映画『ホワイト・ノイズ』がNetflix配信(2022年12月30日~)を前に全国で劇場公開される(2022年12月9日~)。
『ホワイト・ノイズ』は、作家ドン・デリーロの同名小説を原作に、『マリッジ・ストーリー』(2019)『フランシス・ハ』(2012)などの作品で知られるノア・バームバックが、脚本・監督を務め、アダム・ドライバー、グレタ・ガーウィグ共演で贈る風刺的な人間ドラマ。
本稿では、ノア・バームバックの過去作の中から5作品をチョイスし、紹介・解説。『ホワイト・ノイズ』を観る前でも、観たあとでも、よりノア・バームバックの世界に浸りたい方々へお贈りします。
目次
映画『彼女と僕のいた場所』
1995年製作/96分/アメリカ/原題:Kicking and Screaming/監督・脚本:ノア・バームバック 原案:オリバー・バークマン 撮影:スティーブン・バーンスタイン 音楽:フィル・マーシャル 出演:ジョシュ・ハミルトン、エリック・ストルツ、オリビア・ダボ、パーカー・ポージー、クリス・アイグマン
ノア・バームバックが25歳の時に制作した監督デビュー作。
大学卒業式の夜、グローバー(ジョシュ・ハミルトン)は、付き合っていた彼女からプラハに留学することを聞かされ愕然とする。彼女がそんな将来を計画していたなんて思いもよらなかったのだ。ルームメイトたちのもとに戻ってきたグローバーは、彼女と別れたことを報告する。
ルームメイトのひとり、チェット(エリック・ストルツ)は卒業するのに10年もかかった強者。卒業しても仕事にもつかず、大学周辺でうろうろしている。別の一人は学生時代と変わらぬ日々を過ごしたいがため大学に再入学する。グローバーも、同級生の女性と「ずっと四年生のままだったらいいのに」なんていう会話を交わしている。社会に出ることへの不安というよりは、居心地の良い場所から出て行きたくない気持ちが勝っているのだ。そんな仲間たちのモラトリアムな日々が一年にわたって描かれ、現在とはまた事情の違う、90年代アメリカ大学生気質がユーモラスに綴られている。分類がめちゃくちゃ細かいビデオ屋なんていうのが出てくるのがまた面白い。
ジョシュ・ハミルトンは2018年のボー・バーナム監督作品『エイス・グレード』では、学校や友人関係であまりうまくいっていない主人公の女子生徒のことを心配する父親を演じている。『彼女と僕の関係』を観た後に観るとなかなか感慨深い。
映画『イカとクジラ』
2005年製作/81分/アメリカ/原題:The Squid and The Whale/監督・脚本:ノア・バームバック 製作:ウェス・アンダーソン 撮影:ロバート・イェーマン 音楽:ディーン・ウェアハム、ブリッタ・フィリップス 出演:ジェフ・ダニエルズ、ローラ・リニー、ジェシー・アイゼンバーグ、オーウェン・クライン、アンナ・パキン、ウィリアム・ボールドウィン
1980年代のNY・ブルックリンを舞台に、両親ともに文学者というインテリ一家が、テニスをしているシーンから映画は始まる。父親(ジェフ・ダニエルズ)は妻(ローラ・リニー)を過度に攻撃して、彼女を怒らせる。
このオープニングが示す通り、何をやっても揉めてしまう2人はついに離婚を決意し、子どもたちは決められた曜日に父と母の住まいを行き来することになる。
ノア・バームバック監督の出世作となった本作は、四人家族のそれぞれの複雑な感情を、様々なエピソードを通して浮かび上がらせる。
「本や映画に関心のないやつは俗物」なんて言葉が飛び出したり、ジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』のポスターを前に映画への言及がなされたり、ジェシー・アイゼンバーグ扮する長男が自作だといって盗作するのがピンク・フロイドだったり、フィッツジェラルドや、カフカなどを読みもせずに批評したりと、文学や音楽、映画などを絶妙に散りばめた話法で物語は綴られて行く。
とりわけ、終盤、家から飛び出した猫を探すため、道路に出た父が発作を起こして倒れながら「デゴラス」と叫ぶシーンが印象に残る。それは「最低」という意味で、妻が「私に言っているの!」と怒って叫ぶと、彼は『勝手にしやがれ』でジャン=ポール・ベルモンドがジーン・セバーグに言った言葉なんだと説明している。すれ違ってしまった2人はこんな時にさえ、言葉の選択に失敗し、諍いを起こしてしまう。
父親を尊敬し、彼の言うことに間違いはないと慕っていた長男だが、幼い頃の記憶に父の姿はない。母が家庭を壊したと信じていた彼は、母との思い出の場所であるニューヨーク自然史博物館へと走り、クジラとイカが格闘している模型を見つめる。本作は、息子が父親の呪縛から抜け出す物語でもあるのだ。
