映画『乱れる』は、NHK BSにて2024年9月5日(木)午後1:00~より放映
戦争で夫を亡くした後も嫁ぎ先に長らく留まり、夫の意志を次いで苦労して酒屋をバラックから今の店に復興させた礼子。しかし時代の変わり目に接し、これからの身の振り方を考えざるをえなくなる。そんなある日、突然、義弟から愛を告白され・・・。
ヒロインの礼子を高峰秀子が演じ、兄嫁に当たる彼女に恋心を抱く義弟に加山雄三が扮した成瀬巳喜男晩年の傑作メロドラマ。
高峰の夫である松山善三が脚本を務めた。
目次
映画『乱れる』作品情報
監督:成瀬巳喜男 脚本:松山善三 製作:藤本真澄、成瀬巳喜男 撮影:安本淳 音楽:斎藤一郎 美術:中古智 照明:石井長四郎 録音:藤好昌生 編集:大井英史 スチル:秦大三
出演:高峰秀子、加山雄三、草笛光子、白川由美、浜美枝、三益愛子、坂部紀子、柳谷寛、中北千枝子、十朱久雄、北村和夫
映画『乱れる』あらすじ
戦争で夫を亡くした礼子は嫁ぎ先に留まって、藤田酒店を一人で復興させ、18年間一家を支えて来た。
義理の弟の幸司は大学を出て就職したものの、転勤がいやだとやめてしまい、酒やマージャンに明け暮れる毎日を送っていた。
その日も喧嘩をして警察にしょっぴかれた幸司を迎えに行った礼子。礼子は捕まったことはお義母さんには内緒にしているから、別々に帰った方がいいと気を利かせた。
それにしても幸司はいつまでこんな生活を送るつもりなのだろう。礼子は彼の将来が心配でたまらなかった。
最近、商店街の近くにはスーパーマーケットが出来て、毎日の特売のせいで、個人商店は皆、大幅に売り上げを落としていた。悲観的になる者もいて、ついに自殺者まで出てしまう。
礼子は、幸司の姉たちから再婚を勧められるが、その気はないと断った。しかし、幸司がこの店を継いで真っ当な道を歩むためには自分がこのままこの家に残ってもいいのだろうかと悩み始める。
そんな折、遅く帰宅した幸司を義理の姉の立場から戒めていた礼子に向かって、幸司は、転勤がいやだったのは、姉さんのそばにいたかったからだと愛を告白する。
衝撃を受けた礼子はあわててその場を立ち去り、ふたりの間にはぎこちない空気が流れる。礼子はついに家を出て行くことを決心するが・・・。
映画『乱れる』感想と評価
(ラストに言及しています。ご注意ください)
本作は、日本映画史に残る名コンビである成瀬巳喜男と高峰秀子の14本目にあたる作品だ。
舞台は静岡県清水市。スーパーマーケットの宣伝カーのトラックが田舎道を走っている。派手な旗を掲げて女一人と男二人が乗り込み、街角を曲がって、商店街の中にまで入って来る。BGMは舟木一夫のヒット曲「高校三年生」だ。
その音につられるように店の前に高峰秀子が出てくる。一旦店に引っ込んだ高峰は客が来たので「いらっしゃいませ」と声をかけるが、客はただのひやかしだった。
別の食品店では中北千枝子扮するおかみが夫にスーパーでは卵が一個5円だと報せている。それを聞いた柳谷寛扮する夫が振り向くカットのあと、店内に並べられた卵に一個11円という値札が付いているカットが続く。
その流れを受けて、次のBARのシーンでも卵関連のエピソードが続く。ゆで卵の殻を剥いている店の女たち。スーパーの男たちが女たちに卵の大食い競争を持ちかけている。カウンターに座っている男が「やめとけ」と注意するが、彼らの騒ぎはおさまらない。卵にかぶりつく女たちは皆、目を白黒させながらむせてしまう。女たちの滑稽な顔のクローズアップが重ねられる。カウンターの男=加山雄三は怒り出し、殴り合いが始まる。
スーパーの関係者はまるで日活アクション映画の悪役みたいに描かれている。卵の値段を聞いて目を丸くしていた件の店主はのちに自殺してしまう。
高峰の店は酒屋だが、醤油や味噌、インドカレーのルーなども扱っており、それらがスーパーより値段が高いとクレームを付けられている。商店街の時代は終わりだ、と判断した加山は銀行員の義兄にスーパーを経営する話を持ちかける。
