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映画『サタデー・フィクション』あらすじと感想/ロウ・イエ監督×コン・リー×オダギリジョー/1941年の上海・英仏租界を舞台にした極上のスパイ映画

映画『サタデー・フィクション』は、『スプリング・フィーバー』(2009)、『シャドウプレイ』(2018)などの作品で知られる中国のロウ・イエ監督の11作目にあたり、1941年の上海・英仏租界を舞台に太平洋戦争開戦までの一週間の各国の諜報戦をスタイリッシュなモノクロ映像で描いている。

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人気女優とスパイという異なる顔を持つ主人公ユー・ジンをコン・リーが演じ、彼女と恋に落ちる演劇青年タン・ナーに台湾の国民的俳優マーク・チャオが扮している他、暗号通信の専門家である日本海軍少佐・古谷三郎役にオダギリジョー日本海軍特務機関所属の狙撃の名手・梶原に中島歩、ユー・ジンの養父でフランス側の諜報員に『それでも私は生きていく』などのパスカル・グレゴリーが扮するなど国際色豊かなキャストが顔を揃えている。

 

原作はホン・イン(虹影)の小説『上海之死』だが、劇中登場する舞台劇は横光利一の小説『上海』からとられている。「蘭心大劇場」、「キャセイ・ホテル」など現存する歴史的建造物でロケが行われた。

 

2019年・第76回ベネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品作品。  

 

映画『サタデー・フィクション』作品情報

(C)YINGFILMS 2019

2019年製作/127分/中国映画/原題:蘭心大劇院(英題:Saturday Ficiton)

監督:ロウ・イエ 製作:マー・インリー、チャン・ジーホン、ロウ・イエ、ドン・ペイウェン、ウー・イー 製作総指揮:マー・インリー  原作:虹影、横光利一 脚本:マー・インリー 撮影:ツォン・ジェン サウンド・ディレクター:フー・カン 編集:ロウ・イエ、フォンシャンユーリン 衣装:マイ・リンリン キャスティングディレクター:チャン・ルン アートディレクター:ジョン・チョン VFXディレクター:ワン・レイ アクション・ディレクター:ヤン・ダイー

出演:コン・リー、マーク・チャオ、バスカル・グレゴリー、トム・ブラシア、ホァン・シャンリー、中島歩、ワン・チュアンジュン、チャン・ソンウェン、オダギリジョー  

 

映画『サタデー・フィクション』あらすじ

(C)YINGFILMS 2019

1941年、太平洋戦争開戦直前の上海。英仏租界だけは日本軍の占領を逃れ、当時「孤島」と称されていた

 

日本が真珠湾攻撃をする7日前の12月1日、人気女優のユー・ジンが上海に姿を見せ、号外までが発行される騒ぎとなった。

 

蘭心大劇場で上演される舞台「サタデー・フィクション」で主役を演じるためだったが、ユー・ジンには別の使命があった。彼女は、幼い頃、フランスの諜報部員ヒューバートに孤児院から救われ、諜報部員として訓練を受けた過去があり、銃器の扱いに長けた「女スパイ」でもあった。

 

キャセイ・ホテルに到着しいつもの部屋に案内されたユー・ジンは、一通の封筒を受け取る。それは養父からの手紙だった。封筒の中には写真が一枚同封されていた。日本の海軍少佐、古谷三郎の妻を撮ったものだった。

 

ユー・ジンは蘭心大劇場に電話を入れ、演出家のタン・ナーに上海に着いたと伝えてくれと伝言を残した。キャセイ・ホテルはユー・ジンの電話を盗聴していた。内容を告げられた支配人のシュパイヤーは彼女の電話は全て盗聴するようにと部下に命じる。

 

翌日、蘭心大劇場に向かおうとしているユー・ジンを一人の若い女性が呼び止めた。ユー・ジンの大ファンだという女性は芝居の台詞を全部覚えていることをアピール。稽古を見せてほしいと頼み込み、車に同乗することを許される。彼女はバイ・ユンシャンと名乗った。