映画『フランシス・ハ』
2012年製作/86分/アメリカ/原題:Frances Ha/監督:ノア・バームバック 脚本;ノア・バームバック、グレタ・ガーウィグ 撮影:サム・レビ 美術・サム・リセンコ 音楽監修:ジョージ・ドレイコリアス 出演:グレタ・ガーウィグ、ミッキー・サムナー、アダム・ドライバー、マイケル・ゼゲン、パトリック・ヒューシンガー
ファイティングポーズをしている20代後半くらいの女性2人組。1人がウクレレを弾いて、もう1人がダンスをしたり、追いかけっこしてSubwayになだれ込んだり、車中で肩にもたれかかったり、料理、読書、編み物、エアロビクス、洗濯を共にする仲睦まじい様子をジャンプカットで繋いでいく。
タイトルのあと、今度はさっきの女の1人、フランシス(グレタ・ガーウィグ)とその彼氏の会話シーンへと移る。微妙に噛み合わない会話が続き、一緒に住もう(+猫二匹)という男のプロポーズ的台詞も、今一緒に住んでいる彼女との生活をやめられないという理由であっさり断ってしまう。彼女との生活の方がずっと楽しいからだ。
ところが友人の方は、そろそろ独り立ちしようと考え始め、二人の生活が微妙にずれていく。別の人と憧れの土地にシェアして住むという友人は、やがて恋人も出来、結婚するという。
突然相方を失った形になったフランシスは、途方にくれる。研究生から昇格できると思っていた仕事の方もさっぱりだ。かろうじて、芸術家の男二人の部屋にころがり込んで住居は確保したものの、家賃を払うのもままならない。おまけに彼らの女友だちには「顔は老けてるのにしっかりしてない」と悪意もなく真顔で感想を述べられる始末だ。
別の友人に冒頭にやっていたファイティングをやろうとすると、全く相手にされないどころか訝られ、思いっきり引かれる。ヲタクが一般人の前でヲタク仲間にやるようなことをやってまったくベクトルが合わない感じ、これあるあるみたいな展開で観ていて実に痛々しい。
でもそんなどん底の中でも、超ポジティブな・・・というか、超脳天気なフランシスが愛しくてたまらない。「キャサリン通りの章」で、D・ボウイの「モダン・ラブ」をBGMにひたすら走り、ジャンプし、思いっきりすっ転んだりする場面の清々しさよ!
パリに行き時差ボケでいくら夜眠れなかったからといって、夕方四時まで眠ってしまうダメさ加減を、そして見事なパリ在住の友人とのすれ違いを。実家のカリフォルニアサクラメントのあわただしくも温かい日々を。ドタバタコメディータッチの出身大学住み込みアルバイトエピソードを。実に軽やかにセンスよく描いていく。これは一人の女性が友人への精神的依存から独立し、自分の居るべき場所を手探りで探していく物語だ。ラストにこの奇妙なタイトルの意味が明らかにされるのも粋である。
映画『ミストレス・アメリカ』
2015年製作/84分/アメリカ/原題:Mistress America/監督:ノア・バームバック 脚本:ノア・バームバック、グレタ・ガーウィグ 撮影:サム・レビ 編集:ジェニファー・レイム 音楽:ディーン・ウェアハム ブリッタ・フィリップス 出演:ローラ・カーク、グレタ・ガーウィグ、マイケル・チャーナス、ヘザー・リンド
ニューヨークのバーナード・カレッジに入学したトレイシー(ローラ・カーク)はうまく学校に溶け込めない。ふとしたきっかけでトニーと出会い親しくなるが、次にトニーと出会った時には、トニーに彼女が出来ていてがっかりしてしまう。
トレーシーの母親はもうすぐ再婚する予定だ。再婚相手の男性の娘で、トレイシーの義理の姉になるブルック(グレタ・ガーゥイク)がニューヨークにいるという。トレイシーは早速ブルックに連絡。すぐに会うことになり(待ち合わせ場所はタイムズスクエア!)、チャーミングでアクティブなブルックにすっかり心奪われてしまう。
ブルックは自身の理想のレストランを開くことを計画していた。トレイシーに物件をみせコンセプトを熱く語る彼女は魅力的でキラキラしている。
ところが、突然ブルックのボーイフレンドが出資をやめると言い出した。挙げ句に彼は彼女のアパートの鍵も変えてしまい、部屋にも入れなくなってしまう。
ブルックはトレイシーを連れて霊媒師を訪ね、ブルックのボーイフレンドを横取りした上、Tシャツのデザインまで盗んだ女性、マミー・クレア(ヘザー・リンド)のところへ行くようにというアドバイスをほぼ誘導して導き出す。
