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映画『金髪』あらすじ・ネタバレなし感想/岩田剛典が挑む“ブラック校則”の本質を射抜くブラックコメディ

坂下雄一郎監督『金髪』を徹底レビュー。生徒の金髪抗議運動が全国騒動へ発展する中、教師・市川が直面する葛藤と成長を鮮やかに描いたブラックコメディの見どころを解説。

 

ブラック校則の問題が叫ばれる現代、「黒髪であること」が依然として強く求められる学校現場。生徒の金髪登校から始まった“小さな反抗”が、教師、学校、市教委、政治家、SNS世論まで巻き込む大事件へ――。

坂下雄一郎監督の映画『金髪』は、教育現場の思考停止や社会の理不尽を、鋭いユーモアとテンポの良い語り口で浮かび上がらせるブラックコメディだ。岩田剛典演じる中堅教師・市川の視点を通して、校則問題だけでなく、現代の大人たちが抱える歪みとコミュニケーションの断絶を描き出す。

 

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本作は「第38回東京国際映画祭2025」のコンペティション部門で観客賞を受賞。また、アジア最⼤の企画マーケット“⾹港アジア・フィルム・ファイナンシング・フォーラム”(HAF)のIDP部⾨で企画⼤賞を受賞するなど国内外で高い評価を受けている。

 

目次

 

映画『金髪』作品基本情報

(C)2025 映画「金髪」製作委員会

作品名:『金髪』

製作年:2025年

監督・脚本:坂下雄一郎

撮影:月永雄太

出演: 岩田剛典、白鳥玉季、門脇麦、山田真歩、田村健太郎、内田慈

上映時間:103分

映画祭:第38回東京国際映画祭2025コンペティション部門・観客賞受賞/ ⾹港アジア・フィルム・ファイナンシング・フォーラム”(HAF)IDP部⾨・企画⼤賞受賞

ジャンル:社会派コメディ

 

 

映画『金髪』あらすじ

(C)2025 映画「金髪」製作委員会

ブラック校則に不満を抱いた生徒たちは、抗議の意思を示すため、一斉に髪を金髪に染めて登校する。学校は混乱し、教育委員会、政治家、マスコミ、SNSまでが騒ぎに参戦。事態は収束どころか、どんどん肥大化していく。

 

その中で浮かび上がるのは、「誰もがおかしいと思っているのに変わらない仕組み」と、それを黙認する大人たちの思考停止ぶりだ。

 

事なかれ主義の教師・市川(岩田剛典)は、最後まで抗議を続ける生徒・板緑(白鳥玉季)と対話する中で、初めて“相手の声を聞く”ことの意味と重さに気づいていく・・・。

 

映画『金髪』感想と評価

誰もがおかしいと思っているものがなぜ変わらないのか

(C)2025 映画「金髪」製作委員会

劇中、教師が「近頃は校則もそれほど厳しくなくなっている」と語っているように、「ブラック校則」が社会問題となり、校則の見直しが進められた結果、意味不明な校則は以前に比べれば幾分減ってはいるようだ。

だが、少なくとも髪に関しては、黒髪であることが大前提であり、地毛が黒髪でない者に対して「地毛証明書」を提出させたり、強制的に黒髪に染めさせるようなところもまだまだ残っているらしい。

 

映画『金髪』は、生徒たちがそのことに抗議するために髪を金髪に染めて登校したことが、学校は勿論のこと、市教委、総理大臣、マスコミ、SNSまでをも巻き込む一大事に発展していく姿を、巧みなリズムとコミカルなタッチで描いた作品だ。

 

こうした場合、生徒たちを主体とした展開を想像するが、本作の主役は岩田剛典扮する教師の市川である。市川は勤務歴7年目の30歳になる中堅教師だ。彼のモノローグが映画を構成していく仕掛けになっており、彼が表面的に見せる行動と共に、彼の心の中の本音が観客にも伝わるようになっている。

 

しっかりとした自我を持つ生徒たちに比べ、市川の事なかれ主義、言葉の裏になんの思想もない姿が、これでもかと描かれている。

 

