高級ホテルのマネージャーであるキム・ソヌは頭脳明晰で腕もたつことから汚れ仕事を一手に引き受け、裏社会と密接に通じるカン社長からの信頼も厚かった。
社長は自分が中国に出張する間、ヒスという若い女性を見張るようにキムに命じる。忠実に仕事をこなすキム。だが、キムが咄嗟に下した判断が彼の人生を一変させてしまう・・・・。
映画『甘い人生』は、『グッド・バッド・ウィアード』(2008)、『悪魔を見た』(2010)、『密偵』(2016)などの作品で知られるキム・ジウン監督がイ・ビョンホンを主役に迎えて2004年に製作した作品だ。公開直後は思うように興業が伸びなかったが、徐々に評価があがり、今ではキム・ジウン監督の代表作の一つとして、また韓国ノワールの代表作として多くのファンを獲得している。
第42回百想芸術大賞では、イ・ビョンホンが最優秀演技賞を、第25回青龍賞で撮影賞、第42回大鐘賞でファン・ジョンミンが助演男優賞、第38回シッチェス国際ファンタスティック映画祭では音楽賞を受賞するなど国内外で高い評価を受けた。
キム・ジウン監督監修により、35ミリのネガフィルムから修復された4Kレストア版が2024年、全国の劇場にて順次リバイバル公開されている。
目次
映画『甘い人生』作品情報
2004年製作/120分/韓国映画/原題:달콤한 인생(英題:A Bittersweet Life)
監督・脚本:キム・ジウン 撮影:キム・ジョン 美術:リュ・ソンヒ 衣装:チョ・サンギョン 編集:チェ・ジェギュン 音楽:ピーチ・プレゼンツ
出演:イ・ビョンホン、キム・ヨンチョル、シン・ミナ、キム・レハ、イ・ギョン、オ・ダルス、キム・ヘゴン、ファン・ジョンミン、チン・グ
映画『甘い人生』あらすじ
キム・ソヌはホテルの最上階の高級レストランのマネージャーを務めているが、実際は困りごとが起こる度、暴力で解決する汚れ仕事を専門にしていた。
ある夜、ホテルラウンジでチョコムースを食していたソヌは、地下で厄介ごとが起きていると伝えられ、現場へと向かう。
地下に設けられているVIPルームには三人のチンピラが営業時間が終わっても居座っていた。ソヌは丁寧に3つ数える間に出ていってくださいと語り、すぐに数え始めた。3つ数えても3人が動こうとしないのを確認したソヌは3人に襲い掛かり、瞬く間に制圧した。
任務に忠実で仕事もできるソヌを社長のカンも高く評価していた。彼はソヌを食事に招待し、対立するペク社長の部下を撃退した報告を受け、満足した様子だった。
カンはソヌに突然、この年になって好きな女が出来たと告白し、自分がいない間、女が他の男と関係を持たないか見張って欲しいと言い出す。もし、男がいるようならすぐに連絡を入れろと直通の名刺を差し出した。
ソヌは命令通り、女を訪ね、カンからのプレゼントを手渡した。女はヒスという名で、ひとり親しい男性がいたが、車で家に送ってもらっても家の前で別れる程度の関係のようだった。ソヌは男の車が去ってしまい、彼女がひとり家に入るのを見届け、問題ないと判断しその場を離れた。
しかし、帰り道、ひどく急いだ車とすれ違い、彼はピンと来てヒスの家に引き返した。そこには男の車が駐車してあり、家に入ると、唖然としたふたりの姿があった。ソヌはすぐにカン社長に連絡をとろうとするが、ためらった挙句、二人はこのまま別れ、一切なかったことにしようと提案する。男を追い出し、ヒスに忘れるよう伝えるが、ヒスは忘れられるわけがないと泣きながら否定した。
帰宅したソヌのもとに一人の男が近づいて来た。男はムソンと名乗った。男はペク社長の部下だった。「謝れ。そうすれば何も起こらない。悪かったという四文字でいい」と伝言を伝える男に対してソヌは「とっとと帰れ」と怒鳴り、追い返した。
