ウィリアム・S・バロウズの自伝的同名小説を原作としたルカ・グァダニーノ監督の『クィア/QUEER』は、深い情動と視覚的詩情に満ちた作品だ。
舞台は1950年代のメキシコ。主人公のウィリアム・リーは、アルコール、タバコ、ヘロインに溺れる40代のアメリカ人駐在員だ。ある日彼は若い元海軍兵ユージーン・アラートンを見かけ心を奪われる。アラートンとより深い関係になりたいと願ったリーは彼を南米旅行に誘うが・・・。
主人公リーをダニエル・クレイグが演じ、2024年・第96回ナショナル・ボード・オブ・レビューにて主演男優賞を受賞。ユージーン・アラートン役をNetflixの人気ドラマ「アウターバンクス」(20)でブレイクしたドリュー・スターキーが繊細に演じているほか、ジェイソン・シュワルツマン、レスリー・マンビル等が共演している。
ルカ・グァダニーノ監督の前作『チャレンジャーズ』(2024)で脚本を担当したジャスティン・カリツケスが本作でも脚本を担当し、レント・レズナー&アッティカス・ロスも『ボーン・アンド・オール』(2022)、『チャレンジャーズ』に続き音楽を手掛けている。ニルヴァーナ、プリンス、ニュー・オーダー等時代を超えた挿入歌が話題を呼んでいる。
2024年・第81回ベネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品作品。
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映画『クィア/QUEER』作品情報
2024年製作/137分/R15+/イタリア・アメリカ合作映画/原題:Queer
監督;ルカ・グァダニーノ 製作:ロレンツオ・ミエーリ、ルカ・グァダニーノ 製作総指揮:エレナ・レッキア、ピーター・スピアーズ 原作:ウィリアム・S・バロウウズ 脚本:ジェスティン・クリツケス 撮影:サヨムプー・ムックディプローム 美術:ステファノ・バイシ 衣装:ジョナサン・アンダーソン 音楽:トレント・レズナー、アティカス・ロス 音楽監修:ロビン・アーダング 振付:ソル・レオン、ポール・ライトフット キャスティング:ジェシカ・ローネ
出演:ダニエル・クレイグ、ドリュー・スターキー、ジェイソン・シュワルツマン、エンヒキ・ザガ、ドリュー・ドローギー、アンドラ・ウルサ、アリエル・シュルマン、アンドレス・ドゥプラット、オマー・アポロ、デヴィッド・ロウリー、リサンドロ・アロンソ、ミヒャエル・ボレマンス、マイケル・ケント、コリン・ベイツ、ロニア・アヴァ、レスリー・マンヴィル
映画『クィア/QUEER』あらすじ
1950年代のメキシコ。40代のアメリカ人駐在員で麻薬中毒者のウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)は、リネンのオフホワイトなジャケットを羽織り、常にホルスターに拳銃を忍ばせている。
彼は、日中は地元のカフェで、ゲイのアメリカ人男性たちとたいして意味もない会話を交わし、夜になると、狼のように飢え、運よく一夜限りの恋人がみつかるとモーテルにしけこむのが常だった。
ある日、通りを歩いていたリーは、闘鶏をしている男たちの群れの向こうを行く一人の青年に目を奪われる。すぐにリーは彼に近づき友人となった。彼の名はユージーン・アラートン(ドリュー・スターキー)といい、ある晩、リーは彼を自分の部屋に誘い、ふたりは肉体関係をもった。
だが、アラートンは、リーと会っているときでも、途中で別の知人のところに行ってしまうなど、何を考えているかよくわからない。リーは彼に執着し、彼をもっと身近に感じ、心も体も手に入れたいと願うようになる。
リーはアラートンを南米旅行に誘う。リーにとってそれは「ヤヘ」と呼ばれる幻覚剤の探索旅行だった。「ヤヘ」は、アメリカやロシアのテレパシー実験に利用されているという。
アラートンは一緒に旅行に行くことを承諾し、二人はエクアドルのジャングルの奥地へと向かうが、そこでは予想もせぬ展開が待ち受けていた。
映画『クィア/QUEER』感想と解説
ウィリアム・リーは、深い渇望感に苛まれた男だ。夜ごと違う男たちと関係を持っても彼の気持ちは満たされない。彼が欲しいのは、心の空白を埋めてくれるような特別な存在なのだ。
