台湾・ラランス合作映画『サリー』(Salli [莎莉])は、養鶏場を営む独身女性がマッチングアプリを通じて自身の人生と向き合う姿を描いたハートフルでユーモラスなヒューマンドラマだ。
短編映画やテレビドラマで評価されて来たリエン・ジエンホン(練建宏)の初長編映画監督作品で、主演の独身女性ホイジュンを演じるのはNetflixの『華燈初上 -夜を生きる女たち-』のハナ役などでおなじみのエスター・リウ(劉品言)。弟役を『僕と幽霊が家族になった件』のリン・ボーホン(林柏宏)、弟の幼馴染役をリー・インホン(李英宏)が務めている。
日本では第19回大阪アジアン映画祭(2024)で初上映され、「来るべき才能賞」と「ABCテレビ賞」を受賞。
来る2025年3月7日(金)深夜26:13-28:00にABCテレビ(関西エリアのみ)での放映が予定されている(日時は変更の可能性あり)
目次
映画『サリー』(Salli [莎莉])作品情報
2023年製作/105分/台湾・フランス合作映画 原題:Salli/莎莉
監督・脚本:練建宏(リエン・ジエンホン) 音楽:李英宏(リー・インホン)
出演:劉品言(エスター・リウ)、林柏宏(リン・ボーホン)、湯詠絮(タン・ヨンシュイ)、李英宏(リー・インホン)、楊麗音(ヤン・リーイン)、
映画『サリー』(Salli [莎莉])のあらすじ
38歳の女性ホイジュンは台中の田舎で弟のウエィホンと一緒に養鶏場を営んでいる。
両親を早くに亡くして以来、彼女は親代わりとなって兄弟の世話をし、自分のことは二の次にして生きて来た。それは恋愛や自分の生き方を振り返る暇もない目まぐるしい日々だった。周囲の人々はそんなホイジュンの事情を知りつつも彼女を「いまだに独身のまま」という目でみる。特におせっかいな叔母は、顔を合わすたび、できるだけ早く結婚したほうがいいと説教し、ひどく年の離れた独身男性や明らかに風変わりな男性の写真を次々と持って来る始末だ。
叔母は弟のウェイホンと地元のパイナップル農家の娘の結婚式に関してもちゃっかり采配をふるっている。彼女が連れて来た占い師は、ホイジュンは未婚なので式に出席すべきではない、などと言う。弟は姉が自分の結婚式に出席しないなんてありえないと言ってくれるが、ホイジュンは叔母や古い慣習に逆らうことに罪悪感を覚え苦笑いするだけだ。
そんなある日、上海からやって来た15歳の姪に勧められ、ホイジュンはマッチングアプリを始めた。姪はホイジュンのプロフィール名を「サリー」と設定してくれた。
アプリを通じて、ホイジュンはフランス人男性マーティンとマッチングする。彼はパリで画廊を経営しているという。彼とのやり取りが進むにつれ、毎回綴られる甘い言葉にすっかり心を奪われてしまうホイジュン。周囲の人々は彼女が詐欺に遭っているのではないかと心配するが、ホイジュンは自分の気持ちを確かめるため、単身パリへ向かう決意をする。
パリ旅行の団体ツアーを終え、単身、マーティンが経営する画廊に向かったホイジュンだったが・・・。
映画『サリー』(Salli [莎莉])の感想と評価
(結末に触れています。ご注意ください)
エスター・リウ扮する主人公のホイジュンは、若いうちから親代わりとして兄弟を育てながら養鶏場を営んできた38歳の独身女性だ。
朝早く起きて鶏の世話をし、卵の出荷準備をするというルーティンワークは、彼女にとっては安心感を与えてくれるものだが、それは同時に「自分はここから出ることができない」という閉塞感にもつながっている。そうした中、彼女が恋愛マッチングアプリを通じて外の世界とつながりを持ち始めたのは、ちょっとした好奇心からだった。
物語の中核には、古い慣習と現代的なツールの対比が巧みに織り込まれている。田舎では冠婚葬祭のたびに占い師や風水師の意見を仰ぐ習慣があるようで、独身のホイジュンは縁起が悪いから弟の結婚式に出席しないほうが良いなどと言われてしまう。周囲の人間は彼女の事情をよく知っているくせに長く独身でいることを揶揄し、ちっとも乗り気になれない縁談話ばかりが持ち込まれる。
対照的に、恋愛アプリを介したやりとりなら、周囲のお節介な人々の目からしばし離れることができ、これまで知らなかった未知の世界を味わうことができる。普段は卵や鶏の世話から一歩も離れられない日常に埋もれているホイジュンだからこそ、画面越しに映るパリの洗練された街並みや相手の男性が経営する画廊の光景は、心をざわめかせる冒険の象徴となる。
ホイジュンが「サリー」として突如決意するパリ行きは、一見するとあまりにも突飛な行動にも見えるが、実際にはゆっくりと積み重ねてきた内面的な変化の延長上にある。この華やかな異世界における冒険とロマンスは、これまでずっと閉じ込めてきた「自分らしい生き方」を確かめる機会となっていくのである。
ホイジュンの養鶏場には一羽だけ雄鶏がいる。間違って他の雌鶏と一緒に紛れ込んできたこの雄鶏を弟は処分しようとするが、ホイジュンはそれを阻止して大切にしている。この雄鶏の存在は本作にユーモラスな趣をもたらしているが、雄鶏はホイジュン自身の姿を映し出す鏡のような存在とも言える。
雄鶏は役に立たない異端な存在であり、ホイジュンもまた周囲から「結婚適齢期を過ぎた残念な人」といった視線を向けられている。しかし、雄鶏もホイジュンも「既成の枠にはまらない」存在とみなすこともできるのではないか。サリーがその雄鶏を大切にするのは、彼女の性格の優しさの顕れであると同時に、彼女が社会の基準や実利性だけで人(鶏)を判断しない人物であるということを表しているのだ。
彼女の「冒険」は、結果として自らをより肯定できる新しい関係性と未来を探す作業となって行く。その過程で生まれるちょっとしたトラブルやコミカルな誤解は、作品全体を軽やかなユーモアで包み込み、観客に肩の力を抜いてサリーの旅路を見守らせる。
エスター・リウは、泥臭い役柄を体当たりで演じており、農場を走り回る姿からは、自然体の魅力が感じられる。と同時に、パリに渡る際には一転してメイクや服装に力を入れ美しく変身する。外面の変化が心の変化を鮮やかに映し出していく。
ホイジュンは、自分自身を受け入れ、家族や周囲の声に左右されない生き方を選ぶ。それは台湾の古い風習や伝統を真っ向から否定するものではなく、自分の歩幅に合わせて生きていくために彼女が導き出した一つの答えだ。
映画『サリー』は、誰もが抱える「自分らしく生きるには?」という問いへの答えを、ユーモラスな温かい視点で描き出している。
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