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【NHK BSプレミアム放映】映画『生きる』あらすじとレビュー/無為な30年から、輝ける数ヶ月への転換点 黒澤明の不朽の名作

黒澤明監督が1952年に発表した映画『生きる』は、日本映画史だけでなく、世界の映画史でも「死生観を扱った最高峰の作品」の一つに数えられる名作中の名作だ。

 

戦後日本社会の官僚主義や人間の「生きる意味」を真正面から描き、志村喬の神がかった演技が観る者の心に深く突き刺さる。

クローズアップやモンタージュを駆使した黒澤監督の緻密なカメラワークが生み出す映像美にも注目の一作だ。

 

映画『生きる』は、2026年2月23日(月)に、NHKBSプレミアムシネマにて放映(午後1:00~午後3:24)。

 

目次:

 

映画『生きる』作品基本情報

項目 内容
監督 黒澤明
脚本 黒澤明、橋本忍、小國英雄
出演 志村喬、小田切みき、金子信雄、中村伸郎、日守新一
公開年 1952年
上映時間 143分
製作 東宝

 

映画『生きる』あらすじ

生きる 映画 画像

©1952 TOHO CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

市役所の市民課の課長、渡邊勘治は、30年間、無欠勤で真面目に働き続けてきた模範的な公務員だ。だが実際は、たらい回しが横行する「事なかれ主義」の役所の中で、ただ判子を押すだけの機械的な日々を送っていた。妻を早くに亡くし、一人で息子を育てたが、息子夫婦とはあまりうまくいっておらず、人生に何の喜びも感じられずにいた。

 

ある日、彼は自分が胃がんで余命いくばくもないことを知る。自らの人生が空虚であったことに絶望した渡邊は、貯金を下ろして夜の街を彷徨い、偶然知り合った男に連れられて享楽に耽るが、孤独は深まるばかり。しかし、退職を決意した若い部下・小田切とよの溢れる生命力に触れ、彼は残された時間で成し遂げるべき「ある目的」を見出す。それは、かつて住民たちが要望しながらも放置されていた、汚水溜めを公園に変えることだった。

 

映画『生きる』感想と評価

生きる 映画 画像

©1952 TOHO CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

映画は、本作の主人公、渡邊勘治(志村喬)の胃がんの衝撃的なレントゲン写真で幕を開ける。ナレーションは淡々と冷徹に、まだ本人はこの事実に気づいていないことを告げている。

 

続いて、市役所の市民課の課長席に座った渡邊がオフィスで山積みになった書類をめくりながら、ちまちまと判子を押しているシーンへと移る。部下たちが発する「地位を守るには何もしないことが一番大事だ」という台詞が表しているように、仕事をしているふりをすることがここでは肝心なのだ。志村が見せる、生気を失ったうつろな瞳と、重力に逆らえないかのように深く丸まった背中は、三十年間無為に過ごしてきた男の空虚さを表していると言えるだろう。

 

近所の汚水溜めを整備して公園にしてほしいと数人の母親たちが市役所を訪れるが、役人たちは彼女たちを別の課から別の課へと次から次へとたらいまわしにし、最終的に「市民課」に戻って来た彼女たちを激怒させる。ここで黒澤は素晴らしいモンタージュを展開させ、「お役所仕事」を辛辣に皮肉っている。

 

胃の調子が悪いと感じた渡邊は診断を受けるために病院へ。待合室で別の患者から、「医師から軽い胃潰瘍です、食事は普通に何でも食べて結構です」と言われたら、胃癌で余命半年から一年を表していると教えられる。診察室で彼はまさに同じ言葉を医師から告げられ、自身が胃癌であることを悟る。

当時は、患者に面と向かってガンを告知することを医師が避けていた時代であり。癌の宣告は即、死の宣告に等しかった。

 

渡邊の苦悩が始まる。妻は早くに他界し、同居する息子夫婦とは深い溝が出来てしまっており、癌のことを告げることができない。渡邊は、酒が飲めないにも関わらず入った飲み屋で知り合った小説家の男に自身の余命がわずかなことを打ち明ける。

 

残された人生があとわずかと知ったとき、人はどうするのかという映画の問いに対し、小説家は渡邊を享楽の世界へと誘う。パチンコ、ナイトクラブ、ストリップ劇場などを次々と移動し、客引きする女たちで賑わう歓楽街を人をかき分けながら進む。ダンスホールではカメラは楽隊の後ろに控え、ホールを俯瞰気味にとらえている。圧倒的な人の数が押し合いへし合いする狂乱の光景は黒澤映画特有の迫力に満ちている。だが、このような色事では渡邊の苦悩は解消されない。

 

次に彼がすがるのは、人との交流だ。仕事を辞めるために彼のハンコが必要になった女性従業員、小田切とよ(小田切みき)が無断欠勤している彼を訪ねてやって来る。彼女は役所の仕事があまりにも単調過ぎて向いていないと語る。代わり映えしない毎日で、変わったことと言えば、渡邊が仕事を休んだことだけだと饒舌に話す彼女との会話に渡邊は一時の安らぎを得る。

