成瀬巳喜男監督が、『めし』(1951)、『稲妻』(1952)、『妻』(1953)、『晩菊』(1954)と立て続けに映画化を成功させた林芙美子の同名小説を『山の音』(1954)、『驟雨』(1956)などの作品で成瀬監督とタッグを組んだ脚本家水木洋子が脚色。
映画『浮雲』は、成瀬巳喜男監督の代表作であり、日本映画界屈指の一本として知られる。
戦時中の1943年、農林省の仕事で仏印で出会ったゆき子と富岡は恋に落ち、終戦後、別々に日本に帰国するが、妻と別れると言っていた富岡は約束を反故にしていた。
傷つきながらも富岡から離れられないゆき子。ふたりは、終戦後の混乱の中、ついたり離れたりしながらも関係を断てずにいた・・・。
ゆき子を高峰秀子、相手役の富岡を森雅之が演じ、彼らにとっても代表作の一つとなった。
映画『浮雲』は2024年9月19日(木)、NHKBSにて放映(午後1:00〜午後3:05)
目次
映画『浮雲』作品情報
1955年製作/124分/日本映画(東宝)
監督:成瀬巳喜男 原作:林芙美子 脚本:水木洋子 製作:藤本真澄 撮影:玉井正夫 照明:石井長四郎 録音;下永尚 美術:中古智 編集:大井英史 音楽:斎藤一郎 監督助手:岡本喜八
出演:高峰秀子、森雅之、岡田茉莉子、中北千枝子、加藤大介、木匠マユリ 木村貞子、山形勲、瀬良明
映画『浮雲』あらすじ
戦時中、日本占領下のフランス領インドシナ。農林省が営む研究施設で和文タイピストとして働くことになった幸田ゆき子(高峰秀子)は、そこで研究員の富岡(森雅之)と出会う。
富岡はひどい毒舌家で、会って早々ゆき子を傷つけ、ゆき子は彼のことを苦手に感じるが、やがてふたりは恋人同士になる。
戦争が終わり、東京に引き上げて来たゆき子は、先に帰っていた富岡の家を訪ねるが、玄関先に出て来たのは彼の妻だった。
富岡は、日本に帰ったら妻とは別れ、日雇いの労働をしてでも一緒に暮らそうと約束していたのだが、自分の帰りを心配して待っていた妻や母を捨てられないと、心変わりしていた。
ゆき子は富岡の冷酷さに失望するが愛することをやめられない。富岡との、一夜限りの関係を心の支えに、一人で暮らして行こうと決める。
東京にはゆき子が高校生だった時に、ゆき子に性的虐待を加え三年間も彼女を弄んだ義理の兄がいた。ゆき子は、義兄の留守の間に彼の家から布団を持ち出し、東京の雑然とした歓楽街のあばら家でひとり、暮らし始めた。
タイピストとして働こうにも英文タイプが出来なくては雇ってもらえない。困窮し疲れ切ったゆき子に優しい言葉をかけて来たGIに支えられ何とか生き延びるが、そのGIもまもなくアメリカに帰ることになっていた。
そんな折、富岡がゆき子を訪ねて来る。富岡は新しい仕事になじめず、病気になった妻を田舎に帰らせていた。ゆき子と富岡はよりを戻して伊香保温泉に出かけていく。
2人はつかの間の幸せを取り戻すが、富岡は飲み屋の若女将おせいと関係を結んでしまい、それを知ったゆき子は東京に帰ると言い出した。
結局一緒に東京に帰って来た二人だったが、少しあわない間に富岡はおせいと一緒に暮らし始めていた。妊娠が判明し、富岡に会いに来たゆき子は動揺し、激怒するが、富岡はゆき子の妊娠を知ると産んでくれと懇願し出す。
しかし、結局ゆき子は新興宗教を初めてはぶりがよくなった義兄に金を借り、中絶する。何度も手術をやり直したため、術後の経過が思わしくないゆき子は病室のベッドで横になるが、隣の患者が読んでいた新聞に、おせいが夫に殺されたと伝える記事が掲載されているのに気が付く。
ゆき子は新興宗教の会計の職に就き、義兄に養われることになった。経済的に落ち着いたゆき子のところに富岡が訪ねて来た。田舎に返していた妻が亡くなり、葬式の費用も出せないため、ゆき子に金を借りに来たのだ。
富岡は、知人の紹介で石鹸会社に勤務していたのだが、おせいの事件が起こり、新聞沙汰になったため、会社をクビになっていた。農林省のつてでコラムを執筆することで、なんとか食いつないでいた。
富岡とゆき子の関係は相変わらずずるずると続いていたが、まもなく富岡が農林省関連の仕事で屋久島に行くことが決まった。これで本当の別れだという彼に、ゆき子は自分も連れて行ってくれとすがりつくが・・・。
映画『浮雲』感想と評価
(ラストに言及しています。ご注意ください)
