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映画『春画先生』あらすじと感想 / 塩田明彦監督による「春画偏愛コメディ」を細部から読み解く

江戸文化の裏の華で“笑い絵”とも言われた春画。その研究者である芳賀一郎は、変わり者として知られていた。彼に偶然出会った弓子は、春画の世界の奥深さにすっかり魅せられ、芳賀に恋心を抱くようになる…。

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映画『春画先生』は、塩田明彦が原作・脚本・監督を務め、内野聖陽が芳賀、アニメ映画『ペンギン・ハイウェイ』の北香那が弓子を演じ、柄本佑、白川和子、安達祐実等ががっちり脇を固めた想像の上を行く偏愛コメディだ。

 

映倫審査でR15+に指定され、商業映画としては日本映画史上初めて無修正の浮世絵春画がスクリーン上映される作品となった。  

 

映画『春画先生』作品情報

(C)2023「春画先生」製作委員会

2023年製作/114分/R15+/日本映画

監督・脚本;塩田明彦 撮影:芦澤明子 照明:永田英則 録音:郡弘道 美術:安宅紀史 装飾:山本直輝 スクリプター:柳沼由加里 衣装デザイン:小川久美子 衣装:白井恵 ヘアメイク:齋藤美幸 編集:佐藤崇 音楽:ゲイリー芦屋 サウンドエディター:伊東晃 VFXプロデューサー:浅野秀二 VFXディレクター:横石淳 助監督:久保朝洋 制作担当:宮森隆介

出演:内野聖陽北香那柄本佑、白川和子、安達祐実、須藤蓮  

 

映画『春画先生』あらすじ

(C)2023「春画先生」製作委員会

レトロな喫茶店でアルバイトしている春日弓子は、地震に見舞われ店の中央で立ちすくんでいた。

壁にかかっていた絵が落ち、驚いて振り向くと、テーブルの上に置かれた春画が目に入った。

 

地震はおさまり、弓子がもう一度振り返ると、男が立ち上がり、「詳しく知りたければ私のところに来なさい、明日にでも」と言いながら、彼女に名刺を手渡した。それが”春画先生”と呼ばれる変わり者で有名な研究者・芳賀一郎と弓子の出会いであった。

 

弓子は、芳賀から春画鑑賞を学び、その奥深さに魅了されてしまう。さらに深く学ぶために週に数日、芳賀家で家政婦をすることになった弓子は、次第に芳賀に恋心を抱くようになる。

 

ある日の午後、一人の若い男、辻村が芳賀家を訪れた。不遜な態度の彼に警戒心と反感を覚えた弓子は、あからさまな敵対心を見せるが、彼は弓子を大学の図書館に連れて行くようにと芳賀から頼まれたという。

 

かつて芳賀はその大学の教授だったが、大学側と喧嘩をして教職を辞し、出入り禁止になっていた。そのため、図書館に用がある時は、先生に代わって、辻村が出向くことになっていた。弓子は大学秘蔵の春画を見せてもらい、改めてその奥の深さに感銘を受ける。

 

その夜、バーで辻村は、先生の過去の話しを弓子に語る。亡くなった妻のことが忘れられない先生はもう7年間、誰とも付き合っていないという。

 

翌朝、弓子が目覚めると、そこは辻村の部屋だった。

酔った挙句、一晩辻村と過ごしてしまったことに憮然とする弓子だったが、実は、辻村は芳賀から弓子の声が聞きたいと頼まれて、スマホで、全てを実況していたという。あまりの予想外の話に、辻村の作り話だと疑うが、辻村が先生に電話して、それが事実であることが判明し、弓子は愕然とする。

 

辻村は編集者で、先生にやる気になってもらい、「春画大全」を早く完成させたいと躍起になっていた。先生がやる気になるためなら彼はなんだってやるのである。

 

私以外にもこういうことはあったのかと尋ねる弓子に辻村は頷き、でも君は他とは違う特別な存在らしいぞと付け加えた。

 

ショックを受けた弓子は家政婦を辞め、先生の家に行くのも辞めてしまう。ところがある日、喫茶店に先生が現れ二人は見つめ合う。正規の家政婦も辞めてしまったらしく、先生は随分やつれていた。

 

結局、弓子は先生のもとに戻り、先生の旅に辻村と共に同行することになる。そこで、彼女は、先生の亡き妻の姉、一葉と出会う。弓子は美しく魅力的な一葉に猛烈な嫉妬心を覚える。

 

ある日、弓子のもとに先生から一大事の呼び出しがかかり、弓子は飛んでいくが・・・。  

 

映画『春画先生』解説と感想

(C)2023「春画先生」製作委員会

本作を観て、塩田明彦監督の長編監督デビュー作『月光の囁き』(1999)を思い出した方も多いのではないか。『春画先生』は『月光の囁き』と双子のような、いや、親子のような関係の作品なのだ。

