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【清水宏生誕120年】映画『大佛さまと子供たち』あらすじと感想/奈良・東大寺を舞台に戦災孤児たちが仲間と共に懸命に、元気に生き抜く姿を描く珠玉の名作

2023年は清水宏(1903-66)の生誕120年にあたる。清水宏小津安二郎は同年生まれで、親友でもあった。小津が生誕120年を記念する特集上映が組まれているのに対して、清水の特集上映が開催されないのは残念至極だが(110年を記念する2013年には大々的な記念上映が開催されている)、名画座などで今も様々な作品が上映され人気を博している。

清水宏 (C)松竹映画

今回はその中から1952年の作品『大佛さまと子供たち』を取り上げたい。清水宏の映画を語る際、「子供」は欠かせない重要な項目の一つだ。本作は戦災孤児を引き取って共同生活を送っていた清水宏が、その孤児を役者にして撮った「蜂の巣映画」三部作の三作目だ。  

 

映画『大佛さまと子供たち』作品情報

1952年製作/102分/日本映画(蜂の巣プロ)/英題:The Great Buddha and the Orphans

監督・脚本:清水宏 撮影:古山三郎 音楽:伊藤宣二 録音:西尾昇 助監督:関沢新一

出演:岩本豊、硲由夫、宮内義治、久保田晋一郎、川西清、中村貞雄、日守由禧子、歌川マユミ、赤堀綾子、島田友三郎

 

映画『大佛さまと子供たち』あらすじ(ネタバレ)

映画『大佛さまと子供たち』

戦争孤児の豊太と源治は奈良の寺院のガイドの仕事の手伝いをしながら生計をたてている。二人の先生は、東大寺の末寺の小坊主になった晋一郎だ。小坊主になる前は彼も豊太たちと同じ浮浪児で、ガイドをやっていたという。

 

丹公と清次が新しく加わり、彼らは助け合いながらガイドの仕事を務めるが、丹公と清次がお客の財布を盗んだことに気が付いた豊太は二人を探して奈良の街を走り回る。

丹公と清次は財布にあまりにもたくさんの紙幣が入っているのを見て怖くなり盗みを白状した。豊太は彼らと仲よしのバスガールの節子に相談し、財布の持ち主に財布を届けに行った。

 

源治は古道具屋の店先にあった子供の仏像が好きでいつも眺めていたが、ある日、その仏像を女の人が買っていくのを目撃してしまう。買った人の家に忍び込み、仏像を手にしていると、おばさんにみつかってしまう。おばさんは自分の息子が死んだから仏像を買ったのだと言い、源治におばさんの子にならないかと尋ねた。

源治は逃げ出し、豊太にそのことを話して、自分はずっと豊太といると告げるが、彼らと交流のある万年落選の彫刻家に「もらってくれる人がいれば行った方がいい」と言われ、黙ってしまう。

 

結局、源治はおばさんにもらわれ、東京に行ってしまった。豊太は寂しさを感じながらも、ガイドの仕事を続けていた。ある日、源治から手紙が来る。学校に行くことになったという。バスガールの節子や、晋一郎たちによろしくと書かれていたので、豊太は彼らに手紙のことを報告しに行く。

 

落選彫刻家の家に行くと、彼は東京へ帰る準備をしていた。しょんぼりして帰っていく豊太を見て彫刻家は俺と一緒に東京に行くかと声をかける。「ほんまか⁉」と喜ぶ豊太。出発は明日と聞いて、豊太は晋一郎のところへ飛んでいく。その夜、ふたりは大仏さまの掌の上で眠り、かねてからの夢を叶えた。  

 

映画『大佛さまと子供たち』感想

冒頭、仁王門を開けると立派な大仏殿の姿が現れる。大仏殿の中のカットでは入り口に面した半分だけがとらえられていて、次いでパンして大佛が映し出される。正面からの大佛のアップ。豊太という少年が大佛の前に立ち、観光客の大人たちにガイドをしている。

 

本作は清水宏が身寄りのない戦災孤児を引き取って育て、彼らを出演させ自主製作で撮った『蜂の巣の子供たち』(1948)、『その後の蜂の巣の子供たち』(1951)に続く「蜂の巣映画」三部作の3本目。戦争孤児の少年が寂しさの中にも仲間とともに、懸命に、元気に生きる姿が描かれている。

 

少年たちの仕事場は東大寺だけでなく、薬師寺興福寺若草山など、広範囲に及び、少年は奈良の地を何度も何度も走り、カメラはそれをうーんと引きで撮り、奈良の町に同化するような空気感を作っている。まるで奈良の町自体が少年を見守っているかのように。

とりわけ、豊太が別の二人の少年を追いかけて手前の橋と対岸に、すれ違うように交互に姿をみせる様を繰り返しとらえた場面が忘れがたい。

南大門仁王門方にちゃんと豊太あての手紙が届く(グリコから懸賞の双眼鏡が!)エピソードに思わず頬が緩む。

 

少年の説明にかぶさって映し出される仏像の静謐さといったらどうだろう。とりわけ興福寺北円堂の無著・世親菩薩立像を美しく捉えた映像の素晴らしさに心奪われてしまう。清水は終戦をはさんだ数年間、奈良や紀州の仏像を見て歩き回ったという。清水の仏像への愛、その土地への愛がフィルムに瑞々しく焼き付けられている。

 

戦争の傷跡を表現するのも真正面からではなく、ユーモアを交えて描いている。例えば、一人の少年が早合点して戦争孤児を集めてやって来て「半分を先につれてきた」という場面は、笑いを誘うシーンなのだが、これほど多くの戦争孤児がいるのだということを思い知らされるシーンでもある。

 

終盤、仲間の源治が女の人にもらわれて東京に行ってしまい、寂しさを抱えた豊太が大仏殿にやって来て一人ぽつんと佇む姿をうーんと俯瞰で捉えているが、これは大佛様の視点なのだろう。

ラストショットは大仏様の掌が暖かく感じられるような愛しさに満ちている。

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