映画『道草』は2023年4月8日(土)より大阪シネ・ヌーヴォ、6月3日(土)より神戸・元町映画館にて公開!
(シネ・ヌーヴォでは片山享監督の2022年制作作品『わかりません』、『とどのつまり』と共に「片山享特集上映」として上映されます。詳しくは下記専用HPをご参照ください)
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/katayamaryou.html
長編映画第一作『轟音』(2020)が第53回スペイン シッチェス映画祭や北米最大の日本映画祭「JAPAN CUTS 2020」Next Generation・コンペティション部門にノミネートされるなど国内外で高い評価を受けた片山亨監督。
関西の映画ファンには、神戸の元町映画館が開館10周年を迎えて制作した安楽涼との共同監督作『まっぱだか』(2021)でお馴染みだろう。
映画『道草』は片山監督が2022年に発表した5本目の長編映画監督作品だ。凡庸に生きてきた画家志望の青年が他人の評価、価値観に翻弄され「自分らしさとは何か」「価値とは何か」という問いに飲み込まれていく姿が描かれている。
青年・榎木道夫役にENBUゼミナール シネマプロジェクト発の映画『河童の女』(2020)で映画初出演にして主演に抜擢された⻘野⻯平が扮し、富田サチ役を映画・ドラマ・舞台と話題作への出演が相次ぐ田中真琴が務めた。田中は本作が⻑編映画初ヒロインとなる。
目次
映画『道草』作品情報
2022年製作/122分/日本/アメリカンビスタ
監督・脚本:片山享 プロデューサー:大松高 撮影:深谷祐次 照明:松島翔平 録音:坂元就、杉本崇志 制作:山田夏子 監督補佐:安楽涼 助監督:風間英春 ヘアメイク:谷口里奈、富田貴代 スタイリスト:磯﨑亜矢子、⻘山新 カラリスト:深谷祐次 整音:坂元就 絵画提供:大前光平 美術協力:sinden inc.、大門佑輔 宣伝デザイン:櫻井孝佑 制作プロダクション:ハナ映像社 配給・宣伝協力:夢何生 企画・製作:ハイエンド合同会社
出演:青野竜平、田中真琴、Tao、谷仲恵輔、山本晃大、大宮将司、入江崇史
映画『道草』のあらすじ
榎本道雄は、芸大を卒業し、画家として食べていくことを夢見ていたが、特に日の目を浴びたキャリアもなく、ごみ収集のバイトで生計を立てていた。
ひょんなことから出会った富田サチはそんな道雄の絵が好きだと言い、初めて人に自分の絵を評価してもらえたことに道雄は感激する。
2人は付き合い始め、平穏で幸せな日々が続いたが、2人の将来のことを考え始めた道雄は画家としての成功を意識するようになる。
道雄はサチがバイトしているカフェに自作を展示してもらうが、なんの反応ももらえないことに気落ちする。
焦燥感に駆られていたある日、ごみ収集に向かった道夫は自分の作風とは全く異なる激しいタッチの抽象画が捨てられているのを発見。
彼はそれを持ち帰り、自分の作品としてカフェに展示してもらうが…。
映画『道草』の解説・レビュー
絵が好きで画家として生計をたてることに憧れている青年・道雄は、ある日、サチという女性と出会う。彼女は道雄の絵の初めての理解者で、ふたりは絵というものが「楽しい」存在であるということで意気投合し恋人同士になる。
道雄を演じる青野竜平もサチを演じる田中真琴も、爽やかな佇まいが実に魅力的で、2人の穏やかな会話や優しげな仕草に思わず引き込まれてしまう。なんと温かな雰囲気に包まれたカップルなんだろう。
もしも彼らがまだ若い学生だったら、この恋はゆっくり育っていったかもしれない。だが道雄は近い将来のことを考え、もっと稼がなくてはいけないとあせり始める。
バイトを多少増やしたところでたかがしれているだろう。道雄は絵で成功することで経済的に安定し、サチとの将来も手に入れたいと考えるようになるのだ。
それが、逆にサチとの距離を生んでいく様は、この2人を好きになってしまっているわたしたちにとっても辛いものがある。
本作はそんな甘く儚いラブストーリーとして観客の心をつかむ一方、様々な読み取り方のできる作品でもある。
ひょんなことから自分自身を見失ってしまう画家の悲喜劇とも取れるし、他人の評価に翻弄される人間の姿を通じ「本当に大切なものは何か」を問う訓話的な物語と評することも可能だろう。
だが、片山享監督が描きたかった主題はもう少し別のところにあるのではないか。
「絵を描く」、「創作する」、「何かを生み出す」ということに魅了された、あるいは囚われた人々がそれらを如何に追求していくのか、その迷い、苦しみこそが描かれているのではないだろうか。
本作の冒頭、ゴミ収集のバイトに勤しむ道雄は観客に背中を見せている。そして、終盤、再び、彼はわたしたちに背中を見せ続ける。
冒頭の道雄はただルーティーンをこなすだけで、その肩はとても軽く見える。一方、後者の彼は一心不乱に、体全体を動かし続けている。ふたつの背中は同じ人物のものなのに、まったく違って見えるのだ。
それを「成長」という言葉で解釈しても良いのか甚だ心もとないのだが、創造というものは、試行錯誤を繰り返し、時に迷走し、七転八倒する中で、ようやく導き出されるものではないだろうか。
カメラは道雄が経験するその行程を丹念に映し出し、その果てにくるものをわたしたちの目に焼き付けるのだ。