94歳を迎えたクリント・イーストウッド監督の最新作『陪審員2番』は、ある刑事事件の陪審員に選ばれた男性を主人公にした法廷サスペンスだ。
裁判が始まってほどなく、「陪審員2番」である彼は顔を曇らせる。彼には思いあたることがあった。一年前の事件の日、彼も被告たちと同じ場所にいたのだ・・・。
陪審員2番ことジャスティン・ケンプを演じるのは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)や『女王陛下のお気に入り』(2018)などの作品で知られるニコラス・ホルト。
『ヘレディタリー 継承』(2018)のトニ・コレットが検事役を演じ、『AIR』(2023)のクリス・メッシーナが弁護士を、『セッション』(2014)のJ・K・シモンズが陪審員のひとりを演じている。
ニコラス・ホルトとトニ・コレットは2002年の映画『アバウト・ア・ボーイ』で母子を演じて以来の共演となった。
日本では劇場公開されずU-NEXTで独占配信されている。
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目次
映画『陪審員2番』作品情報
2024年製作/114分/アメリカ映画/原題:Juror #2
監督:クリント・イーストウッド 脚本:ジョナサン・エイブラムズ 製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、ジェシカ・マイヤー、アダム・グッドマン 、マット・スキーナ 製作総指揮:デビッド・M・バーンスタイン、エレン・ゴールドスミス=バイン、ジェレミー・ベル 撮影:イブ・ベランジェ 美術:ロン・リース 衣装:デボラ・ホッパー 編集:ジョエル・コックス、デビッド・コックス 音楽:マーク・マンシーナ
出演:ニコラス・ホルト、トニ・コレット、J・K・シモンズ、クリス・メッシーナ、ガブリエル・バッソ、ゾーイ・ドゥイッチ、セドリック・ヤーブロー、レスリー・ビブ、キーファー・サザーランド、エイミー・アキノ、エイドリアン・C・ムーア、福山智可子
映画『陪審員2番』あらすじ
ジョージア州サバンナ。ライススタイル雑誌の記者であるジャスティン・ケンプは身重の妻と二人で暮らしている。
1年前、二人には双子の赤ちゃんが誕生するはずだったが、悲劇的な結末を迎えたため、今回、二人はとても神経質になっていた。
妻の出産予定日が間近に迫るタイミングで、ジャスティンはある裁判の陪審員に召喚されてしまう。彼は判事に家庭の事情を伝えるが、普段の勤務時間以上の負担はかけないと言われ、刑事事件の陪審員に正式に選出された。
被告人はサイスという男性だった。彼は前年に恋人のケンダル・カーターを殺害した罪に問われていた。
彼は以前から暴力的な行動を取ることで知られており、恋人へのDVの疑いもあった。ある雨の夜、バーを訪れた彼らは最初は仲睦まじく見えたが、やがて派手な喧嘩をはじめ、立腹したケンダルが店を出て行った。サイスはすぐに彼女を追いかけた。
翌朝、女性の死体が発見され、ケンダルであることが判明。頭を強く殴られたことが死因だった。二人の喧嘩は大勢の人々が目撃していて、誰もが彼が犯人であることを疑っていなかった。
裁判のやり取りに耳を傾けていたジャスティンは、あることに気付く。一年前のあの雨の夜、自分も彼らと同じ場所にいたのだ。
酒がそそがれたグラスを前に、苦悩をあらわにした表情をして彼はあの場所に座っていた。自分のことで精いっぱいでそこで何が起こったのかは知る由もなく、彼は店を出て車に乗った。
車を運転している途中も彼は苦悶の表情を浮かべていた。その時、彼は何かを轢いたのを感じた。あわてて車を降りたがそこには何もなかった。「鹿に注意」という看板が彼の目に入って来た。鹿を轢いたが逃げたのだ、と彼は考え、その場を立ち去った。