トレイシーとブルックはトニーが運転する車でマミー=クレアの住むコネティカット州へ出発する。異常に嫉妬深いトニーの彼女ニコレットもその旅に同行することになる。
マミー=クレアの家で、ニコレットは、トレイシーがブルックを主人公にして書いた短編小説を暴露。ブルックはショックを受け、その場にいる全員がトレイシーを非難し、2人の友情は終わりを告げる。この場面では人々がにぎやかに交錯仕合い、まるで演劇の舞台のようだ。
この小説は学内の有名な文学クラブに加入するための応募作として書かれたものなのだが、トレイシーのブルックに対する視点が非常に冷静なのに驚かされる。「彼女(ブルック)は魅力的であるという以外に優れたものを持っていなかったので、レストランを開くことは出来ないだろう」という、現実を予言していたかのような内容だったのだ。
妙にリアリストで冷静な才能がある年下の人間が、ふわふわといつまでも何者もなしとげられず夢を負っている年上の友人を傷つけるというのはノア・バームバックの2014年の作品『ヤングアダルド・ニューヨーク』の構図によく似ている。でもトレイシーがブルックを慕ったのは揺るぎない事実なのだ。
ところで『彼女と僕のいた場所』でジョシュ・ハミルトンのクラスメイトの女性がなにげない会話中にもメモを取り出していたけれど、本作でもトレイシーが会話中にメモを取っている。彼女たちはどちらも作家志望なのだ。
映画『マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版)』
2017年製作/112分/アメリカ 原題:The Meyerowitz Stories (New and Selected)/監督・脚本:ノア・バームバック 撮影:ロビー・ライアン 美術:ジェラルド・サリバン 衣装:ジョセフ・G・オーリシ 編集:ジェニファー・レイム 音楽;ランディ・ニューマン 音楽監修;ジョージ・ドレイコリアス 出演:アダム・サンドラー、ペン・スティラー、エリザベス・マーベル、ダスティン・ホフマン、エマ・トンプソン、グレース・バン・パタン
ノア・バームバックがNetflixで撮った最初の作品。以後、彼はNerflixを主舞台に作品を撮るようになる。
冒頭、アダム・サンドラーは路上駐車をしようとしている。が、助手席の娘は話し続けるので気が散るし、そもそも探せども、探せども駐車スペースが空いていない。後ろからクラクションを鳴らされて、ついに壮大に切れまくる。
“我慢の挙げ句切れる”という、アダム・サンドラーのお家芸がいきなり全開だが、物語的にはこの気質はどうやら父譲りらしい。父親を演じているのはダスティン・ホフマン。2人でビリヤードしている時に失敗し、2人とも切れまくるシーンが可笑しい。
アダム・サンドラーは、音楽に才能があったものの大成せず、妻が働き、自分は主夫をしていたので、働きに出たことがない(ライブハウスで演奏していたことはある)。最近、離婚したので、しばらく父親の家にやっかいになって、仕事も始めなければいけない。レナ・ダナムの『タイニー・ファニチャー』の中年版のようだ。
ある日、父の友人のアーティストがMOMAで個展をしているというので2人で出かけることになった。父は彫刻家だが、有名にはなれなかった。一作だけホイットニー美術館に売れたと主張しているが、それも定かではない。
自尊心の強い父はすぐに気を悪くして、帰ると言い出す。この父親、事実をちょとずつ誇張して言うくせがあるようだ。
こんな形でゆっくりと話しが進んでいくが、異母兄弟のベン・スティラーが出てきたあたりから、実はこの父親が大変問題のある人であることがわかってくる。
ベン・スティラーは実業家として成功しているが、父親は彼がアーティストにならなかったことが気に食わない。2人がレストランで昼食を共にするときの会話の恐ろしく噛み合わない様にまた笑ってしまうが、要はこの父親は自分のことにしか感心がないのだ。
アダム・サンドラーと姉であるエリザベス・マーベルはさらに悲惨で、継母に可愛がってもらえなかった上に、父からも認められていないという思いをずっと抱えている。
そんな最中に、父が倒れ入院する。久しぶりにあった兄弟は、心を通わせたりぶつかり合いながら、この問題の多い父を見守ることとなる。
アダム・サンドラーと娘がピアノで連弾しながらデュエットする場面が出てくるが、『イカとクジラ』にしても『マリッジ・ストーリー』(2019)にしても、ノア・バームバック作品の登場人物はよく歌うし、それがとても味わい深い。アダム・ドライバーが友情出演している。