デイリー・シネマ

映画&海外ドラマのニュースと良質なレビューをお届けします

映画『秋が来るとき』あらすじとレビュー/人生の秋から冬を迎える老齢の女性を主人公にしたフランソワ・オゾンのミステリアスな人間ドラマ

『焼け石に水』(2000)、『8人の女たち』(2002)、『スイミング・プール』(2003)などの作品で知られるフランス映画の巨匠フランソワ・オゾンの最新作『秋が来るとき』は、自然豊かなフランス・ブルゴーニュを舞台に、秋の色合いに満ちた人生ドラマが展開する。監督の子供の頃の思い出から着想を得て制作されたという本作は、80代の女性を主人公に、母と娘、祖母と孫の関係が丁寧に描かれ、物語の半ばからはミステリー要素も加わって来る注目の一作だ。

 

youtu.be

 

映画、舞台でも活躍するベテラン女優エレーヌ・ヴァンサンが主人公ミシェルに扮し、熟練した演技を見せているほか、その親友マリー・クロード役に、ジョジアーヌ・バラスコ、その息子役にピエール・ロタンが扮し、ロタンはサン・セバスティアン映画祭にて助演俳優賞に輝いた。また、オゾン作品は『スイミング・プール』(2003)以来22年ぶりの出演となるリュディヴィ−ヌ・サニエが母親と折り合いの悪い娘を演じている。

 

映画『秋が来るとき』は、「横浜フランス映画祭 2025」(25年3月20~23日=横浜みなとみらい21地区)にて初公開され、2025年5月30日(金)より新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテ、大阪ステーションシティシネマほかにて全国公開。

 

目次

 

映画『秋が来るとき』作品情報

(C)2024 – FOZ – FRANCE 2 CINEMA – PLAYTIME

2024年/フランス映画/フランス語/103/ビスタ/カラー/5.1ch/原題:Quand vient l'autom

監督・脚本・製作:フランソワ・オゾン 共同脚本:フィリップ・ピアッツォ 撮影:ジェローム・アルメーラ 美術:クリステル・メゾヌーブ、衣装:パスカリーヌ・シャバンヌ 編集:アニタ・ロト 音楽:エフゲニー・ガルペリン、サーシャ・ガルペリン

出演:エレーヌ・ヴァンサン、ジョジアーヌ・バラスコ、リュディヴィーヌ・サニエ、ピエール・ロタン、ガーラン・エルロス、ソフィー・ギルマン、マリック・ジディ

 

映画『秋が来るとき』あらすじ

(C)2024 – FOZ – FRANCE 2 CINEMA – PLAYTIME

80歳のミシェルは、パリでの生活を終え、自然豊かなブルゴーニュの田舎で一人暮らしをしている。秋の休暇を利用して訪れた娘と孫に彼女が振る舞ったキノコ料理を引き金に、それぞれの過去が浮き彫りになっていく。人生の最後を豊かに過ごすために、ミシェルはある秘密を守り抜く決意をするー。

 

映画『秋が来るとき』感想と評価

(C)2024 – FOZ – FRANCE 2 CINEMA – PLAYTIME

教会の塔を捉えたカメラが下へ下へとパンしていくと、女性がひとり階段を上り教会に入っていく様子が映し出される。司祭は信者に聖書のマグダラのマリアの寓話を語るが、このファーストシーンはある意味、本作のテーマを凝縮しているといえるかもしれない。

 

主人公はブルゴーニュ地方で一人で暮らす80歳のミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)だ。彼女は古くからの友人のマリー・クロード (ジョジアンヌ・バラスコ)を車で迎えに行きある場所に送る。マリーの息子は罪を犯して服役中で彼女は定期的に面会に訪れているのだ。

 

美しい風景に囲まれた愛らしい田舎の家で、心を許せる友人もいて悠々自適に人生を楽しんでいるように見えるミシェルだが、作業をしている最中、ふと何かが気になるような表情を浮かべ、窓の外を眺めるような行動がみられる。

 

フランソワ・オゾンの映画では、ほとんどの登場人物が過去の出来事や、様々な葛藤や感情を心の奥に隠している。本作のミシェルも例外ではない。

 

万聖節の祝日に娘のヴァレリー(リュディヴィーヌ・サニエ)と孫のルーカスがやってくるのを楽しみにしていたミシェルはマリー・クロードと一緒に森にキノコ狩りに行き、キノコ料理でふたりをもてなす。

 

ヴァレリーは終始不機嫌で、母親につっけんどんな態度をとる。その癖、この家を生前贈与しろとか、今月は家計が苦しいから送金しろなどと金銭的な要求ばかり突きつけて来る。どうやら母と娘の関係は以前からよくなかったらしい。だが孫はミシェルのことを慕っているようでふたりはヴァレリーをおいて散歩に出かけ楽しいひと時を過ごす。ところが二人が戻って来ると家の前に救急車が停まっているではないか。採取したキノコに毒キノコが混ざっていたようで、孫はキノコが嫌いだと食べなかったが、唯一食べたヴァレリーが倒れてしまったのだ。

 

病院に運ばれたヴァレリーは意識を取り戻すと、私を殺そうとしたとミシェルを激しく非難し、もう二度と孫に会わさないとあわただしくパリに帰ってしまった。

 

同じころ、マリー・クロードの息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)が仮釈放されることになった。真面目に仕事をして、店を持ちたいとヴァンサンは語るが、マリーはまた過ちを繰り返すのではないかと心配でならない。

 

エレーヌ・ヴァンサンはミシェルの優しさと逞しさの両面をしっかりとした生活者の立場で表現し、ジョシアン・バラスコは、マリー・クロードの朗らかだが、心配性の気質をささやかな動きひとつひとつから描出している。フランソワ・オゾンは、そんなミシェルとマリー・クロードを通して、人生の秋を迎えた女性たちの日常と心の機微を丁寧に描きだしている。

 

物語が進むにつれ、彼女たちには共通の過去があることがわかり、また思わぬ悲劇がミシェルたちを襲う。ネタバレになってしまうので詳しくは延べられないが、物語にちょっとしたミステリー要素が加わって来るのだ。

 

作りようによっては不穏なクライムサスペンスにもなりえただろう。だが、オゾンは曖昧な点は秋霧のようにぼんやりさせたまま、観る者が様々な憶測をする予知を与えている。社会から非難されやすい「アウトサイダー」たちは果たしてどのような選択をするのだろうか。

 

ところで、ここに描かれていることは、表現方法も、物語の展開の仕方も全く違うにも関わらず、同じフランスのアラン・ギロディの『ミゼリコルディア』(2024)を彷彿とさせる。全くタイプは別なのに、まるで双子のような間柄と言えば良いだろうか(そういえば、どちらにも「キノコ狩り」が出て来る)。機会があれば、是非見比べてみてほしい。

 

 

※当メディアはアフィリエイトプログラム(Amazonアソシエイト含む)を利用し適格販売により収入を得ています