映画『バード ここからはばたく』は、イギリス・ケント州の労働者階級の家庭を舞台に、孤独を抱える12歳の少女ベイリーが、奇妙な謎の男バードと出会ったことで世界の広がりを感じ、周囲の愛に気づく姿を描いた青春ヒューマンドラマだ。
監督を務めたのは、カンヌ国際映画祭審査員賞に輝いた『フィッシュ・タンク』(2009)、『アメリカン・ハニー』(2016)で知られる名匠アンドレア・アーノルド。近年はニコール・キッドマンとリース・ウィザースプーン主演のHBOドラマ『ビッグ・リトル・ライズ』シーズン2の演出などで活躍の幅を広げて来たが、本作で8年ぶりの劇映画復帰を果たした。自然や幻想が織りなすやわらかな時間が交錯し、アーノルド監督ならではの人間観察の鋭さと温かさに満ちた作品に仕上がっている。
『アメリカン・ハニー』でマイアミのビーチで休暇中のサーシャ・レインをスカウトしたように本作でも学校演劇しか経験がなかったニキヤ・アダムズを主演に抜擢。
幻想と現実の境界に立ち現れる不思議な男性・バードにフランツ・ロゴフスキ、ベイリーの父親にバリー・コーガンが扮している。
アンドレア・アーノルド作品は音楽が重要な役割を果たすが、本作も例外ではない。コールドプレイの「Yellow」や、ブラーの「The Universal」、スリーフォード・モッズの「Jolly Fucker」などの楽曲が劇中、効果的に使われ、エレクトロニック・ミュージックの鬼才ブリアルが初の映画音楽を担当している。
第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品。
目次
映画『バード ここから羽ばたく』作品情報

2023年製作/119分/イギリス映画/原題:Bird
監督・脚本:アンドレア・アーノルド 製作:テッサ・ロス、ジュリエット・ハウエル、リー・グルームブリッジ、アンドレア・アーノルド 製作総指揮:ジェサミン・バーガム、カラ・ダーレット、ランダル・サンドラー、クロード・アマデオ、マイケル・ダルト、クリス・トリアナ、モリー・アッシャー、レン・ブラバトニック、ダニー・コーエン、 エバ・イェーツ、ミア・ベイズ、アリソン・トンプソン、マーク・グッダー、ハリー・ディクソン、ジェームズ・グリーン 撮影:ロビー・ライアン 美術:マキシーン・カーリエ 衣装:アレックス・ボーベアード 編集:ジョー・ビニ 音楽:ブリアル 音楽監修:サイモン・アストール キャスティング:ルーシー・パーディー スチール:西島篤司
出演:ニキヤ・アダムズ、フランツ・ロゴフスキ、バリー・コーガン、ジェイソン・ブダ、ジャスミン・ジョブソン、フランキー・ボックス、ジェームズ・ネルソン・ジョイス
映画『バード ここから羽ばたく』あらすじ

ケント州北西部の街、グレーブセンドの不法占拠住宅で、12歳のベイリーは経済力がなく子どもっぽいシングルファーザーのバグと腹違いの兄と暮らしていた。
ある日、父が突然、結婚すると言い出し、結婚式の日ももう決まっていると言う。結婚に関してなんの相談もなかった上に、結婚式に着るようにと趣味の悪いピンクのヒョウ柄の服を渡され、ベイリーはうんざりする。恋人は既に同居するために家に来ており、面白くないベイリーは父が口にすること全てに「いやだ!」と答えて外に飛び出してしまう。
親しい友人もないベイリーは、スマホで鳥や蜂などの生き物や風景を撮り、それを自室の壁に投影することが唯一の楽しみだった。
兄は友人たちと、子どもを虐待している大人を襲撃する自警団を結成していた。ベイリーはついてくるなと言われるが、こっそり後をつけて行く。襲撃は失敗に終わり、皆、散り散りに逃げる中、ベイリーも必死で走って草原に駆け込んだ。
草原で一晩過ごしたベイリーが、朝、目覚めると急に激しい風が吹きあたりを揺らした。気が付くと服装も振る舞いも奇妙な感じのする男が近くに立っており、ベイリーは警戒してスマホを向けた。
静かに佇んでいた男はバードと名乗り、昔この街に住んでいたことがあり、両親を捜していると語った。彼のぎこちない振る舞いの中にピュアななにかを感じたベイリーは、バードの手伝いをはじめるが……。
映画『バード ここから羽ばたく』感想と評価