月光の囁き』は、水橋研二扮する拓也、つぐみ扮する紗月という高校の剣道部の部員である二人が付き合い始めるところまではいたって爽やかな学園恋愛映画なのだけれど、拓也が一風変わった性癖を持っていることがバレてしまい、そのことに絶望していたはずの紗月が次第にサディズムに目覚めていくという物語だった。

彼らは「普通でありたいのに、なぜ普通でいられないのか」と葛藤し続け、それゆえに、他者を傷つけ、自身も傷つき、ぼろぼろになりながら、最終的には自分自身を受け入れていく。鋭利な痛みを伴う青春映画で、その衝撃は公開後20数年が経った今でも鮮明に思い出される。

一方、『春画先生』の方はというと、こちらも、「春画先生」と呼ばれる学者と知り合った若い女性が様々な体験の中で思いもよらなかった自分自身に出会い覚醒する物語だ。こちらの方はもういい大人たちばかりなので、皆、すでに拓也と紗月を悩ませた段階は越えていて、『月光の囁き』の植松先輩のような被害者(!)もいない。これが拓也と紗月の20年後の姿なのかもしれないと思うと、よかったなぁ(?)と安堵を覚えるような気さえするのだが、そのあまりに突き抜けた展開は、一体何を見せられているのかと驚き呆れるほどだ。

だが、その予想の遥か上を行く展開に戸惑いつつも、いつしか、そのあっけらかんとした様に思わず吹き出してしまう。まさに映画が笑い絵である「春画」化していく様を私たちは目撃するのだ。

 

江戸の町人文化の裏の華である「春画」は、“笑い絵”とも呼ばれ、古来、日本人が持っていた性愛に対する大らかな姿勢を象徴するものだと言われている。

明治に入って、西洋のキリスト教的なものの考え方や、明治政府の指針によって、日本人の性愛に対する姿勢が大きく変えられてしまったことは劇中でも語られている。

本作は日本人が持っていたその大らかな姿勢を、もう一度肯定し直そうという試みなのである。  

 

内野聖陽扮する春画先生こと芳賀一郎は、北香那扮する弓子が初めて訪ねて来た時、「目立つものばかりに気を留めないで、画の細部を観るように」と説く。「何か見えてきましたか?」と問われた弓子は女性のつま先の描き方ひとつで女性の心理がわかると興奮したように答える。先生はさらに円山応挙の「雪松図屏風」を見せ、その描き込まれたように見える美しい雪の白さが、ただの紙の白さで、周りを丁寧に描くことで雪を描かず雪を描き切っているのだと語る。そうして話を歌麿春画に持っていき、男女の肌の色がどうなっているかを弓子に観察させる。弓子は春画の奥深さに感銘を受け、先生に恋焦がれるようになる。

 

この講釈の場面は知的好奇心を煽る面白さに溢れているが、こうした展開は一見、年上の男性が、若い女性に講釈を垂れ、自分好みの女性に仕立て上げるピグマリオン的な物語のようにも見える。だが、実際のところ本作は、覚醒した女性の方が、他人にはリミッターをはずさせる存在なのに自分自身は観念に縛り付けられて前進できないでいる年上の男性を解放させる物語なのだ。

 

そういう意味で『春画先生』という作品は、現代の人間が抱えている様々な抑圧を解放させるという意思を持った作品といえるのではないか。そしてそこにはキャンセルカルチャーの時代に芸術が自主規制してしまうことに対する懐疑も含められているだろう。

そして、こうした主題を、声高く主張するのではなく、あくまでもコミカルに描き切っているところに本作の慎ましさがある。

 

内野聖陽柄本佑安達祐実等の旨さが際立っているが、北香那が弓子の喜怒哀楽を全身を使って演じている姿が実にいい。先生から渡された画集を眺めるために自宅の半分襖が閉まった寝室から画面手前の部屋に移動して来てページをめくったかと思うと、またあわただしくもと来た部屋に戻って歓びに打ち震える様のちょこまかとした動きの幸福感溢れる様はどうだろう。それは最初の講義で、教える嬉しさのあまり部屋の中をバタバタと移動していた先生の姿とシンクロする。

また、先生への羞恥のあまり隅田川沿いの遊歩道で柄本扮する編集者を振り切るように遠ざかっていく背中も、先生を思い長く狭い歩道橋を一身に走っていく背中にも、一心不乱の愛しさが溢れている。  

 

一番目につくものだけに集中するのではなく、全体、細部を見よというのは、本作を観るための指標でもある。

江戸情緒が漂う風景が美しく刻まれているのも本作の魅力の一つだろう。恐らく、こうした風景は今、東京からどんどん失われているものだと想像できるが、そこには懐かしさではなく、上品な気高さが感じられる。本作の通底に流れるのはそうした「気品」なのである。

(文責:西川ちょり)

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