アラートンと結ばれたとき、彼はついにそうした相手を見つけたと歓喜したに違いない。しかし、アラートンの気まぐれな振る舞いはリーの渇望を一層深めることになる。ある瞬間には情熱的なのに、次の瞬間には冷淡に突き放すかのようなアラートンの態度の不可解さは、リーの心を翻弄し、彼を「ヤヘ」を探す南米旅行に駆り立てることになる。ダニエル・クレイグの演技は、リーの内面の荒廃と情熱的な執着を見事に体現している。
ルカ・グァダニーノは、誰かを覗き見たり、誰かに触れたいと望む感覚を映像で表現することに長けた作家だ。前作『チャレンジャーズ』でのテニスのラリーがいつの間にか愛の交換そのものになっていたように。本作でも、リーがアラートンを探す視線や、触れたいと願う手つきが、言葉以上に雄弁に彼の内面を物語っている。
また、老いというテーマも巧みに織り込まれている。アラートンの美しい細い長い指が、年季の入ったリーの指に触れるシーンが劇中、二度出て来る。それは容姿や体躯を見比べて感じるよりも、一層、二人の年齢差を感じさせる。リーの40代という年齢は、アラートンの若さと対比され、彼がおぼろげに抱いている肉体と精神の衰えへの不安を静かに浮き彫りにする。
1950年代のメキシコを再現したセットや衣装は、細部までこだわり抜かれ、埃っぽい街並み、色褪せた看板、汗とタバコの匂いが漂うようなバーの雰囲気は、当時の空気を忠実に蘇らせている。だが、一方で、わざと人工的に見えるよう作られており、ホテルのシーツのしみですら不潔な印象はなく、ホテルの部屋からの眺めは絵画的な美しさが際立っている。エドワード・ホッパーがメキシコに居たらこんな絵を描くのでは、と思わせる場面もしばしばだ。そうした傾向は、ニルヴァーナなど、時代錯誤的な音楽の選択にも見られる。それらはリーの内面の混乱と現代の観客への橋渡しを果たし、物語に思いがけない鮮度を与えている。
物語の後半、リーはテレパシーをもたらすという幻覚剤「ヤヘ」を求めてアラートンと南米へ旅立つ。この旅は、物語のトーンを一変させ、以降、シュールで夢幻的な展開へと突入して行く。グァダニーノは幻覚的なヴィジョンで彩られたシーンを通じて、リーの内面の混沌を視覚化してみせる。ヤヘの儀式の場面では、現実と幻覚の境界が曖昧になり、リーの欲望と恐れが激しく交錯する。こうしたシュールな表現は、バロウズの原作の精神を忠実に反映しつつも、グァダニーノ独自の美学で再解釈されたものだ。アラートンとの関係が不安定なまま進む旅は、リーの心の彷徨を象徴しているが、エクアドルの森にこもってヤヘの研究をしているレスリー・マンヴィル扮するコッター博士の前では、常に愛想笑いを絶やさないのがなんとも滑稽であり、それがまた愛しくも感じられる。
最終的に、『クィア/QUERR』は純愛の映画として結実する。年老いたリーが画面に登場した時、これまでの物語が全て老いたリーの回想であることが明らかになる。ラスト、スクリーンに輝く光は映画が始まってすぐに画面を占めたものと同じものだ。メキシコの街が人工的で、暑さや汗をあまり感じさせるものでなかったのも、それがリーの回想による思い出の中の風景だったからだ。
あのヤヘの森で離れ離れになってしまってから、彼らは二度と会うことはなかったのだろう。そもそもアラートンが生きているかすら確かではない。映画の終盤、バロウズが酒に酔い、妻とウィリアム・テルごっこをして誤って妻を撃ち殺してしまった1951年の事件を模したシーンが登場する。頭の上にコップを乗せたアラートンに銃を向けたリーが引き金を引くとアラートンは崩れ落ちる。弾はそれて彼の額に穴を開けたのだ。リーはあわててアラートンのもとに駆け寄るが、アラートンも部屋の備品も何もかもが消え、何もない空間にリー一人だけが取り残されてしまう。
これはアラートンが実際に亡くなったことを意味するのではないだろうか。もし彼が生きていたとしても、彼は本来歩むべき道から大きくそれた人生を歩まなければならなかったのではないか。まだ自分のセクシュアリティすら確かではなかった若く美しい青年にはもしかしたら輝かしい未来があったかもしれないのに、(恐らく)リーがそれを奪ってしまったのだ。
老いたリーはほとんど表情を変えないので、彼の心を読み取ることはできない。だが、彼がベッドに不自由そうに体を横たえると、初めて結ばれた夜の時のように、アラートンの足がリーの背中にぴたりと寄って来るショットで映画は終わる。
リーの渇望は終始満たされることはなく、心の中は後悔の念で一杯かもしれない。だが、アラートンを心から愛したことだけは揺るぎのない事実であった。
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