その夜、ソヌの部屋に外国人数人とムソンが押し入り、彼は拉致されてしまう。血まみれで吊るされているソヌのもとにやって来たのはペク社長だった。彼は部下に命じてムソンを始末させようとするが、そこに電話がかかって来た。
ソヌは頭にビニール袋をかぶされたまま車で移動させられる。外は雨が激しく降りしきり、放り出されたソヌがビニール袋を取ってあたりを見回すとそこにはカン社長が立っていた。カンはソヌを見下ろし、なぜ電話しなかった?と尋ねた。答えられないソヌをみてカンは黙って去って行った。残ったのは同じくカン社長のもとで働くムンだった。彼は部下に大きな穴を掘らせてソヌを生き埋めにする。
雨で緩んだ土のおかげでソヌは奇跡的に脱出するが、それもムンにはお見通しだった。さらなる試練がソヌに降りかかろうとしていた。が、ソヌは冷静に状況を判断していた。勝ち誇るムンを殴り倒し、ソヌの決死の反撃が始まった・・・。
映画『甘い人生』感想と解説
申し分のない犯罪映画
冒頭、イ・ビョンホン扮するキム・ソヌは、ホテルの最上階のラウンジで、映画のタイトルのように「甘い」チョコレートムースを食べている。しかし、彼はすぐに別の場所に行かなくてはならなくなる。
彼はホテルを下へ下へと移動し、洗濯係とすれ違う狭い廊下、厨房を過ぎ、ホテルの裏世界へと歩む。そこには特別な人々しか出入りできないVIPルームがあり、敵対する3人の男たちが陣取っていた。ソヌは閉店時間になっても帰ろうとしない男たちに警告を与えたあと、あっという間に彼らを叩きのめす。
高級ホテルの美しく洗練されたスカイラウンジのマネージャーである彼が、実際のところはヤクザと代わらない仕事を担っているという状況を、端的に「高さ」と「表裏」で示す鮮やかなオープニングだ。
レストランは全面ガラス張りで、ソウルの夜景が一望できる。ソヌにとってそこが重要な場所であることは映画の序盤と終盤に夜景に向かって彼がシャドーボクシングをするシーンが出て来ることからも明らかだ。だが、彼の真の居場所はここではないのだ。
事態は映画が始まって一時間もたたないうちに急転直下する。ソヌがとったある咄嗟の判断が彼をホテルのスカイラウンジから人間屠殺場にまで転落させてしまう(実際は血まみれで吊るされている)。
しかし、この空間もまたホテルと密接に連携していることが明かされる。反目していた社長同士は裏で繋がっていて、犯罪や政治の謀略と結びついている。結局ソヌはどこにいてもこの環境から逃れられない人間なのだ。
ここからは怒涛のアクションへと舵を切り、イ・ビョンホンのスピード感あふれる身のこなしにすっかり目を奪われる。火を使った立ち回りなどの危険なシーンも果敢にこなし、半分地獄に足を突っ込んでいた状態から脱出する主人公の決死の反撃に説得力を与えている。
血みどろの闘い、痛々しい拷問シーンは勿論のこと、錚々たる悪の面々、夜のソウルの街を捉えるスタイリッシュな映像など、犯罪映画として本作は最高級の魅力を放っている。
だが、製作されてから20年経った今も尚、本作が変わらず私たちを魅了しつづけるのは、「"韓国ノワール“の傑作」というくくりだけには収まらない多様な魅力があるからだ。
すっとぼけたユーモアの存在
韓国映画全体の魅力のひとつに、どんなシリアスな作品にも笑いを貪欲に入れて来るという点が挙げられるだろう。それは本作も例外でなく、例えば、チンピラたちに煽り運転されて頭に血がのぼったソヌが、彼らを猛追し、ぼこぼこに殴って去るシーンがあるのだが、それだけでは気が治まらない彼は、チンピラたちの車からキーを引っこ抜いて、交通量の多い別車線に遠投する。これまで冷静だった人間の豹変ぶりに思わず笑ってしまうシーンだ。
