新宿・歌舞伎町を舞台に、闇バイトや戸籍売買に手を染めた若者たちの運命を描く『愚か者の身分』。暴力と優しさが交錯する都市の闇に生きる彼らの姿を三章構成で見つめる衝撃の社会派ノワール。
新宿のネオンの下で、青年たちは生き延びるために罪を重ねていく。
第2回大藪春彦新人賞を受賞した西尾潤の同名小説をNetflixシリーズ「今際の国のアリス」などを手掛けるプロデューサー集団THE SEVENが初の劇場作品として映画化した『愚か者の身分』は、現代都市に深く浸透した暴力と貧困の構造を鋭く映し出す社会派青春映画だ。
戸籍売買という衝撃的な題材を通じ、他者を傷つけながらも優しさを捨てきれない若者たちの姿を描き出し、観る者に「愚かさ」とは何かを問いかける。
『リンダリンダリンダ』(2005)、『ある男』(2022)の向井康介が脚本を手がけ、岩井俊二監督の助監督を長らく務め『いけいけ!バカオンナ 我が道を行け』(2020)、『Little DJ 小さな恋の物語』(2007)などの作品で知られる永田琴が監督を務めた。
主人公・タクヤを北村匠海、かつてタクヤに戸籍売買の仕事を教えた梶谷を綾野剛、タクヤが弟のようにかわいがるマモルを空音央の『HAPPYEND』(2024)でも存在感ある演技が印象的だった林裕太が演じている。
目次
映画『愚か者の身分』あらすじ(ネタバレなし)

東京・新宿。タクヤとマモルは、SNSで女性になりすまし、孤独な男たちを誘い出しては戸籍を買い取る違法取引に関わっている。タクヤは弟分のマモルに「彼らに同情するな」と忠告するが、彼自身かつて自分の戸籍を売った過去を抱えており、被害者に対して非情になり切れずにいた。
タクヤとマモルは、いきつけのバーのマスターから、彼らが関係している犯罪グループが、今、大騒ぎになっていることを聞かされる。グループが他所から預かっていた一億円が何者かによって奪われたらしい。彼らはやっきになって犯人を捜しているという。
タクヤは、兄貴分にあたる佐藤から、闇バイト以外のやばい仕事を言い渡される。どんどん深みに入って行かざるをえない環境に居心地の悪さを感じるタクヤ。
佐藤と一緒に食事をしたあと、マモルは自分に背中を向けて、歌舞伎町を歩いていくタクヤを尾行する。タクヤは梶谷という男から、新しい免許書を受け取っていた。
梶谷の車が見えなくなるとマモルはタクヤに近づき尋ねた。「抜けるんですか?」
タクヤは何も答えず、ただ立ち尽くしていた。
タクヤ、マモル、そして梶谷。三人の視点で描かれる三章構成の物語は、現代社会の歪みと暴力を背景に、三人がたどる運命を切実に照らし出していく。
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映画『愚か者の身分』感想と評価

タクヤとマモルはSNS上で女性に成り済まし、孤独な男たちを誘い出しては、戸籍を買い取るという不法取引に手を染めている。戸籍を売るという行為は、社会的存在としての自己を放棄するだけでなく、人としての尊厳の最後の拠り所をも失うことを意味している。マモルが自分も戸籍を売ろうかなと口にした時、タクヤはやめとけと強く否定している。タクヤもかつてまとまった金を手に入れるために戸籍を売った経験があるのだ。自らのアイデンティティを切り崩してしまったことに自覚的な彼は、詐欺を行いつつ、相手に対する同情心を抑えることができない。
舞台となるのは東京・新宿、ネオンサインのきらめく夜の街、歌舞伎町だ。光に包まれた歓楽街は、一見、心を解放してくれる楽園のようだが、同時に彼らを逃れられぬ闇の中に閉じ込める装置でもある。華やかさと混乱が共存するその空間は、現代の東京という都市の矛盾を凝縮した心理的風景として機能しているだろう。
映画は、「闇バイト」が社会問題になるなど暴力が日常の隙間にまで染み込んだ環境に置かれた現代の若者たちの姿を、タクヤ、マモル、梶谷の三人の視線を順に追う三章構成というスタイルで描いている。始まりと終わりは同じ神田川の場面でつながり、三人の運命は水面のように交錯する。この構造によって私たち観客は、彼らの選択の必然と破滅の輪郭を立体的に捉えることができる。
タクヤはマモルを弟のように庇い、梶谷はタクヤを見殺しに出来ず、守る立場に回る。兄弟のように連なるその連鎖は、社会から見放された者たちの小さな連帯であり、同時にタクヤがマモルを、梶谷がタクヤをこの世界へ引きずり込んでしまったことへの贖罪の形でもある。
犯罪組織に足を縛られてしまった者がそこから抜け出すのは容易ではない。タクヤがドアを開け、アパートの自分の部屋に入ったあと、カメラはゆっくりとドアに近づいていき、じっとドアを凝視し続ける。私たちは激しい音だけで彼の運命を知らされるのだ。
この部屋にはタクヤ以外の人物が何度も足を踏み入れる。この恐ろしくもショッキングで凄惨な出来事の全容は、三章構成の中で、立体的に明かされるのだが、タクヤの部屋という空間の使い方、時系列のずらし方が実に巧みである。
犯罪組織で生きるには彼らはあまりに優しすぎるのだ。残酷な暴力と不条理に満ちた世界が展開するが、記憶に残るのは彼らの優しさだ。
『愚か者の身分』は、青年の貧困と犯罪の連鎖を描きながら、社会構造が個人の尊厳をいかに掠め取っていくかを冷徹に見据えている。闇バイト、戸籍売買、貧困ビジネス。そこに飲み込まれた若者たちの愚かさは、もはや単なる判断の過ちではない。生き延びようとすること自体が、愚かさとして記録される時代。
監督は、そんな愚か者たちに温かい眼差しを向けながら、逃亡劇として、最後まで緊張感を緩めない。私たちは祈るような気持ちでスクリーンを凝視し続けるのだ。
映画『愚か者の身分』作品基本情報

映画タイトル:愚か者の身分
製作年:2025年
監督:永田琴
脚本:向井康介
原作:西尾潤
上映時間:130分
出演:北村匠海、林裕太、山下美月、矢本悠馬、木南晴夏、田邊和也、嶺豪一、綾野剛
映画祭・賞:第30回釜山国際映画祭コンペティション部門出品。《The Best Actor Award》最優秀俳優賞受賞(北村匠海、林裕太、綾野剛)
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