しかし、老人と若い女性がたびたび食事を共にすることが長続きするわけもない。とよは、だんだん彼の執着を薄気味悪く感じ、それでも無碍にはできず、これが最後だといって二人はモダンな喫茶店に入る。店は広々としていて、彼らが座る反対側のフロアでは女学生たちがバースデーパーティーを開いて快活な声を上げている。死を間近にした老人と溢れんばかりの若さが残酷なまでに対比されている。

 

渡邊は、とよとの会話で「その、つまり」ばかりを繰り返す。なぜ、私と会いたがるの?と尋ねられても本当のことが言えない。観ていてもどかしさを感じさせるが、これは実にリアルだ。昨今の映画は言葉で説明し過ぎる傾向にあるので、渡邊の「その、つまり・・・」というつぶやきが、逆にたまらなく愛しく思えて来る。

 

苦労しながらの会話の中で渡邊は一つの啓示を受ける。今はおもちゃ工場に勤務しているとよの「何か作ってみては?」と言う言葉が琴線に触れたらしい。彼は思い立ったように席を立ち、いつになく軽やかに店の階段を下りて行くが、その際、階上の女学生たちが、「ハッピーバースデー」を高らかに歌い始める。渡邊が階段を駆け下りたあと、主役の女性が階段を上がって行くのだが、この時、渡邊は明らかにこの空間の異分子であり、かつての彼であれば、場違いな存在として非常に残酷に映っただろう。だが、偶然にもこの歌唱は、何かを思い立った彼への賛歌へと鮮やかに転じるのだ。

 

彼は再び、市役所に戻り、山積みの書類の中から冒頭の公園陳述書を取り出し、その計画を実現させようとする。彼にとって公園を作ろうとすることはすなわち、人生の意味を作ることであった。

 

ここで映画はちょうど三分の二を過ぎたくらいだが、突如、画面は渡邊の通夜のシーンに切り替わり、映画の途中で主人公が死んでしまう構成に観客は愕然とする。最後の40分は、通夜に出席している人々の回想によって、渡邊の最後の数か月の行動が語られるという複雑な構造を取っている。

 

通夜に集まっているのは、息子夫婦、親戚の夫婦以外は大半が役所関係の人々だ。どうやら件の公園は完成したらしいが、助役が功績を横取りし、渡邊は隅においやられていたらしい。助役(中村伸郎)は自身の正当性を饒舌に語り、あっという間に帰ってしまう。残った人々は、酒を飲み過ぎ、酔っぱらいながら、彼の死について、そしてそれに至る行動の謎を解き明かし始める。

 

助役の話にたっぷりと頷いたあとだからか、彼らは歯切れが悪く、公園が出来上がったのは、様々な人々の努力の結晶であり、誰のおかげでもないと結論付ける。だが、市民課の職員のひとり、木村(日守新一)だけが渡邊がいなければ公園はできなかったと主張し続ける。人々は、渡邊が、首を縦にふらない他の課の上司を根気よく説得したり、その土地を歓楽街にしたいと計画していたヤクザにも屈しなかったことなどを思い出す。

記憶のフラッシュバックで登場する渡邊は、相変わらず言葉少なで、「その、つまり・・・」を繰り返しているが、逆にその台詞が他者に無意識な圧力として響く様子が生き生きと描かれている。徐々に人々の間に、正しいことをしようと努力したひとりの男の姿が共有されていくのである。

 

この際、黒澤は、人々の顔のアップを連続して映し出し、長い物には巻かれろという事なかれ主義が、驚愕と崇拝へと変化していく過程をフィルムに焼き付けている。

 

一方で渡邊自身が、どのように感じていたかは、ある一つの歌で表現される。「いのち短し 恋せよ乙女」の歌詞で知られる「ゴンドラの唄」だ。渡邊は本作で二度この歌を歌っている。一つ目は作家に連れられて行った気取ったダンスホールでのことだ。この歌をバンドにリクエストした彼の歌声が響くと、ダンスをしていた人たちはダンスを辞めてしまい、その場になんとも重い空気が流れる。

二度目は、完成した公園で雪の降る中、ブランコを漕ぎながらだ。このシーンは彼を見かけた警官によって回想されたものだが、一度目の絶望とは対照的に、澄み渡るような幸福感に満ちている。彼は自身の評価など微塵も気にせず、ただ成し遂げた喜びを静かに噛み締めていたのである。

 

また、彼が同僚と橋の上で立ち止まり、夕焼けを賞賛する場面も忘れ難い。モノクロ映像の中に、電線が縦横に走るモダニズム的なショットが、この世の美しさを際立たせている。

 

エンディングは、渡邊の死後も変わらぬお役所仕事の姿が描かれる。役所の体たらくに声を上げようとした木村が、上司に睨まれて書類の向こうにそろそろと顔を隠すシーンは、なんともいえぬ切なさと、コミカルさを漂わせているが、それは現代の組織社会に生きる私たち自身の姿でもあるだろう。

 

一人の人間の生きざまを描いた本作は、決して説教じみたものではなく、どうすればより幸せに生きられるのかを、今も私たちに静かに問い続けている。

 

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