『タンジェリン』(2015)、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2018)など、社会の片隅で生きる人々を鮮やかに描いた作品で知られるアメリカ・インディーズ界の鬼才ショーン・ベイカー監督。
映画『レッド・ロケット』は、一文無しになってロサンゼルスからテキサスに帰って来た元ポルノ俳優の男を主人公にしたヒューマン・コメディだ。
実際に過去のポルノ出演映像が流出し、一時表舞台から姿を消していたこともあるサイモン・レックスが主人公マイキーに扮し、その演技はインディペンデント・スピリット・アワードやロサンゼルス批評家協会賞で主演男優賞に輝くなど高い評価を受けた。
ドーナツ店でアルバイトしている女子高校生役をベイカー監督が映画館でスカウトした新人スザンナ・サンが演じている他、地元テキサスに暮らす演技未経験の人々が重要な役どころで出演している。
2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品。
目次
映画『レッド・ロケット』作品情報
2021年製作/130分/R18+/アメリカ映画/原題:Red Rocket
監督・ショーン・ベイカー 脚本:ショーン・ベイカー、クリス・バーゴッチ 撮影:ドリュー・ダニエルズ 美術:ステフォニック 編集:ショーン・ベイカー
出演:サイモン・レックス、ブリー・エルロッド、スザンナ・サン、ブレンダ・ダイス、ブリトニー・ロドリゲス、イーサン・ダーボーン、マーロン・ランバート、ジュディ・ヒル
映画『レッド・ロケット』あらすじ
元ポルノ映画俳優のマイキーは、カリフォルニアからテキサス州沿岸部の故郷の町に戻ってきた。
ポケットには数ドルしかなく、頬には大きなあざが出来ていた。
彼は別居中の妻レキシーの家を訪れる。レキシーは彼と同じく、ポルノ映画界のスターだったが今や地に堕ち、小さな家で年老いた母親とふたりで暮らしていた。
「サプライズ」と陽気に叫ぶ彼の帰還を妻も義母もまったく歓迎しておらず、それどころかふたりはマイキーに激しい嫌悪をぶつけ始める。
しかしマイキーは持ち前の厚かましさと口の達者さで無理やり家に上がり込み、そのままずうずうしく居ついてしまう。
職探しに奔走するもののどこにも採用されず、結局、かつての伝手で、マリファナ稼業の元締めをしているレオンドリアを訪ね、マリファナをわけてもらいそれをこっそり売りさばくことにした。
ある日、彼は工場労働者が多く利用するドーナツ店で働く17歳の少女ストロベリーと知り合う。
「LAで映像の仕事をしていた」というマイキーとこの街に飽き飽きしていてハリウッドに憧れているストロベリーはすぐに恋仲になる。
マイキーはストロベリーをポルノ業界にスカウトして、もう一度自分も業界でのし上がることを画策し始める。
ある日、マイキーは隣人のロニーが運転する車に乗り、ストロベリーのことと自身の計画について自慢げに語って聞かせていた。
話に夢中になったロニーが高速の出口を通り過ぎそうになったので、マイキーが怒鳴ると、ロニーはあわててハンドルを切った。
家に帰って来たふたりは顔面蒼白。無理な運転のために衝突事故を起こしてしまったのだ。玉突き事故で大きな被害が出て、テレビでも仰々しく報道されていた。彼らは怖くなって逃げ帰って来たのだ。
マイキーはロニーに車はひとりで乗っていて、助手席には誰もいなかったと言えと強く言い聞かせる。
そんな中、ロニーの家に警官が来ているとレキシーが騒ぎ出した、報道陣も集まり始め、連行されていくロニーを見て、気が気でないマイキーは・・・。
映画『レッド・ロケット』の感想・評価
『タンジェリン』や『フロリダ・プロジェクト』と同様、ショーン・ベイカー監督は本作でも社会の片隅に追いやられた人々に焦点を当てている。
