『アルゴ』(2012)のベン・アフレックが盟友マット・デイモンを主演に迎えて6年ぶりに監督を務めた映画『AIR/エア』。
ナイキの伝説的バスケットシューズ「エア・ジョーダン」の誕生秘話が明かされる極上のエンターティンメント作品だ。
ナイキのバスケット部門を立て直すよう命じられた主人公・ソニー・ヴァッカロをマット・デイモンが演じ、ナイキ創設者にしてCEOのフィル・ナイトをベン・アフレックが演じている。
また、マイケル・ジョーダンの母親、デロリス・ジョーダンにヴィオラ・デイビスが扮しているのを始め、ジェイソン・ベイトマン、マシュー・マー、クリス・タッカー等、個性豊かな役者が顔をそろえ、演技の火花を散らしている。
目次
映画『AIR/エア』作品情報
監督:ベン・アフレック 脚本:アレックス・コンベリー 撮影:ロバート・リチャードソン 美術:フランソワ・オデュイ 衣装:チャールズ・アントワネット・ジョーンズ 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ 音楽監修:アンドレア・フォン・フォースター
出演: マット・デイモン、ベン・アフレック、ジェイソン・ベイトマン、クリス・メッシーナ、マーロン・ウェイアンズ、クリス・タッカー、ヴィオラ・デイヴィス、グスタフ・スカルスガルド、ジェシカ・グリーン
映画『AIR/エア』のあらすじ
1984年秋。ナイキ・バスケット部門スカウト担当のソニー・ヴァッカロは、CEOのフィル・ナイトからバスケットボール部門の立て直しを命じられる。
当時、バスケットボールシューズといえば、コンバースとアディダスが人気を集めており、ナイキは3番手に甘んじていた。
予算が限られていることもあり、会議では複数の下位指名選手の名前が候補として上がるが、ソニーはその案を一蹴する。彼にはひとつの秘策があった。
彼が目をつけたのは、後に世界的スターとなる選手マイケル・ジョーダンだった。当時、彼はまだド新人でNBAの試合に出たこともなく、しかもアディダスのファン。第二希望はコンバースで、ナイキなど眼中にないという状況だった。
電話にも出てもらえず、ソニーは直接ジョーダン家を訪ね、マイケルの母親デロリス・ジョーダンと接触する。なんの許可もなく突然家を尋ねるのは失礼なことだとたしなめながらも、デロリスは話を聞いてくれた。
ジョーダンはアディダスとコンバースと面談することが既に決まっていた。
ソニーは両者の面談は次のようになるだろうと予想を披露し、時にコミカルに時に熱く情熱的に交渉し、面談を取り付けることに成功する。
マイケル・ジョーダンを担当するスポーツ・エージェントのデビッド・フォークは、自分を通さずに直接デロリスに会いに行ったソニーに激怒するが、ソニーは動じない。
ソニーはクリエイティブ・ディレクターのピーター・ムーアに、マイケル・ジョーダン用の新しいシューズを特注する
当時NBAではシューズの規定が厳しく、カラー比率の高いシューズには履いた選手が罰金を科せられた。しかし、バスケットボール部門のマーケティング担当者のロブ・ストラッサーは、試合ごとに我々が払えばいいと述べ、ソニーはピーターに赤を増やせと注文する。
こうして面談まで時間のない中、ムーアによって作られた独創的なデザインの靴は「エア・ジョーダン」と名付けられた。
いよいよ面談の日がやってきた。もし失敗したら、自分を始め、多くの人々が職を追われることになるだろう。ナイキを去ることになったら自分を雇う企業などあるだろうか。
期待と不安に心を揺らしながら、ソニーはジョーダン家の到着を待った。
映画『AIR/エア』の解説・レビュー
今では信じがたいが、1984年のナイキのバスケ部門は、コンバース、アディダスに遅れを取り、シェアわずか17%と、存続の危機にあった。それを如何に覆し、「エア・ジョーダン」は如何に生まれたのかを実話ベースで描いたのが本作だ。
冒頭、当時のニュース映像や映画、ライブシーンなどが矢継ぎ早に登場する。レーガン大統領、RUN-DMC、ダイアナ妃、エディー・マーフィー、ゴースト・バスターズetc・・・。そんな中、高校バスケットボールの試合の映像が登場する。その応援席にマット・デイモンの姿が見えてあっと驚いた。何しろその映像、先のニュース映像などとまったく同じ色合い、質感に見えたからだ。
こうしてわたしたちはまんまと1984年へとタイムスリップさせられてしまう。
マット・デイモン扮する本作の主人公ソニー・ヴァッカロは、ベン・アフレックス扮するナイキの創設者の一人でCEOのフィル・ナイトにナイキのバスケットボール部の立て直しのために抜擢された社員だ。マット・デイモンは体重をかなり増量しソニーを演じている。
彼は高校バスケットリーグに頻繁に顔を出し地道な努力を続けているが、なかなか成果が出ない。その一方、彼はラスベガスに通うギャンブラーという側面も持ち合わせている。映画の序盤、彼の結構大胆な賭けっぷりが描写されている。