 

劇場につき、ユー・ジンとタン・ナーは久しぶりの再会を喜び合った。二人はかつて恋愛関係にあったが、マスコミに嗅ぎつかれ大騒ぎとなり、この舞台のプロデューサーであるモー・ジーインがなんとかもみ消したのだ。二人は今でも心が通じ合うのを感じていた。

 

そのモー・ジーインは実は重慶国民党政府のスパイで、バイ・ユンシャンは南京政府のスパイだった。モー・ジーインはバイ・ユンシャンに組まないかとモーションをかけるが、足蹴にされてしまう。

 

12月3日、日本から古谷三郎と海軍特務機関に属する梶原が暗号更新のため上海に到着。古谷はユー・ジンと同じキャセイ・ホテルにチェックインするが、その時、外出するユー・ジンの姿を見かけて目を見開いた。彼女が古谷の妻、美代子にそっくりだったからだ。美代子は今、行方知れずになっていた。  

 

ユー・ジンはヒューバートを訪ね、再会を喜びあった。ヒューバートはユー・ジンに「古谷の日本で亡くなった妻は君にそっくりだ」と告げる。ヒューバートたちは誤って美代子を死なせていた。

 

12月6日、特務部上海事務所で所員たちに暗号の更新内容を講義し終えた古谷が、キャセイ・ホテルに戻って来た。梶原から電話が入り、今日中に上海を発つことになったと告げられた。梶原は5時半にホテルに迎えに参りますと言って電話を切った。

 

予定が変更されたことを知ったシュパイヤーは、「マジック・ミラー計画」を前倒しするべく、各所に連絡を入れ、5時半前にホテルに来るよう指示した。

 

ユー・ジンは、元夫で、日本軍に拘留されているニィ・ザーレンを連れ出し、ホテルに到着した。ホテルで休憩したあと、香港行きの船に乗せる予定だったが、先に元夫を下ろして、彼女が車を降りた途端、銃撃戦が始まる。「マジック・ミラー作戦」が開始されたのだ。ニイ・ザーレンは巻き添えをくって射殺されてしまう。

 

ホテルに到着したばかりの梶原は肩を撃たれ、横転。同じく負傷した古谷は、ホテルの従業員たちによって中に運び込まれた。

 

医療室のベッドに寝かされ注射を打たれて意識が朦朧となった古谷にユー・ジンが近づいていく。古谷の妻、美代子のふりをして、「ヤマザクラ」とは何を意味する暗号なのかを聞き出すのが彼女の仕事だった。それは太平洋戦争開戦の奇襲情報を聞き出す重大な任務だった…。  

 

映画『サタデー・フィクション』感想と解説

(C)YINGFILMS 2019

冒頭、戯曲「礼拝六小節」のリハーサル風景が展開する。サイレンが聞こえていて、照明が明るくなったり暗くなったりする中、演出家のタン・ナー(マーク・チャオ)が合図を送り、ジャズの演奏がスタート、フロアで男女が踊り始める。

 

ロウ・イエ作品の常連であるツォン・ジェンによる撮影は、手持ちカメラによって常に小刻みに揺れ続けている。タン・ナーの姿を長回しで追っているかと思えば、急にクローズアップのカットが挿入されるなど、カメラワークは奔放に流動する。それはまるでここにあるすべての事象をひとつ残らず画面に収めたいという意思の表れのようでもある。

 

タン・ナーの視線の先には一人の女の姿がある。コン・リー扮する女優のユー・ジンだ。彼女が演じるヒロイン、芳秋蘭は、紡績工場の工員だが、裏では共産党の闘士として活動しているという設定。タン・ナーはその相手役も兼ねていて、彼女に駆けより、同じ席につく。

芳秋蘭が工場の関係者と出て行ったあと、タン・ナーが階段を駆け下りていくと、芳秋蘭が男と激しくもみ合っている。リハーサルは実際の舞台ではなく、普通の建物の中で行われており、目の前の出来事は芝居なのか、はたまた現実に起こっていることなのか、と観る者を戸惑わせる。

