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映画『僕らの世界が交わるまで』あらすじと感想 /ジェシー・アイゼンバーグが初監督作で綴った母と息子のねじれた関係の行方

映画『僕らの世界が交わるまで』は、『ソーシャル・ネットワーク』(2010)、「グランド・イリュージョン」(2013~)シリーズなどで知られる俳優のジェシー・アイゼンバーグ初の長編劇映画監督作品だ。

アイゼンバーグがオーディオブック向けに制作したラジオドラマをもとに自ら脚本を執筆。社会活動に熱心な母と動画配信に夢中のZ世代の息子とのちぐはぐにすれ違う日常を見つめ、親子のジェネレーションギャップや、理想と現実の食い違いなど、対人関係における感情の問題を浮かび上がらせている。

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母を『アリスのままで』(2014)などの名優ジュリアン・ムーアが、息子をドラマシリーズ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」などで知られるフィン・ウォルフハードが演じ、A24が製作&北米配給を手掛けた。  

 

 

映画『僕らの世界が交わるまで』作品情報

(C)2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved.

2022年製作/88分/アメリカ映画/原題:When You Finish Saving the World

監督・脚本:ジェシー・アイゼンバーグ 製作:デイブ・マッカリー、エマ・ストーン、アリ・ハーティング 製作総指揮:ベッキー・グルプカンスキー 撮影:ベンジャミン・ローブ 美術:メレディス・リッピコット  衣装:サラ・ショウ 音楽:エミール・モッセリ

出演:ジュリアン・ムーア、フィン・ウルフハード、アリーシャ・ボー、ジェイ・O・サンダース、ビリー・ブリック、エレオノール・ヘンドリックス、ジャック・ジャスティ  

 

映画『僕らの世界が交わるまで』あらすじ

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DV被害に遭った人々のためのシェルターを運営する母・エヴリンと、ネットのライブ配信に夢中の高校生ジギー。ジギーは自分の音楽を "オルタナティブの影響を受けたクラシック・フォーク・ロック "と呼んでいて、視聴者の「投げ銭」で小遣いを稼いでいる。

 

社会奉仕に身を捧げる母親と、自分のフォロワーのことしか頭にないZ世代の息子は、お互いのことが分かり合えない。

ジギーはライブ配信中に母がドアをノックしたり、名前を呼んだりするのが許せない。なぜ、邪魔ばかりしようとするのだ! 怒った彼はドアの前に「配信中」とわかるように大きな赤いライトを設置する。

 

ジギーは高校の同級生のライラに恋をしている。なんとか彼女と近づきたいと思っているのだが、ライラたちのグループはいつも「政治の話」をしていて、政治に興味のなかったジギーには難しすぎて、話についていけない。

 

政治の話をわかりやすく解説してほしいと母親に頼むジギーだったが、エヴリンに、小さい頃から政治のことも教えてきたけれどあなたは関心を持たなかった、何事も近道はないのよと正論を述べられ、為す術もない。

 

そんな時、エヴリンのシェルターに虐待被害を受けた女性とその息子が保護されてやって来た。エヴリンは母親のことを真剣に思いやる息子のカイルに感心して親切な態度を示すが、エチオピア料理の店に連れ出しご馳走するなど、行き過ぎた行動を取リ始める。

 

一方、ジギーはライラの作った詞に曲をつけて、ライラの関心をひくことに成功するが・・・。  

 

映画『僕らの世界が交わるまで』解説と感想

(C)2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved.

父親の価値観を盲目的に内包し、母に反発心を持つ高校生を演じた『イカとクジラ』(2005)や、「Facebook」の孤高の創設者マーク・ザッカーバーグを演じた『ソーシャル・ネットワーク』(2010)など、ジェシー・アイゼンバーグは、彼独自のナイーブなティストと個性を持つ俳優で知られる。

 

ジェシー・アイゼンバーグ初の長編映画監督作である本作に彼は出演していないけれど、まるで彼が出演しているかのような錯覚を起こしてしまう。本作の主人公である高校生ジギーは、アイゼンバーグがこれまで演じてきたキャラクターの面影を多分に背負ったキャラクターといえ、アイゼンバーグはもっと若ければ自分がこの役をやっただろうと考えていたかもしれない。

 

実際にジギーを演じたフィン・ウルフハードは、人気ドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」シリーズで知られる人気俳優。ある意味プレッシャーのかかる役柄だが、颯爽とこなしているのがなんとも頼もしい。

 

ジギーは自作の音楽の動画配信を毎日のように行っていて、世界中にフォロワーがいる。それが彼の生きがいなのだが、ジュリアン・ムーア扮する母、エヴリンは一向に理解してくれず、ジギーが配信している最中にドアを(わざと)ノックしたり開けたりする。それがジギーはいやでたまらない。

 

ネットの世界ではたくさんのファンがいる彼だが、実生活では人気者とは言えないようだ。好意を抱いている女の子にアプローチするも、彼女は政治に興味のあるちょっとした活動家で、社会性に乏しい彼は彼女たちの話についていくことができない。それでもなんとか彼女に振り向いてほしいと不器用なアプローチを繰り返す。

 

一方、エヴリンは身近な人の暴力に苦しむ女性を救うという使命感に燃えている人物で、その功績により周りの人々から一目置かれているものの、好かれてはいないようだ。映画の序盤、職場のスタッフたちが仲間の誕生祝いをしているところにエヴリンがやってくるエピソードが綴られるが、それだけで、彼女の性格と周囲との関係が理解できてしまう。彼女は自分の理想が強いあまり、周りの人々が何を必要としているのか、何を喜びとしているのかが全く見えないのだ。

 

彼女が自分の息子に失望しているのは明らかで、息子とほぼ同年代の母親思いのカイルに出会った時、”こうなってほしかった理想の息子像“を彼の中に見て、過度な肩入れを始めてしまう。

 

こんな二人が日頃、どれほどぶつかってきたかということは、ジギーの父親でエヴリンの夫であるロジャーがふたりには一切関わらず、一人の王国にいるかのように本を読んでいるという姿から伺うことができるだろう。もちろん、彼がもともと家族に無関心だったという解釈もあるだろうが、おそらく、妻と息子の対立に振り回され、なんとか二人の間に入ってうまくいくよう努力したものの、何を言っても無駄と諦めた結果が彼の今の姿なのだと推察される。

 

本作は88分という昨今の映画にしては短い上映時間だが、それは二人の対立シーンなどを延々と続けるのでなく、ちょっとした言葉のやり取りや、エピソードなどでその関係性や問題点を凝縮させ表現しているゆえだろう。

例えば、エヴリンがどんな種類の車に乗っているかで彼女の人となりを適格に表したり、エヴリンとジギーが登場するたびに全く違う種類の音楽が流れているという具合に。

そんな中からこの母と息子が実は似たもの同士であることが見えてくる。ジギーは好きな女子生徒に知らず知らずのうちに母を見ていて、母は肩入れする少年の向こうに素直だった幼いときの息子を見ているのだ。

ジェシー・アイゼンバーグは深く切実な物語にユーモアも交え、洗練された作品を作り上げた。