また、ロシアの武器商人との一連のやり取りの面白さは別格である。とりわけ最初の野外での取引ではオ・ダルス等扮する武器商人が、ソヌが囮警察官ではないかと疑い始めあたふたするシーンがあるのだが、その間ソヌはただ立っているだけだ。武器商人は車を発進させて駐車してあった作業車に激しく衝突してしまうのだが、この間、ソヌがしたのは一本の電話をかけただけだった。
イ・ビョンホンは前述したようにアクション演技にも長けた俊敏な俳優なのだが、時に無表情で突っ立っているのが妙な持ち味になっているという不思議な俳優でもある。その面白さが、ここでは全開で、さらに武器商人のアジトに連れてこられたソヌはなぜか、銃をバラバラにして組み立てる競争をさせられている。
また、廊下で撃ち殺したロシア人をソヌは部屋まで引きずって行くのだが、これだって隠すことに意味はないのだから廊下にうっちゃっておけばよいものをと思う。しかし、延々これを続けたのは、血で出来たレッドカーペットを描きたかったからだろう。
スタイリッシュさを重んじる作品であるなら、これらのシーンは真っ先にカットされてしまうだろう。だが、あえて残されたこの「無駄」なシーンこそが本作を豊穣で卓越したものにしているのだ。
孝行息子の遅い自我の目覚め
本作は枝が風に揺れているショットで始まり、そこにイ・ビョンホンのナレーションが重なる。「風に揺れている枝を観た弟子は尋ねた。師匠、動いているのは、枝ですか、風ですか。師匠は笑って答えた。動いているのは枝でもなければ風でもない。お前の心だ」
この弟子と師匠の問答を念頭において、私たちは映画を観ることになる。冒頭の風に揺れる枝の映像が再び画面に現れる。それはソヌが、カン社長から命じられて、若い女性ヒスを見張ることになった時のことだ。このショットが挟まれることで、ソヌの心が揺れていることを私たちは知らされる。どうやら彼はこの女性に特別な感情を持ち始めているらしい。
だが、それが恋だったのか、憧憬に留まるものだったのか、あるいは彼女への思いというよりは、これまで縁のなかった陽のあたる世界に触れたことへの興奮なのか、そこは判然としない。ソヌ自身も説明できないだろう。作品としてもヒスという女性に対して深く踏み込むことはせず、曖昧な状態にしたままだ。
ここで重要なのは、ヒスとの出会いを経てソヌに感情が芽生えたということなのだ。それまで彼は与えられた任務に忠実に、時に感情を殺して、どんなむごいことも、カン社長の言いつけ通りにやってきたマシーンのような男だった。そんな彼が、物語が進むにつれ、どんどん人間らしくなっていく。どんなに激しい暴力を行使しても髪の乱れすらなしにこなして来た男がボロボロになりながら、様々な感情、怒りや恐怖や絶望、そして虚無感すら覚え始める。あるいは歓びを知り、甘い夢さえ見る。
彼は「何故ですか」と自分を殺そうとしたカン社長に向かって何度も問いただす。それは忠実に「犬のように」従って来た「孝行息子」の初めての、そして遅い反抗期ともいえるものだ。
その問いかけは、冒頭の弟子と師匠の会話を思い出させるが、残念ながら、カン社長は師匠の器ではなく、また、ソヌ自身も答えを待たずに彼を撃ち殺してしまう。
壮絶な銃撃戦が、かつて彼の「城」であったスカイラウンジで繰り広げられ、何もかもが無残に破壊されていく。
だが、その中で、ずっと「何故?」と問い続けたソヌの姿は師匠との問答で「真理」にたどり着こうとする弟子に似ており、そこには人間として覚醒していく魂の追及が描かれている。これは「ノワール映画」としては極めて珍しいものだろう。だからこそ、本作は深く胸を打つのである。