 

すぐに場面が変わって、久しぶりに上海を訪れたユー・ジンにマスコミが群がり、フラッシュが激しくたかれる場面へと移る。1941年12月1日、太平洋戦争が勃発する一週間前のことだ。

冒頭と同じ芝居のリハーサルが繰り広げられているとばかり思っていると、ドックのバーと呼ばれる店にユー・ジンとタン・ナーが座っていて、再会を喜び合っている光景に代わっている。バーは舞台劇と同じ内装をしていて、タン・ナーはユー・ジンのことを「秋蘭さん」と呼ぶ。舞台空間と映画空間が交錯し合い、現実と虚構の境界が曖昧になっていく。

 

ユー・ジンは大女優であると共に、役柄の秋蘭(工員であり共産党の闘士)でもあり、フランスの諜報員を養父に持つスパイという顔も持っている。彼女は中国語、フランス語、英語、日本語を操り、さらに日本海軍の暗号専門家、古谷の妻である美代子と瓜二つだという。

また、ユー・ジンに近づく若い女性バイ・ユンシャン(ホァン・シャンリー)は、ユー・ジンのファンであり、終盤ユー・ジンの代役となって舞台に立つことになるのだが、彼女もまた南京政府のスパイである。

それを言うなら、この作品に登場するほとんどの人物が、表の顔と裏の顔を使いわけているスパイたちだ。スパイによる諜報戦を描いた作品なのだから当然といえば当然なのだが、それにしてもユー・ジンが持つ顔の多様さは突出しており、まるで当時の「魔都」と呼ばれた上海という都市のメタファーであるかのようだ。  

 

12月6日土曜日。外は土砂降りだ。「雨」は改正された日本の暗号解読で「危機的状況が迫っている」という意味を持つ。まさにその通り、多くの人が行き交うキャセイ・ホテルの前で銃弾の雨が降り注ぐ。本作で最もエキサイティングなシーンだ。

 

「マジック・ミラー作戦」は成功したように見えたが、日本軍が戻って来たことで事態は混沌としていく。この最悪の状況化、ユー・ジンは後始末に向かうホテルの支配人を気遣い、タン・ナーや、代役に送り出したバイ・ユンシャンを放ってはおけないと自身の身が危ないことがわかっていながら、劇場に駆け付ける。ユー・ジンの本性とも言える心根の優しさと、責任感は、時代の渦に巻き込まれ、様々な任務を背負わされ、恐らく多くの葛藤を抱えて来たであろう彼女が、それでも時代と政治の影に決して呑み込まれずに生きて来た証である。

 

映画の序盤、ユー・ジンは記者たちから「なぜ上海に来たのですか?」と質問される。また、「礼拝六小節」のプロデューサーのモー・ジーイン(ワン・チュアンジュン)とタン・ナーはなぜ、彼女が「上海」にやって来たのかに関して軽い言い争いになる。タン・ナーは当然、芝居に出るためだと主張するが、モー・ジーインは日本軍に拘留されているユー・ジンの元夫を迎えに来たのだと言う。

 

ユー・ジン自身は「好きなことをしに来たの」と答えている。それが「蘭心大劇場」の舞台に立つことなのだとしたら、彼女はそれを成し遂げることができなかったといえるかもしれない。しかし、芝居なのか、映画なのか、はたまた現実なのか、虚構なのか、境界が限りなく曖昧となっていくことを意図したこの蠱惑的作品において、「劇場」はなにも「蘭心大劇場」だけとは限らず、日常空間と地続きに存在するのだ。

勿論、様々な顔を持つ彼女が日々、違った自分を演じ続けて来たことは容易に想像できるが、それとは別に純粋に「芸術」としての芝居を彼女は欲していたはずである。芝居の舞台と「同じ場所」であるバーで、相手役のタン・ナー(日本人以外のキャストで彼だけが裏の顔を持っていない)と共に、彼女はおそらく女優として最後の「芝居」を終えたのだ。芳秋蘭として。

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