『ゲット・アウト』(2017)で第90回アカデミー賞・脚本賞に輝いたジョーダン・ピール監督が、『アス』(2019)に続いて撮った長編監督第3作『NOPE /ノープ』(2022)。
ロサンゼルス近郊にある静かな田舎町の上空に突如現れた謎の飛行物体をめぐり、特ダネをものにしようと動画撮影を試みる兄妹がたどる運命を描いたSFスリラーだ。
主人公OJには、『ゲット・アウト』に引き続きピールとタッグを組むダニエル・カルーヤが扮し、その妹、エメラルドをシンガーで女優のキキ・パーマが演じている。『TENET テネット』(2020/クリストファー・ノーラン)などのホイテ・バン・ホイテマがIMAXフィルムで撮影したのも話題の一作だ。
目次
映画『NOPE /ノープ』の作品情報
2022年製作/131分/アメリカ映画/原題:Nope
監督・制作・脚本:ジョーダン・ピール 撮影:ホイテ・バン・ホイテマ 美術:ルース・デ・ヨンク 衣装:アレックス・ボーベアード 編集:ニコラス・モンスール 音楽:マイケル・エイブルズ 視覚効果監修:ギョーム・ロシェロン
出演:ダニエル・カルーヤ、キキ・パーマー、ブランドン・ペレア、マイクル・ウィンコット、スティーブン・ユァン、キース・デビッド
映画『NOPE/ノープ』のあらすじ
ロサンゼルス近郊で牧場を経営するOJは、ハリウッドの撮影に馬の調教師として参加していた。
しかし、撮影部隊に迎え入れられていた父のようにはスタッフに信用されていないことに忸怩たる思いを抱いていた。
父は半年前に亡くなったのだが、死因は飛行機の部品の落下による衝突死とされていた。しかし、OJはその判断を信じていなかった。彼は馬で駆ける父を見ていたとき、一瞬、奇妙な飛行物体を目撃していたのだ。
牧場の共同経営者である妹エメラルドにこのことを伝え、2人は飛行物体を撮影して、“バズり動画”を公開しようと決める。実際に映像を撮らなければ誰も信じないだろうからだ。
ある日、雲がまったく動かないことに2人は気づく。それこそが謎の飛行物体だった。家電販売店の店員や映画の撮影カメラマンを巻き込み、決死の撮影が始まる・・・。
映画『NOPE /ノープ』の感想と考察
映画の縦軸をなす映画への情熱と黒人の尊厳
馬の調教師である主人公のOJ(ダニエル・カルーヤ)が、ハリウッドのスタジオで撮影隊に向かって「動く馬」(The Horse in Motions)という連続写真について言及する場面がある。
「動く馬」とはエドワード・マイブリッジが1887年に作成した馬上の黒人を捉えた16枚綴りの連続写真だ。この写真は「クロノフォトグラフィー」と呼ばれるもので、これが後に映画へと発展して行く。映画ファンなら一度は目にしたことがあるのではなかろうか。
この写真は本作において2つの点で重要な役割を果たしている。まずひとつ目は、本作が“映画の始まり”という映画史を内包していることだ。
OJと彼の妹エメラルド(キキ・パーマー)は、牧場付近に現れた奇妙な物体を世間に知らしめるために、「決定的瞬間」を撮影することに奔走する。あの手、この手の創意工夫にまず引き込まれ、彼らに声をかけられてやって来たプロのカメラマン、アントレス・ホルスト(マイケル・ウィンコット)が手回しカメラを構えて撮影に挑む執念と情熱にも心踊らされる。
さらに遊園地の遊具で行われるスリリングな行為にはノスタルジックな感情を呼び起こされると同時にそのアイデアにすっかり唸らされる。ここにあるのは映画を撮ることに対する「意気地」と「情熱」にほかならない。
そして2つ目は馬に乗っている人間が黒人であるということに関連してくる。ご存知のようにジョーダン・ピールは『ゲット・アウト』や『アス』といった作品で、ホラー映画というジャンルを選択しながら、アメリカ社会の中で黒人がこれまで置かれてきた理不尽な差別の状況を告発してきた。本作もその主題を継承している。
映画史最初の人物が黒人であったという事実はOJたちを奮い立たせてきたが、ショービジネス界ではOJは軽んじられている。OJの言葉に真面目に耳を貸すものは誰もいない。そんな状況の中、OJとエメラルドが成し遂げたのは、そうした現場に「NO」を突きつけ、黒人の尊厳を取り戻すことに他ならない。
最初は特ダネで商品稼ぎという目論見で始まったものが、愛と尊厳の世界へと昇華して行く様は圧巻だ。
横軸をなす人類への警告
さて、上記のような要素が作品の縦軸を形成しているとすれば、横軸にあたるのが、人気番組『ゴーディー 家に帰る』の本番中にかつて起こったおぞましい事件だ。
人気者のチンパンジーが風船の破裂音にびっくりして凶暴化し、出演者を次々と襲ったのだ。その事件の生き残りであるリッキー“ジュープ”パク(スティーヴン・ユアン)は今ではジュピター・パークというテーマパークを営んでいる。彼は子役として活躍していたが、この事件を視聴者に思い出させるということで、役者を続けることは出来なかったのだろう。
彼は見世物であったチンパンジーとの体験に取り憑かれてしまったかのように見える。巨大な見世物小屋ともいうべきパークを作り、謎の飛行物体にコンタクトを取ろうとして再び悲劇を招いてしまう。
その悲劇の様は、ティム・バートン監督の『マーズ・アタック!』(1996)で火星人が襲来した際にウエルカムと呑気に出迎えたヒッピーたちの姿を思い出させる。
謎の飛行物体や宇宙人に自分たちのやり方がそのまま通じると考えるのはあまりにも浅はかと言うしかないが、裏を返せば傲慢なのだ。リッキーが助かったのは、たまたまチンパンジーと目があわなかったからに過ぎない。心が通じ合ったわけではないのだ。
人は相手の目を観て話をするが、では例えば猫はどうだろうか? 猫は目をじっとみつめられると喧嘩を売られていると思うらしい。そんな習性を人は知ろうともしていないのではないか?
この横軸にはすべての生き物を(自然や大地を)支配していると思っている人間の傲慢さへの警告が込められているのだ。
OJはたびたび妹にこの場所から出ていこうと声をかけられるが、馬の世話があるからと固辞し続ける。彼無しで馬は生きられない。生命を預かるものとして、彼は大地に立ち続ける。
そんな彼だからこそ、謎の飛行物体に対しても冷静な判断ができたのではないか。馬にまたがって颯爽とパークに現れるOJの姿は、映画の創生の出で立ちの再現であると共に、新たな映画の出発を意味しているだろう。