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映画『簪』(清水宏監督)あらすじと感想/田中絹代主演で描く温泉宿を舞台にした清水流”ヴァカンス映画”

ラピュタ阿佐ヶ谷でモーニングショーとして「田中絹代」特集が組まれている。その中から清水宏の1941年の作品『簪』を取り上げたい(ラピュタ阿佐ヶ谷での上映期間は2023年1月29日~2月4日 詳しくは劇場HPをご覧ください)。

©1941 松竹

井伏鱒二の小説集『おこまさん』の中の短編「四つの浴槽」を清水宏調に脚色。

 

温泉宿を舞台にした『按摩と女』(1938)の系譜を継ぐ、グランドホテル形式の物語で、田中絹代は東京での妾生活から抜け出そうとする女性を演じている。  

 

目次

映画『簪』作品情報

1941年/70分/35mm/白黒/松竹大船 

監督:清水宏/原作:井伏鱒二/脚本:長瀬喜伴/撮影:猪飼助太郎/美術:本木勇/音楽:淺井擧曄/出演:田中絹代笠智衆、齋藤達雄、横山準、大塚正義、川崎弘子、日守新一、三村秀子、坂本武、河原侃二、松本行司、油井宗信、大杉恒雄

 

映画『簪』あらすじと感想

(ラストに言及しています)

山道を登って歩いてくる人(団体)を正面から撮っている。カメラとの距離が結構ある。『風の中の子供』(1937)でも、冒頭、歩いてくる子供たちを距離を空けて撮っているなと思っていたら実は子供たちの前に荷馬車が進んでいて、視点がその荷馬車の位置からだったことが判る。

今回も、この団体の前に別の5、6人くらいの一行がいることが判明。ずんずんと最初の一行が進んでいくと、画面前方に前に歩いていた人の腕が見えてきて、その一行が後ろの一行に道をあけるシーンへと続く。このような一本道を抜きつ抜かれつというのはまさに清水宏作品の真骨頂ともいうべきシーンだ。

 

この団体は温泉旅館に宿泊するのだが、カメラはその玄関口から、旅館の側面をずっと左へ左へとどんどん移動していき、開け放たれた窓からは大広間で一服する団体客が見え、さらにカメラは左へぐいぐい動いていき、広縁でくつろいでいる人たちのところで止まる。この横移動のダイナミックさには見惚れてしまう。

こうした威勢の良い横移動は1959年の清水の遺作『母のおもかげ』でも頻繁に使われていて、その大胆さが心地いい。

場面変わって、旅館の別の部屋で書物を読んでいるひげの男(齋藤達雄)。団体客の騒ぎが気になって本が読めず、広縁に移ると、画面の奥(隣の部屋)の広縁に座っていた男(笠智衆)が、「なかなか賑やかですなぁ」と声をかけてくる。斉藤は「賑やか?あなたはこれが賑やかだと思うんですか。うるさいだけです!」と怒る。すると今度は手前の広縁に老人が出てきて「景気がいいですなぁ」と言い、斉藤はまた怒る。その間、団体客の賑やかな黄色い声が耐えまなく聞こえておりこれがなかなか可笑しい。

斉藤は怒って部屋に戻り、今度は反対側のふすま(画面の奥)を開ける。カメラは部屋の入り口のある廊下側に回り、ちょうどそこを夫婦連れが通りかかる。斉藤に「派手ですなぁ」と声をかけ、彼らもまた叱られてしまう。

齋藤たち三人は、ふすまで仕切った続き部屋に夏の間泊まっている客たちだ。じいさんは二人の孫をつれている。兄の方は清水作品ではお馴染みの爆弾小僧こと横山準。斉藤は何かといえば怒って、旅館のフロントへ電話を回して文句を言っている、今でいうクレーマーだ(笑)。笠智衆は「戦傷兵」という設定なのだが、社会的な視点は影を潜め、人情喜劇に特化している。

本作もまた、『按摩と女』と同様、「ヴァカンス映画」と言ってもよいと思う。まぁ、ヨーロッパのそれとは、ちょっとばかり雰囲気は違うけれど。でも、この映画も短い期間、偶然に一緒になった旅の人々がほんの少し交流してまたバラバラになっていく話だし、後に登場する田中絹代の描き方も、メロドラマチックに描くのではなく淡々としたスケッチ調に描くから、日本の映画作家が描いたというよりは、それこそジャック・ロジェヌーヴェルヴァーグの作家たちを想起させるものとなっている。

笠智衆が風呂につかっている時、湯に落ちていた簪が足に刺さって怪我をしてしまう。ちょうど、その頃、旅館に簪を落としていないかと問い合わせた手紙が送られてくる。自分の落とした簪で怪我をした人がいると知り、女(田中絹代)が謝罪にやってくる。怒ってばかりの斉藤先生が気を利かし、自分の荷物をじいさんの部屋に運んで真ん中の部屋を田中のために開けてやる。この頃になるとすっかり一つのコミュニティが出来上がっており、田中もその中に居心地の良さを感じ、いまの妾という自分の境遇から脱しようとする。もう東京には戻らないと。  

 

笠智衆は、じいさんところの子どもたちと一緒に歩く練習に励む。田中も共に応援するのが日課になる。木々から木々へ、浅瀬に渡した足場幅30cmくらいのジグザグの橋を端から端へ、山道にある長い急な階段、と段階を経ながら歩く練習が続く。笠智衆の歩みがあぶなっかしくて、とりわけ橋のシーンでは今にもおっこちそうではらはらさせられ、ちょっとしたスペクタルだ。最後は田中が笠を背負って、石を寄せ集めた所を渡る場面まで用意されていて、「橋を渡る」というだけのことがこれだけスリリングで痛快だとは!とうならされる。その後、同じ足場を二人の按摩が歩いていくのを子どもたちが応援するシーンがあり、これもじっくり見せている。

この作品のもう一つの特徴は、手紙や、日記をうまく物語の展開に使っているところだ。子どもの夏休みの日記で先生や夫婦連れが休暇を終えて帰ってしまったことがわかり、最後一人残った田中のもとに笠から届いたハガキがいい味をだしている。

笠が登っていた階段を見上げる田中。笠の時は、階段は画面中央に固定され、階段の上のほうに、子どもたち、下に田中がいるという縦の構図だったが、ここでは一人でその階段を登る田中を横から、カメラはいたわるように寄り添って撮り、共に上がって行くのである。