実はこれが一つの伏線になっている。というのも、本作で彼が行った秘策は大きな博打に近いものだからだ。
わたしたちがこの作品に心躍るのは、それが一世一代の大博打だからであり、いわばアメリカ映画が描き続けてきた「挑戦」そのものだからだ。
プロの道をこれから歩もうとしている選手たちは、皆才能はあるが、それが必ず開花するなんて保証はない。だからどの社もリスクを避けて複数の選手にオファーする。ナイキは予算が限られているから、どうしても下位指名の選手数人にターゲットを絞らざるをえない。
しかし、それでは大した効果は得られない、そう考えたソニーは、すべての予算をマイケル・ジョーダンただひとりに注いで賭けに出るのだ。
そんなソニーに、ジェイソン・ベイトマン扮するマーケティング担当者のロブ・ストラッサーは語る。彼は離婚したために娘と週一回数時間しか会えず、ナイキのバスケットシューズをそのたびに渡していると言う。ナイキのシューズは彼にとって誇りそのもので、それが無くなったら自分は何もなくなってしまうという独白は、もし交渉に失敗したら起こりうる、人々の小さくない喪失を代弁したものだ。
そんなリスクを承知しながらも、賭けに出たソニーが行うのは交渉に継ぐ、交渉、説得に継ぐ説得だ。
そんな彼の熱意が伝わって、慎重になっていた人々が徐々に大胆になっていくのがいい。ソニーが躊躇した際、ある時は前述のロブがグッドアイデアを出し、ある時には起業した頃のチャレンジ精神を思い出したCEOが後押しする。このチームプレーが「お仕事映画」の面白さを増幅させるのだ。
さらにこの映画を単なる「お仕事映画」から別の次元へと導くのが、マイケル・ジョーダンの母親、デロリス・ジョーダンの存在だ。
冷静沈着で決して妥協しない強さを示しながら、どこか温かみも感じさせるデロリスをヴィオラ・デイヴィスが崇高ともいえる雰囲気を纏いながら絶妙に演じている。
ソニーにとって最難関がデロリスであることは疑いがない。だが、彼女は決して悪どい策士ではない。息子の才能を誰よりも熟知し、息子にとって何が最善なのかを一切の妥協なしに見極めようとしているのだ。
劇中、「たかが靴だ」という言葉が何度かとびかうが、その靴の誕生物語は、「スニーカー・カルチャー」の始まりであり、スポーツ、ファッション、ライフスタイルの世界を一変させる革命の瞬間であった。
デロリスとの最後の交渉はとりわけソニーにとってハードなものだった。結果、ナイキはデロリスの要求を受け入れ、自ら開拓者となる。
これまで企業の利益追従に利用されて来たアスリートに、自身の名前、肖像、プレイスタイルが利益となる商品から自身も利益を得る権利を認めたのだ。
スポーツパートナーシステムの歴史的変革の瞬間を映画は快活に描き、また、黒人家族における母親の偉大さを惜しみなく称賛している。
ソニー・ヴァッカロとCEOの関係は、そのまま、マット・デイモンとベン・アフレックの関係と重なる。
彼らの長年の友情と、共同作業に触れてきた映画ファンには、彼らへの確かな信頼の情がある。『AIR /エア』はその期待に最大限に応えた作品に仕上がっている。
アメリカのスニーカー・カルチャーの実態が描かれた2つの作品
ジャスティン・ティッピング監督による映画『キックス』(2016)は、アメリカのスニーカー・カルチャーの熱狂ぶりを伝えている。
ヒップホップカルチャー、ブラックカルチャーのコミュニティでは、靴をスニーカーとは呼ばす“キックス(Kicks)”と呼び、良いキックスを履いていることが個人のステータスと結びつく。
主人公の少年は「エア・ジョーダン1」を手に入れた瞬間、周りに認められるが、それを盗まれた瞬間、ステータスを失ってしまう。スニーカーも社会的地位もなんとしてでも取り返したいと必死になる余り、少年は一線を超えてしまう。
1990年代のヒップホップヲタクの高校生3人組を描いた映画『DOPE ドープ!!』(2015/リック・ファムイーワ)でも、主人公が学校のいじめっ子から新品のスニーカーを強奪される場面がある。どちらの作品も主人公は黒人少年だ。
多くのプロスポーツの中でもとりわけバスケットボールは“黒人文化性”が高いと言われている。マイケル・ジョーダンを始め、成功した黒人アスリートは同胞たちの憧れであり、ロールモデルだ。
バスケットとヒップホップ文化など様々なストリート・カルチャーが交差することによってファッション、ライフスタイルとしても親しまれるようになり今の熱狂的なスニーカー文化へと発展していったのだ。
『AIR/エア』は中年の白人男性たちによる成功談には終わらず、黒人アスリートと産業の関わりという視点をきちんと抑えている。マイケル・ジョーダンの姿が体の一部しか登場しないという大胆な手法が取られているが、逆にその存在感を強く示すことに成功している。
(文責:西川ちょり)