代々木上原の森雅之の家を高峰秀子が訪ねる。日本占領下の仏印(フランス領インドシナ)で過ごし、恋人同士になった二人が日本に引き上げて来て初めて再会するシーンなのだが、着物姿で出てきた森はいったん着替えに戻る。薄着で寒いといっていた高峰になにか羽織るものなど持ってくるようなやさしい男ではない。いや、むしろ妻の目を恐れてそれができない弱い男なのかもしれない。これだけのエピソードで既に森のキャラクターが明快に語られている。
もともと、屈辱的な境遇から逃げるように、日本を離れ、インドシナの任務についた彼女にとって戦後の混乱期にある日本には居場所がない。一方の森の方も妻が病気になったのをきっかけに家を失い、新しい仕事もうまくいかず、今の新しい日本の生活に順応することが出来ない。
ふたりはひっついたり離れたりしながら、共依存の関係にある。彼らを根底に結び付けているのは何か。情熱的な「愛」や強い「欲望」が突き動かしているというふうでもない。
その秘密は仏印での二人の関係が鍵を握っているのだろうが、成瀬巳喜男監督は、仏印時代をほとんど振り返らない。フラッシュバックで語られるのは出逢いの部分と、ラストに森が思い浮かべる当時の若く美しかった高峰の姿だけだ。
出逢いの場面では、始めから森は毒舌家で、わざと高峰を傷つけるような言葉を浴びせている。戸惑い、感情を害する高峰をとらえながらも、画面に度々現れる現地人の使用人の姿が注意を引く。おそらく、森はこの女にも手を出しているのだろうと誰もが感じるはずだ。
さらに森と高峰が二人きりで森林に調査に行った日、高峰は同僚の男が酒を飲んで自分の部屋までやってきたことを気味悪いと告白する。すると突然、森は高峰の肩を抱いて引き寄せ、二人は接吻する。ロマンチックでもなんでもなく、同僚の行為に刺激を受け欲望がむき出しになったあさましい行為のようにも見える。だが、そのあと、森が、本土に戻ったら離婚するから日雇い労働に従事してでも二人で一緒に暮らそうと約束するような「幸福」な日々があったはずなのだ。が、その部分はばっさりと省略されている。
仏印での幸福な思い出にしがみつくことでしか生きられない二人。だが、その「幸福」すらも、単に若い女性が高峰しかいなかったからかもしれず(伊香保温泉での岡田茉莉子との関係を見るにつけ)、もしかしたら私たちが想像するような美しい思い出ではなかったかもしれない。
混乱の中から徐々に生まれ変わって行く日本社会に馴染めず、時代の流れから零れ落ちていく二人の男女がすがったのは、「戦時中の特別な関係」そのものだったのかもしれない。
高峰の森に対する思いは「愛」というよりも「執着」に近い。ひっついたり離れたりという二人の関係はメロドラマというよりは、腐れ縁と呼ぶべきものだろう。「腐れ縁」という言葉はこの映画を語る際、今では常套句のように使われている表現なのだが、やはりこれ以上の言葉はないように思う。
農林省の仕事で屋久島に行くことになった森。これが本当の別れだという彼に、高峰は自分も連れて行ってくれと泣いてすがり、二人は共に屋久島に向かう。
屋久島はふたりの思い出の地、仏印を思い出させる場所で、森はみるみる元気を取り戻していくが、森との子を中絶して以来、体調の優れなかった高峰は、どんどん弱って行く。
ラスト、雨が降りしきる中、高峰の危篤の知らせを受け、山をあわただしく下りて帰宅した森は、他の人を帰して一人高峰につきそう。仏印時代の白いワンピースを来た若き高峰のショットがインサートされる。高峰にすがって泣き始める森。失って初めて失ったものの大きさを知ることになった男。彼はまだ中年であるのに、もはや年老いた男のなれの果てのように見える。
ちなみに『脚本家 水木洋子 大いなる映画遺産とその生涯』(加藤馨著/映人社)には『プロデューサー人生・藤本真澄映画に賭ける』( 尾崎秀樹編. 東宝出版事業室)に寄せた水木の寄稿「女は入れない場所で」に触れて、“「浮雲」のシナリオをめぐって成瀬監督と水木が藤本を挟んで壮絶なバトルを繰り広げていたことがよくわかる”と記されており、次のように続けている。
執筆中に成瀬から「映画は鹿児島へ発つ前に終わるように。せいぜい鹿児島までで結構」と伝えられて、突っぱねた水木が「屋久島まではどんなことをしても成瀬さんを引っ張って行ってほしい」と頼んだ話も出てくる。
屋久島が出てこない映画となる可能性もあったというのは興味深いが、仏印時代を思い出させる舞台という意味でもこれは必然の結末であったろう。