高峰に再婚を勧める加山の姉たちは、高峰が18年間、自分を犠牲にしてきたと言い、新しい人生を歩むよう促す。
スーパーチェーンの出現だったり、性的に奔放な若者たちの存在だったり、時代の変化、価値観の変化の中にあって、結婚後数か月で夫を戦争で失った女性の身の置き所が揺さぶられていく様が静かに綴られる。
そして義弟、加山からの突然の愛の告白。加山の足音に過敏に反応したり、電話の前で鉢合わせになって結局電話が切れてしまったりというエピソードが綴られ、ついに彼女は寺に加山を呼び出し、告白を受けられないと告げる。この寺が清水の町を見下ろせるような山の中腹にあり、加山がたどりつくまで何度も階段を登っていく様子が描かれる。この場所に彼を呼び出したのは、高峰の亡き夫の墓がある場所であることと、他に誰も来ないのを見計らってのことだろう。
家を出ていくことに決めた高峰は義母の見送りで汽車に乗るが、そこに加山が現れる。送っていくよ、と彼は彼女にネットにはいった冷凍蜜柑を雑誌でくるみ手渡す。最初は列車が混んでいて加山は立っているのだが、次のカットでは高峰の座席とは離れた席に座っており、乗客が減って行くたびに2人の距離は近くなっていく。そのたびに2人の視線が交錯する。ここから映画はさながらロードムービーという様相を呈し、2人の交流と、高峰の気持ちの変化が鮮やかに描かれていく。
上野駅で乗り換えた二人。東北へ行く列車である。高峰は、向かい合って座って眠っている加山の顔を見て、静かに涙を流し始める。それに気づいた加山が「何を泣いているんだ」と尋ね、ついに距離がゼロの隣の席に座る。
高峰は発作的に途中の駅で加山を誘って降り、ローカルバスに乗り換え、山奥の銀山温泉にやってくるのである。
これまで心の中で抑えて来た伝統的な「常識」や「世間体」を解放させる高峰の決断が描かれているからこそ、本作は傑作足り得ているといえるだろう。映画とは、形容も出来ない心情から生まれる行動(運動)を画面に刻み付けることなのだ。
この感情が生まれたのはそこが「列車」という特別な場所だったからだ。彼女が長らく過ごして来た「酒店」では、店にやって来る客や、二階にいる義母の存在が常にあり、彼女はその狭い空間の中で長年生きて来た。
店内や、店と住居空間の間にいる彼女の姿は、カメラを固定してしばしば店の奥から撮られている。こうしたアングルは成瀬作品の特徴のひとつだが、顔のクローズアップではなく、引きのワンカットで捉えられることで、彼女の、より所在投げな、よるべない様が、ひしひしと伝わって来る。
18年間、意識的にも無意識的にも身を置き続けて来たその空間を離れたことで解放された彼女の気持ちは、しかし、温泉の旅館という空間に引きこもることで、再び、変化する。加山とふたりきりであればまた違った結果になったのかもしれないが、仲居がたびたび出入りする部屋の中で、彼女の意識に再び、伝統的な「常識」、「世間体」が蘇ってしまうのである。人間の価値観はそう簡単に変わるものではない。
加山を愛する気持ちを確信している高峰の心は揺れ動くが、結局高峰は加山を拒絶し、悲劇的な最後を迎える。
旅館を飛び出した加山が高峰に嘘の電話をしたあと(それは彼女への別れであり、安心させるための嘘であった)、暗闇の山道を歩いて行くショットがはいる。翌朝、一人所在なげな高峰は、ふと窓を観て、何やら騒がしい様子に気付く。ゴザをかぶされた人が男たちに担架で運ばれていく。高峰は運ばれていく男の指にこよりが結ばれているのを見てハッとし、咄嗟に駆け出す。それは昨晩、高峰が加山の指に結んだものだった。必死で追いつこうと懸命に走っていた高峰は、しかし突然足を止める。
彼女のなりふり構わぬ乱れはてた形相がアップで映し出される。映画はそこでブチっと終わってしまう。劇中何度も登場した引きの構図で彼女の姿をとらえていた静謐なカットとは真逆の表現をすることで、ラストカットに込められた並々ならぬ感情の渦に私たちは息を呑むしかない。