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映画『ありふれた教室』あらすじ・感想/ 子供を守るため教師が起こした行動が思わぬ波紋を呼ぶ様をスリラータッチで描く

理想主義者で仕事熱心な若手教師のカーラは、近ごろ頻繁に起こっている盗難事件に対して同僚が生徒たちに倫理観にはずれた行動を取ることに頭を悩ませていた。

子どもたちを守ろうとカーラが正義感で行った行動は予想もしなかった方向へ向かい、事態は泥沼化していく。

 

映画『ありふれた教室』は、ドイツの映画監督イルケル・チャタクの四本目の長編作品で、チャタクと共同脚本のヨハネス・ドゥンカーは、自分たちが通っていた学校で起きた事件に着想を得たという。

 

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主人公のカーラを演じるのは、ミヒャエル・ハネケの『白いリボン』(2010)やドラマ『ザ・クラウン』などで知られるレオニー・ベネシュ。思わぬ事態に追い込まれていく若手教師を見事に演じている。

 

本作は第73回ベルリン国際映画祭パノラマ部門でプレミア上映され2冠に輝いたほか、様々な国際映画祭で高く評価され、第96回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた。

 

目次

映画『ありふれた教室』作品情報

(C) if… Productions/ZDF/arte MMXXII

2022年製作/99分/ドイツ映画/原題:Das Lehrerzimmer

監督:イルケル・チャタク 脚本:イルケル・チャタク、ヨハネス・ドゥンカー 製作:インゴ・フリース 撮影:ユーディット・カウフマン 美術:ザジー・ネッパー 編集:ゲーザー・イェーガー 音楽:マービン・ミラー

出演:レオニー・ベネシュ、レオナルト・シュテットニッシュ、エーファ・レーバウ、ミヒャエル・クラマー、ラファエル・シュタホヴィアク、ザラ・バウアレット、カトリン・ベーリシュ、アンネ=カトリン・グミッヒ

 

映画『ありふれた教室』あらすじ

(C) if… Productions/ZDF/arte MMXXII

今の学校に赴任して一年目の教師カーラは、思いやりを持った熱心な指導で、生徒たちからも信頼を得、忙しくも充実した毎日を送っていた。

 

その頃、校内では窃盗事件が頻繁に発生しており、教師たちは頭を抱えていた。

 

あるベテランの教師たちは、クラス委員を呼び出して、何か最近、高価なものを買った生徒や怪しいそぶりをした生徒がいれば教えてほしいなどと高圧的に問いただした。カーラは同僚たちの行為に愕然とする。

 

さらに別の日、カーラが授業をしていると、数人の教師がやって来て、女子生徒を廊下に出し、男子生徒だけ教室に残して、彼らの財布をチェックし始めた。

 

児童の一人が大金を持っていたために、両親が呼び出されることとなった。母親がプレゼントを買うために今朝、手渡した金だと説明し嫌疑は晴れるが、児童がトルコ系の移民だったせいで疑われたのだという噂がまことしやかにささやかれた。

 

子どもたちが疑われることに強い懸念を抱いていたカーラは、職員室にいる際、同僚のひとりがコーヒー代を入れる貯金箱から小銭を拝借しているのを目撃する。カーラは、わざと財布を鞄に入れたまま、ノートパソコンのカメラをオンにして、バスケットボールの指導に向かった。

 

戻ってきた彼女が財布をチェックすると、紙幣が数枚無くなっていた。パソコンの録画を再生すると、小さな黄色の星模様のブラウスがフレームに一瞬映るのがとらえられていた。

 

その特徴的な模様のブラウスには見覚えがあった。学校の事務職員であるクーンが着ていたものだ。

 

カーラはクーンのところに行き、内密にするから罪を認めてお金を返すように詰め寄る。証拠を要求するクーンに動画を見せるが、クーンは自分ではないと否定し、絶対に認めようとしない。

 

そのあまりに高圧的な態度にカッとなったカーラは、すぐに校長室に向かい、校長はクーンを呼び出す。しかしここでも彼女は頑なに認めず逆に攻撃的な態度を見せた。

 

クーンは自宅待機の処分を受けるが、実はクーンはカーラのクラスのオスカルの母親だった。オスカルはとても優秀で、カーラが目をかけていた生徒だった。

 

子どもたちを守りたいと思って行った行動は、噂となって広まり、保護者や生徒、同僚の教師たちからも批判を受け、カーラは孤立無援に立たされてしまう。中でも母親を犯人と疑われたオスカルのショックは大きく、彼はカーラに憎しみをぶつけ始める。  

 