だが、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』の感動をもう一度と本作を観に行った方は主人公のあまりのクズっぷりに戸惑うことになるだろう。
何しろ、まったく歓迎されていない元妻の家にずうずうしく上がり込み世話になった上に感謝のかの字もなく、17歳の高校生に手を出し、純愛かと思えば、ポルノ業界での自分の復活の手段としてしか考えていないありさまだし、隣人のロニーの件に関してはこの男には「良心」はないのかと呆れるほどなのだから。
しかし、彼の持つ絶妙なユーモアセンスと妙に説得力のある話術、おいそれとへこたれない図太さで、すっかり周囲も映画を観ている我々も彼のペースに巻き込まれてしまう。
それは「どこか憎めないキャラクター」というような可愛げがあるものではなく、あまりの図々しさに周りの者は怒りを超えて笑うしかないという状態に近い。
観ていてふと、天才劇作家が自分が育てた女優に恐ろしいほど執着する姿を描いたハワード・ホークスの『特急二十世紀』(1934)を思い出してしまった。
なりふりかまわず、徹底した意志で、倫理観なんて知るかとばかり突き進んでいくジョン・バリモアの姿とそれに振り回される人々の姿が浮かんできたのだ。
そう、この『レッド・ロケット』には、ハワード・ホークスを代表するハリウッドのスクリューボール・コメディーの神髄が引き継がれているのだ。
だからめっぽう面白いし、観る者は自分の中にある道徳観や倫理観の扉をそっと閉じてスクリーンに見入ってしまうことになる。
また、「ロードムービー」的な要素があるのも本作に引き付けられる魅力のひとつだろう。
もっとも、冒頭でこそ、マイキーは長距離バスに乗って、ハリウッドからテキサスへやって来るが、そのあとはずっとテキサス州沿岸部に留まっている。
だが、彼は自転車に乗って、その地区を自在に回って見せるのだ(大麻を売りさばくという理由があるにせよ)。そうしてその彼の姿と共に、テキサスの風景が映し出されて行く。
もくもくと煙のあがるテキサス湾岸の重工業地帯「リファイナリー・ロウ」のすぐ傍を通り過ぎ、比較的裕福な住宅街や(マイキーはストロベリーにこの地の住人であるふりをするためここまで送らせ、あとで自転車で引き返している)、マイキーたちが暮らすさびれた地域、さらに、対岸には犯罪多発地域があることが示唆される。
「ロードムービー」というのは道路と車と大きな移動があってこそだろうとお叱りを受けそうだが、自転車の速度だからこそ、その景色を存分に味わうことが出来るともいえる。
トレイ・エドワード・シュルツ監督作品(『クリシャ』、『イット・カムズ・アット・ナイト』、『WAVES/ウエイブス』)の撮影監督として知られるドリュー・ダニエルズは本作を16mmで撮影。実に味わい深いロケーション撮影によって街に漂う空気感を見事にとらえている。
それに、そもそもなぜ自転車かと言えば、マイキーは勿論のこと、レキシーも金がなく車が持てないからだ。
車のタイヤすら買えないようで、隣家のロニーや高校生のストロベリーでさえ車で行き来しているのを見れば、マイキーとレキシーの貧困ぶりが際立っていることが判る。
ところでこの物語の設定は2016年ということになっている。劇中、テレビはクリントンとトランプの大統領選を報じていて、トランプの声が聞こえてくる。
そういえば、ブレンダン・フレイザーがアカデミー賞主演男優賞に輝いた『ザ・ホエール』(2022)でも同じく大統領選を報じるニュースが聞こえてくる場面があった。こちらはドナルド・トランプ、テッド・クルーズ、マルコ・ルビオが候補だった2016年の共和党予備選挙を伝えていた。
二作ともトランプ時代の前夜を描いているわけだが、この2016年はアメリカ社会にとって大きな転換点だったといえるだろう。何かが決定的に変わり、本音と建前の建前としてまだ成り立っていたものまでもが失われてしまった時代であった。その混乱は未だに続いている。