「何をしでかしてくれてるんだよ!」という彼の心の叫びは、日常に忙殺されている大人たちにとってはある意味、共感を呼ぶものでもある。とりわけ市川は「ブラック」な仕事として今や、志望者が激減している職業となってしまった「教師」であり、対応しなくてはいけない事柄がこれ以上増えると、通常業務が立ち居かなくなってしまうという彼の言い分も、ある程度は理解できる。

 

だが、それをもってしても、教え子に対する感情があまりにも欠けているように感じられるのだ。あまりにもあたりさわりのない表面的な言葉ばかりで、長いものに巻かれる彼の態度は徹底している。岩田のひょうひょうとした演技も相まって、呆れを通り越して思わず笑ってしまう。

 

他の先生も同様で、生徒たちが聞かされるのは、「校則がおかしいことはわかっているけれどそれがルールなのだから従わなければ」だとか、「だからといって金髪はおかしい。やり方が間違っている」だったり、「他人に迷惑をかけている」など頭ごなしの説得力のない言葉ばかりだ。

 

さらに市の教育委員会や政治家などの上の決定に振り回され、学校自体右往左往させられる始末。映画は騒動を通して、“誰もがおかしいと思っているのにいつまでもなくならない意味不明な悪しきもの”をクローズアップさせ、”なぜ、そんなおかしなものが無くならないのか”という問題を鮮やかに可視化していく。

 

これは校則に限らず、例えば「教師が忙しすぎる」という問題が一向に解決されないことにもあてはまるだろう。誰かが我慢してくれていたらうまく歯車が回るのだ、だから我慢してもらおうという概念がこの日本社会には蔓延しているのだ。

 

映画の終盤、一部の生徒たちが民主主義的な方法で物事を解決するよう行動し始めるのだが、坂下雄一郎監督はここでとどめを刺してくる。一見、生徒たちの行動や意見が人々の心を動かすかのように見えるのだが、その一団の中にいる政治家にコネのある生徒に静かにカメラを向けることで、結局のところ、権力者の鶴の一声でしか情勢は動かせないのだということを示唆しているのだ。なんとも痛烈な皮肉といえよう。

 

声を上げた者の声を真摯に聞くこと

(C)2025 映画「金髪」製作委員会

だが、本作がそんな絶望だけを描いた作品であるかというとそうではない。学校の生徒のみならず、付き合って一年になる恋人(門脇麦)に対しても市川は同じ“事なかれ主義”で接している。彼女にストレートに意見を述べられても逆上したり、暴力を振るうような人間でないのは良いことなのだが、根本的に自分に何が足りないのかをわかっていないので、実りのある話に深まって行くことはない。本作はそんな彼がこの事件を通して変わって行く姿を描く「成長物語」なのだ。

 

何が変わったのか。ただひとり、最後まで金髪運動を続ける生徒・板緑(白鳥玉季)と互いの窮状を打破するため手を組んだ市川はここで初めて二枚舌を捨て、相手の言葉に耳を傾け、気持ちに寄り添うことを知るのだ。声をあげた者の声を真剣に聞くということ自体が、たとえ、物事がうまく進まなかったとしても、大きな意味を持つことが描かれる。声を上げた板緑は、ただ一人でも本気で語り合えたことで救われるのだ。闘いは「負け」だったとしても。

 

映画の後半の、市川の謹慎処分、行き過ぎたテレビ報道などの一連のエピソードは、前半部には溢れていた鋭さが多少弱まってしまい、いささか停滞感が漂ってしまったように感じられるのは否めない。だが、映画をこれまでサブスクでしか見ない主義だった彼が、散々、映画館での私語、途中退席という迷惑行為を繰り返したあと(笑)、思わず映画館で最後まで映画を観てしまう姿を描くことで、彼の変化を「目に見えるもの」としてとらえているのが洒落ている。

 

いつまでも自分が若いと思っている"おじさん世代"が抱える問題や、「ジェネレーションギャップ」によるコミュニケーションの難しさなどにも言及し、現代日本にはびこる根の深い問題を重層的にみつめた本作。その語り口は終始、軽快でウィットに富んでおり、岩田剛典の好演も相まって、極上のブラックコメディに仕上がっている。

 

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