映画『ありふれた教室』解説と感想

(C) if… Productions/ZDF/arte MMXXII

ドイツの義務教育は9年制で、映画『ありふれた教室』に登場するのは7年生にあたる12~13歳の子供たちだ。本作の主人公である教師のカーラは学校に赴任してきたばかりの新米教師で、彼らに数学と体育を教えている。

彼女が2つの教科を受け持っているのは各教科に1人ずつ教師を雇う余裕がないからだ。昨今、日本においても教師の成り手不足が大きな問題となっているが、欧米では早くからこの問題は深刻な事案になっていて、そのことは作品の中でも言及されている。

 

カーラは熱心な教師で、彼女の授業を見るのは興味深い。数学の時間では「証明」と「主張」の違いを説き、体育の時間では小さな台に6人全員が一斉に登るにはどうしたらいいかをみんなで考えさせている。暗記型の授業とは全然違う。

 

そんなカーラが今、一番頭を悩ませているのは、校内で頻繁に起こっている窃盗事件だ。事件に対する同僚の対応に彼女は納得がいかない。同僚は子どもたちの中に犯人がいると信じていて、クラス代表を2人呼び出して高圧的に情報を聞き出そうとする。カーラはその場で「答えなくてよい権利」を生徒に伝え、トルコからの移民の生徒が盗みを疑われた際は、新米教師という立場上、遠慮しつつも同僚教師たちのやり方に異議を唱えている。彼女が理想主義者で真っ当な人物であることは明らかだ。

 

映画の序盤、カメラは、校舎内を進んで行くカーラのすぐ後ろについて彼女の背中を追い、継いで彼女の正面に回り、階段を下りる彼女を後退移動で撮っている。このように常にカメラは彼女に密着していて、私たちは、彼女が共感しやすい人物であることも相まって、彼女と同化して物事を見るようになる。

 

子どもたちが疑われることに心を痛めているカーラは、ある日、職員室で同僚が、コーヒー代を入れる貯金箱から小銭を拝借しているのを見て、犯人は大人では?と思い立つ。彼女は自分の手で問題を解決しようと罠を仕掛け、「犯人」はまんまとひっかかる。カーラは事務職員のクーンに彼女の印象的なブラウスの一部が映っている証拠の動画を見せて内密にするから金を返し、二度としないようにと詰め寄るが、クーンは、激しく否定し、逆に攻撃的な言動を投げつけて来る。

 

クーンは自宅待機となるが容疑を否定したままである上に、隠し撮りは法に触れると聞かされ、カーラは動揺する。クーンが犯人であると確信しているが、手段が違法であったために説明を求める人に対して言葉を濁すしかない。しかも、最悪なのはクーンがカーラのクラスの生徒であるオスカルの母親だったことだ。

 

この危うい状況は、同僚や管理職だけでなく、生徒とその保護者を巻き込むまでに発展し、カーラのクラスは瞬く間に制御不能に陥ってしまう。

 

舞台となる校舎は風通しの良い吹き抜けの広々とした設計がなされており、一つ一つの部屋も品格があり、落ち着いてこざっぱりしているが、物語が進むにつれ、息苦しい窮屈な空間へとイメージが変わって行く。窓ガラス越しにカーラが外を見る場面は何度か出て来るが、カーラが外に出るのはたった一度だけだ。  

 

監督は、彼女の混乱と多大なストレスを二つの象徴的なシーンで見事に描いている。ひとつは、保護者会で過呼吸になった彼女が取る行動で、もうひとつは、渡り廊下でのパラノイア的なシーンだ。

クーンが犯人だという確信さえ揺らぎ、彼女が不安感を募らせていく様子は、マーヴィン・ミラーの不安を煽るようなスコアも伴って、まるでスリラー映画を観ているかのような緊張感をもたらしている。

 

一体、犯人は誰なのか、クーンはそもそも犯人なのかそうでないのか、という問題は最早重要ではない。本作が描いているのは、善意は必ずしも正しいとは限らず、事実はかならずしも真実ではないという社会の複雑さであり、軽率な判断や思い込みで大人も子どもも簡単に振り回されてしまう人間の脆弱性だ。

 

学校と教育における今日的な問題が多数詰め込まれている本作だが、ここでの学校は社会の縮図とも言えるだろう。本作で描かれる倫理観の欠如、人種的偏見、ヒューマンエラー、子どもの権利、表現の自由問題といった事柄は、ドイツ社会を、いや、私たちの社会を反映したもので、全て身近に感じられることばかりだ。

 

カーラは、最後まで、子どものために信念を貫こうとするが、一度失われた信頼は、カーラがオスカルに貸したルービックキューブのようにコツさえつかめば何度でも元に戻せる世界ではないことを映画は示している。

(文責:西川ちょり)

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