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【4Kデジタル完全修復版】映画『ツィゴイネルワイゼン』あらすじ・感想/何度もぞっとさせられる鈴木清順美学の最高峰

鈴木清順監督作品『ツィゴイネルワイゼン4Kデジタル完全修復版が、鈴木の生誕100年を記念し2023年4月15日より東京・ユーロスペースで公開されている。

 

ツィゴイネルワイゼン』(1980)、『陽炎座』(1981)、『夢二』(1991)の三作品は「浪漫三部作」と呼ばれ、清順美学の頂点を極めた代表作として知られている。

ツィゴイネルワイゼン』は、東京タワーの足元に設置されたドーム型の移動式映画館「シネマ・プラセット」で、当時、単館上映されたことでも話題となった。  

 

目次

 

ツィゴイネルワイゼン』作品情報

©︎1980/提供:リトルモア

1980年製作/144分/日本/スタンダードサイズ

監督:鈴木清順 原作:内田百閒 脚本:田中陽造 製作:荒戸源次郎 撮影:永塚一栄 照明:大西美津男 美術:木村威夫、多田佳人 録音:岩田広一 編集:神谷信武 音楽:河内紀 記録:内田絢子 スチール:荒木経惟 
出演:原田芳雄大谷直子藤田敏八大楠道代麿赤兒樹木希林、真喜志きさ子

【4Kデジタル完全修復版】監修:志賀葉一、藤澤順一 デジタル修復:IMAGICAエンターテインメントメディアサービス 提供・配給:リトルモア 共同配給:マジックアワー   

ツィゴイネルワイゼン』のあらすじと感想

©︎1980/提供:リトルモア

映画の前半は、原田芳雄扮する中砂という「鬼」の行状を描いている。

 

冒頭、蓄音機にのせられたサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」の円盤が映しだされ、曲の間にはいる声についての会話が交わされたあと、藤田敏也扮する青地が列車に乗っているシーンとなる。彼が顔をあげると、目のみえない三人連れが盛んに飯を食っているのが見える(この三人はその後も何度か現れ、三人の人間関係が変わっていく様が面白い)。

 

藤田が灯台のような建物を背後に海岸近くのがけっぷちを降りていくシーンに移ると「仏があがったぞー」という叫び声が聞こえて、背中を向けた数人の男たちが右にわずかずつ横移動する不思議なカットとなる。

カメラが右にパンしていくと焼きとうもろこしを食べている原田の姿が見えて来て、原田のバストショットが二度ほど重ねられる。男たちが彼を挟んで再び右へと奇妙な横移動をする。原田はその場を脱出すると今度はいきなり男たちを背負投げしている。

なんだか妙に人をくったような編集でユーモラスでさえあるが、砂浜に打ち上げられた女の死体が映しだされると、今度は女の股からアニメーションの蟹が出てくる。そうか、この男たちの奇妙な横移動は蟹の移動を表していたのか! と妙に納得してしまう。

 

藤田は陸軍士官学校のドイツ語教授で原田は元同僚だと身分を語り、女を殺したのではないかと原田を疑う警官を納得させ、彼を解放させる。

原田は「女にお前は必要ないと言うと勝手に身を投げたのだ」と悪びれることなく言う。

二人は一緒に宿を取り、ばかでかい鰻の蒲焼きを食する。芸者が一人やってくる。芸者は「弟が死んだばかりで焼いた骨がうっすらとピンク色をしていた」と語る。演じるは大谷直子だが、ここでは至極まっとうな生気のある人間として描かれている。  

 

鎌倉に戻った彼らは互いの家を何度か行ったり来たりする。そのたびに釈迦堂の切り通しをくぐることになる。

原田が結婚したというので訪ねて行くと細君は旅の芸者とそっくりの女であった。間口の狭い玄関からおいでおいでをしている様子にぞくっとさせられる。ここでの大谷はなにか得体のしれなさ、不確かさを放っていて不気味である。

 

細君は小さな女の子をもうけたあと死んでしまい、芸者が後妻におさまる。この女たちを原田は決して大切にしないようで女たちはどんどん生気を失って青白くなっていく。

しかも、原田は藤田の妻とも関係があるという疑いまで出てくる。が、妻はむしろ逆に活き活きとし出し、甘美なエロティシズムが炸裂する。

 

原田が死ぬ。未亡人が夜な夜な藤田の家を訪れて(これが洋館の実に雰囲気のある家なのだ。純和風の原田家と比較して楽しめる)、原田が貸していたものを返してほしいとやってくるという内田百閒の短編小説「サラサーテの盤」に忠実な展開になってくるが、この時、大谷が暗がりの中、浮世絵の「見返り美人」のような恰好をして顔だけこちらに向けている姿が実に艶めかしく怪しげなのだ。前妻も後妻も、本当に生きている人間なのか。さらに、病院で療養している藤田の妹が語った話は真実なのか、それとも単なる夢なのか、映画はどんどんと迷宮へと突入していき、まるでお化け屋敷のようなラストへと向かっていく。

サラサーテツィゴイネルワイゼンの例の声と藤田の声が重なって何を言っているか聞き取れない場面もぞくっとする怖さがある。

 

夢かうつつか、幻か、

 

生きている人が死んでいて、死んでいる人が生きているのか、

 

切り通しはあの世とこの世をつなぐトンネルのようなものなのか、

 

「きみちゃんは幼稚園に行っております」と杉戸絵の描かれた戸をぴしゃりと締め、姿を隠して泣いている女にも心底ぞっとさせられる。

 

ラストは実にわかりやすい。怨念もなにもなくただ楽しく怪談を撮ったという旨の清順の言葉にも納得。

(文責:西川ちょり)

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