この物語の背景には、地域コミュニティの世代間連鎖が横たわっている。15歳や16歳という若さで親になる人々が少なくない英国の辺境で、ベイリーの父親バグも16歳の時の恋愛でベイリーの兄を授かり、15歳になった兄自身も14歳の恋人が妊娠したことがわかり、恋人の両親ともめている。こうした環境は、まだ幼い子供たちを瞬く間に大人へと強制的に押し上げてしまう。ベイリーの日常は、貧困と無関心が渦巻き、自己のアイデンティティを問い続ける試練の連続なのだ。彼女の周りには模範となる人物もなく、相談できる人もいない。新人のニキヤ・アダムズは、沈黙と眼差しの奥に鋭敏な感受性を宿すベイリーを見事に演じている。
ある日、ベイリーは父と衝突して家を飛び出し、草原で一夜を明かすが、そこで謎めいた男性バード(フランツ・ロゴフスキ)と知り合う。彼の独特な静けさと奇妙な振る舞いが、ベイリーの心を捉え、二人は友情を育んでいくが、アーノルド監督は、バードが人間ではなく鳥のように見える幻想的で印象に残るショットを巧みに挿入し、バードは本当に実在するのか、ベイリーが生み出した空想の産物なのかと観る者を混乱させる。アーノルド監督がマジックリアリズムの手法を用いるのは今作が初めてである。
幻想的な世界は、過酷な現実からの逃避を表しているのではなく、子供らしい自由と冒険を切望する彼女の願いを具現化したものだ。バードは彼女にとって最後の「子供時代」を護る存在なのだろう。ロビー・ライアンによる手持ちカメラはベイリーに温かく寄り添い、彼女の一歩、一歩を追う。また、ベイリーの視線になってビルの屋上のはしっこに超然と立っているバードの姿を映し出す。たたずむバードの柔らかな静けさが、彼女がこれまで求めてもなかなか得ることのできなかった「安心感」をもたらしてくれる。ロゴフスキは奇妙な独特な動きを体得しながら、その役割を見事に全うしている。
アーノルド監督の作品の特徴は、決して物語を説明的に推し進めるのではなく、自然や音の断片を細やかに組み合わせることにある。『アメリカン・ハニー』があらゆる命の息吹を画面におさめようとしていたように、ここでも風に揺れる草、牛や鳥の存在、そして何気ない日常の光景が、ベイリーの心象と呼応するかのように画面を満たしている。自然は背景ではなく、生き生きと呼吸し、物語のもう一人の登場人物として振る舞うのだ。
同時に、この作品は現代の子どもたちが持つデジタルツールの意味をも掬い上げる。ベイリーはスマートフォンを常に身につけている。彼女はスマートフォンで動画を撮り、それを自室の壁に投影するのを日課にしているのだ。時には暴力的なものを自分の身を護る証拠として映さなくてはならないときもあるが、大抵はカモメが空を飛ぶ映像や、牛の超アップや、何気ない日常のひとこまだ。彼女はこの「上映」で孤独感を癒し、現実に別の光を差し込ませる。そしてその「映画内映画」で彼女の才能を目の当たりにした私たちは、そこに大きな可能性を見出すのだ。
「大丈夫だよ」と囁く声が、父の恋人やバードから彼女に向けられる。子どもにとって、特にベイリーのような子供にとって、「大丈夫だよ」という言葉の持つ重みはどれほどのものだろう。その一言にどれほど励まされることだろうか。
その言葉の通り、ベイリーは父や兄、今は別の場所にいる母や異父姉妹たちといった家族との絆を取り戻し、自分が彼らを愛していることに気づく。若くして父親になったバグは家庭の切り盛りの仕方がわからないでいる未熟な男だが、暴力を振るうことはなく、子供たちを愛している。不穏な役柄の多いバリー・コーガンが、新境地ともいうべきチャーミングなキャラクターを生き生きと演じている。
冒頭と終盤に二度、父の電動スクーターのうしろにベイリーが飛び乗り、カラフルなシティ・センターを颯爽と駆け抜けて行くシーンがあるが、そこにはまったく違った心情が宿っているのだ。
『バード ここから羽ばたく』は貧困家庭や育児放棄を告発した作品ではない。アンドレア・アーノルドは常に批判を控え、敬意を忘れず、複雑な環境に置かれた少女のありのままを描き出している。「大丈夫だよ」と訴えかける強く暖かい眼差しを添えて。
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