『レッド・ロケット』のマイキーはまさにその時代のひとつの象徴として登場している。しかし、ショーン・ベイカー監督は決して彼を糾弾したり、裁いたりはしない。
窮地に陥っても、一言言わずにはおれないマイキーは、そこにいる人々すべてを苛立たせ消耗させる。おまけに何もかも失ってもこの男、どこまでも楽観的に見える。その図太さとタフさには呆れるのを通り越して思わず賞賛の声を上げたくなるほどだ。
まぁ、実際、この人物が魅力的であるのは確かだ。それは認めざるを得ないだろう。
関連作品:映画『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』(2012)
ショーン・ベイカー監督の2012年の作品『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』は、『レッド・ロケット』と関連性が高い作品だ。ロサンゼルスを舞台に、若きポルノ女優と孤独な老婦人の交流が描かれるのだが、ショーン・ベイカー監督はこの作品の取材中にポルノ男優という存在に注目するようになったと言う。
女優を目指しながらポルノ女優として働いているジェーンは、友人メリッサと彼女の恋人の家に間借りし、愛犬のチワワと共に暮している。ジェーンを演じるのは、文豪アーネスト・ヘミングウェイのひ孫でモデルのドリー・ヘミングウェイだ。
味気ない部屋を模様替えしたくなったジェーンはガレージセールを覗くことにする。ロスではちょっと車を走らせればあちこちでガレージセールに出くわすのだ。
ジェーンはガレージセールを行っていた人たちの中で最も愛想の悪い老婦人から魔法瓶を買う。しかし、魔法瓶を花瓶がわりに使おうとしたところ、中に何か入っていることに気付く。ひっくり返してみると輪ゴムでくくられた100ドル札の束がいくつも出てきた。
考えた末に返しに行こうと決めたジェーンだったが、老婦人は返品を受け付けてくれない。
ジェーンはなんとか老婦人に100ドル札を返そうと、買い物帰りを待ち伏せしたり、老婦人が毎日のように通っているビンゴ会場に出向いたりと奮闘するが、老婦人はジェーンが詐欺師だと勘違いし顔にスプレーをかけて警察沙汰に。誤解がとけ、ふたりの仲はじわりと縮まっていく。
『タンジェリン』、『フロリダ・プロジェクト』ではiPhoneを効果的に使った撮影で話題になったが、本作では普通のハンディカムの手持ちカメラが使われている。色調は淡く、2人の間にはいろいろなことが起こりはするものの、光に溢れた映像は暖かな空気を作り出している。
ジェーンはコミコンのようなイベント会場でポルノ女優としてファンの前に立ち握手や撮影に応じる。ショーン・ベイカー監督は、彼女のプロ意識を描き、お仕事映画のように撮っている。しかし、もし彼女が若さを失った時、今のように周りは彼女を大事にしてくれるのだろうか。全ては金で動いている世界だ。ジェーンの友人であるメリッサはジェーンと同じ仕事についているが、トラブルを起こし、既にその世界からはみ出しかけている。そうなったらもう早い。彼女は既に薬物依存の一歩手前だ。
ショーン・ベイカー監督が彼女たちに向ける眼差しは優しく温かいが、『レッド・ロケット』の元ポルノ女優のレクシー(ブリー・エルロッド)の現状を観たあとでは、あんなふうにはならないで夢を掴んでほしいと切に願ってしまう。
原題のStarletはジェーンの愛犬の名前。チワワというけれど明らかに雑種。シェルターからもらわれてきた保護犬らしい。このStarletがとってもキュートなのだ。『レッド・ロケット』にも愛嬌のある飼い犬がいい味を出していた。マイキーが困った時、いつも犬が笑ったように彼を見ているのだ。
『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』
(2012年製作/103分/アメリカ・イギリス合作 原題:Starlet 監督:ショーン・ベイカー)