャニヤが「最後の藁」(the last straw)となる出来事に直面し、犯罪に巻き込まれた挙句、期せずして銀行に籠城してしまうことになる一日を追っている。

 

タイラー・ペリーは、ジャニヤの生活に味方がほとんどいないことを強調してみせる。生活が苦しいのは怠惰のせいだとされ、彼女は社会から「見えない」、「聞こえない」存在として扱われているのだ。そうした無視の積み重ねが、彼女を極限状態へと追い込んでいく。ジャニヤは映画に登場した時から既にぎりぎりの生活を送っているのだが、それでも自分よりも苦しんでいる人を手助けする好人物として描かれている。それゆえに周りの人々の理解のなさが際立ち、社会の冷酷さ、人々の余裕のなさが浮かび上がって来る。

 

ベリーは彼女が体験する「最悪の日」の出来事をたたみかけるようにスピーディーに綴っていく。おしかける客に対して従業員が明らかに足りないスーパーの店長は、ジャニヤが今抱えている問題を説明しようとすると「言い訳はいらない」と切り捨て、彼女にクビを宣告する。彼女が今日、まとまった金が必要であること(もともと給料日なのだ)も承知の上での行為だ。

また、ジャニヤが、あせるあまり起こした運転ミスに対して過剰な制裁を加える警官など災難が続き、ジャニャは次第に追い詰められていく。

 

ジャニヤを演じるタラジ・P・ヘンソンは、恐怖、プライド、疲労、希望といった複雑な感情を織り交ぜながら、私たち観客に彼女の危機がどれほど深刻かを常に意識させることに成功している。特に銀行での緊迫したシーンでは、絶望と決意が交錯する表情で私たちを物語に引き込んでいく。まさに圧巻の演技と言えるだろう。

 

本作のもう一つの強みは、銀行に立て籠ることとなったジャニヤを支えようとする女性たちの存在だ。シェリー・シェパード演じる銀行支店長ニコールは、実直で経験豊富な女性として登場する。彼女は人質という立場にあっても正直で愛情深い友人のようにジャニヤに接する。彼女の存在は緊迫した物語に一縷の光をもたらしている。一方、テヤナ・テイラー演じる刑事ケイ・レイモンドは、厳しさと慈悲深さを併せ持つキャラクターで、彼女自身、幼い頃に家を追い出されるなど、苦労して来た経験があり、ジャニヤの凶行の裏にどんな事情があるのかを突き止めようとする。のちに現れるFBIがセオリー通りの強硬手段を取ろうとするのとは正反対だ。

 

これらの女性たちの絆は、映画が単なる悲劇を超え、希望の灯をともす瞬間だが、それが立て籠りの銀行内で生まれた絆であったことがなんとも皮肉である。もう少し早く、彼女に救いの手が現れていたなら、それが難しくても、誰かが話を聞いてくれていたなら、と思わずにはいられない。だが、実際のところ、こんな究極の場でしか誰も彼女に耳を貸さなかったのだ。

 

プロットの無理やりさなど、幾分、物語のリアリティを損なうようなご都合主義的な部分もあるのだが、それは本作がわずか4日間で撮影されたという、そのあわただしさからくるものだろう。だが、逆にその早急な様が、有無を言わさぬ物語の強度を生み出しているといえるのではないか。視覚的洗練さよりもストーリーテリングと感情の訴求が優先されるのがペリーの作品の特徴でもあり、本作では、ジャニヤの痛みと抵抗をスクリーンに徹底的に焼き付け、貧困層が直面する医療費の負担や周囲の無理解、システムの不条理といった現実を観客に突きつけることが重視されている。

 

物事が全てうまくいかない地獄めぐりのような前半と、突然強盗に巻き込まれる意表を突くバイオレスシーンは、犯罪映画的なスリルとサスペンスに溢れ、終盤の籠城シーンでは、一転して、閉塞的な緊迫感と共に人間味あふれるドラマが展開する。一見に値する作品だ。

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