だが、あの時、轢いたのは本当に鹿だったのか。公判が進むに連れ、彼は自分が轢いたのはケンダルで、彼女は車に轢かれて道路から下の崖に落ち、死亡したということが確信に変わって行く。
彼は法律家に助言を求めるが、素直に出頭しても過去にアルコール中毒だった経歴によって終身刑になるだろうと聞き、名乗り出ることをためらう。もし自分が捕まったら、身重の妻をひとりきりにしてしまう。無事出産できても彼女と子供のそばにいてあげられないことになってしまう・・・。あの夜、彼があの店にいたのは妻が双子を流産したためだった。アルコール依存症だった彼は禁酒に努めていたが、あの日、苦しみをおさえるためにそれを破ろうとし、すんでのところで思いとどまったのだ。
弁護士たちの最終弁論が終わり、いよいよ裁判は陪審員に委ねられた。他の陪審員たちは皆、サイスが恋人を殺したのだと考えていた。そして彼らは早く帰りたがっていた。しかし、このまま、彼に罪をかぶせてしまっていいのだろうか。罪悪感に苛まれたジャスティンは・・・。
映画『陪審員2番』感想と解説
本作はそのほとんどが法廷でのシーンであるにもかかわらず、典型的な法廷ドラマとは一線を画している。
クリス・メッシーナが公選弁護人を、トニ・コレットが検事を演じているが、スリリングなやり取りや、鮮やかな手法が飛び交うような派手さはなく、映画はごくありふれた公判をダイジェスト的に描写して行く。
法廷シーンの間に事件当時の現場の様子を伝えるためフラッシュバックが散りばめられているが、そこから立ち上がって来るのは、陪審員の一人であるジャスティン・ケンプ(ニコラス・ホルト)の不明瞭な疑惑のイメージである。
公判が進むに連れ、ジャスティンは自分が事件に大きく関与していることに気づく。ついには目の前で被告人として裁きを受けている男は無実で、犯人は自分であると確信するに至る。
カメラはジャスティンの顔をアップで何度も捉え、彼の当惑した表情や不安に揺れる視線を映し出す。動揺を静かに確実に伝えるニコラス・ホルトの演技が素晴らしい。
被告人の冤罪を晴らすべきか、家族を護るために自分自身の罪を隠蔽するべきかというジレンマに直面した彼の姿は、自ずと観る者、私たちをも道徳的グレーの世界に引きずり込んでいく。このような立場に立った時、果たして自分だったらどうするだろうか、と考えずにいられなくなってしまう。
陪審員たちは、皆、被告が有罪であると考えている。あらゆる証言が彼を犯人だと物語っているではないか、と。そして勿論、そこには偏見も存在する。こんな社会の害悪でしかない男は裁かれて当然だ、裁かれるべきだと一部の陪審員は信じ込んでさえいる。
罪悪感に苛まれたジャスティンが、疑問を呈さなければ、彼らは満場一致で一瞬にして被告人に有罪判決を下していただろう。それはなんと皮肉なことだろう。イーストウッドは、陪審員裁判の制度に潜む欠陥を鋭く指摘し、司法が抱える深刻な問題を明らかにしてみせる。
一方、トニ・コレットが扮する検事は地方検事選に立候補しており、この裁判で有罪判決が出れば俄然有利になることを彼女自身承知している。
政治的野心に囚われた彼女もまた、この事件を思い込みの範囲内で捉えてしまっている。だが、彼女の司法家としての良心が道徳的グレーゾーンから這い出た時、物語はさらなる緊迫感を生むことになる。
検事とジャスティンが直接対峙する場面はごくわずかだが、これまでのジャスティンとはまったく別人のような人格が浮かび上がるショットは衝撃的だ。
本作の最大のテーマは良心の危機に直面した人間を見つめることにある。この映画に派手なアクションは必要ない。イーストウッドは奇をてらわないストレートな演出で、彼の作品群の中では最も静かで、だが強い物語を生みだした。ラストはまるでアラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』のような余韻を残す。