デイリー・シネマ

映画&海外ドラマのニュースと良質なレビューをお届けします

映画『火だるま槐多よ』あらすじと感想/夭逝の画家、詩人-村山槐多を全身全霊を込めてスクリーン上で蘇らせる佐藤寿保監督によるアバンギャルド・エンターティンメント

映画『火だるま槐多よ』は、22歳で夭逝した天才画家であり詩人の村山槐多(1896 – 1919)の作品に魅せられ取り憑かれた現代の若者たちが、槐多の作品を彼ら独自の解釈で表現し再生させ、時代の突破を試みるパワフルなアヴァンギャルド・エンタテインメントだ。

youtu.be

ピンク映画出身で「ピンク四天王」の一人に数えられる佐藤寿保が監督を務め、映画『乱歩地獄芋虫』(2005)、『眼球の夢』(2016)でも監督とコンビを組んだ夢野史郎が脚本を担当している。

主人公の槌宮朔役には、『佐々木、イン、マイマイン』(2020)などの遊屋慎太郎、もう一人の主人公、法月薊役には『背中』(2022)で映画初主演を飾った佐藤里穂を抜擢。パフォーマンス集団の元村葉役に工藤景、民矢悠役に涼田麗乃、庭反錠役に八田拳、早川笛役に佐月絵美が集結し、研究施設を脱走した4人を観察する亜納芯役で田中飄、朔を見守る式部鋭役を佐野史郎が演じている。

 

映画『火だるま槐多よ』は、新宿K’s cinemaにて2024年1月12日(金)まで上映。1月6日(土)より第七藝術劇場、1月19日(金)からはアップリンク京都にて関西での公開がスタートする。  

 

映画『火だるま槐多よ』作品情報

(C)2023 Stance Company / Shibuya Production

2023年製作/102分/日本映画

監督:佐藤寿保 脚本:夢野史郎 プロデューサー:坂口一直、小林良二、村岡伸一郎 撮影:御木茂則 照明:高原博紀 録音:丹雄二 美術:齋藤卓、竹内悦子 特殊造形:松井祐一、土肥良成 特殊メイク:松井祐一、土肥良成 衣装:佐倉萌 ヘアメイク:佐々木ゆう VFXスーパーバイザー:立石勝 カラーグレーディング:廣瀬亮一 編集:鵜飼邦彦 音楽:SATOL aka BeatLive、田所大輔 助監督:伊藤一平 題字:赤松陽構造 ドキュメント撮影:諸沢利彦 スチール:諸沢利彦 特別協力:窪島誠一郎 特別美術監修:村松和明 

出演:遊屋慎太郎、佐藤里穂、工藤景元、涼田麗乃、八田拳、佐月絵美、田中飄、佐野史郎  

 

映画『火だるま槐多よ』あらすじ

(C)2023 Stance Company / Shibuya Production

大正時代の画家・村山槐多の「尿(いばり)する裸僧」という絵画に魅入られた法月薊(のりづき・あざみ)が、街頭で道行く人々に「村山槐多を知っていますか?」とインタビューしていると、「私がカイタだ」と答える謎の男に出会う。その男、槌宮朔(つちみや・さく)は、特殊な音域を聴き取る力があり、ある日、過去から村山槐多が語り掛ける声を聴き、度重なる槐多の声に神経を侵食された彼は、自らが槐多だと思いこむようになっていたのだった。

 

朔が加工する音は、朔と同様に特殊な能力を持つ者にしか聴きとれないものだが、それぞれ念写能力、念動力を有する若者4人のパフォーマンス集団がそれに感応。彼らは、その能力ゆえに家族や世間から異分子扱いされ、ある研究施設で”普通”に近づくよう実験台にされていたが、施設を脱走して、街頭でパフォーマンスを繰り広げていた。研究所の職員である亜納芯(あのう・しん)は、彼らの一部始終を観察していた。

 

朔がノイズを発信する改造車を作った廃車工場の男・式部鋭(しきぶ・さとし)は、自分を実験材料にした父親を殺そうとした朔の怒りを閉じ込めるために朔のデスマスクを作っていた。薊は、それは何故か村山槐多に似ていたと知り…  

 

映画『火だるま槐多よ』感想

(C)2023 Stance Company / Shibuya Production

パラボラアンテナを搭載した車でノイズを収集したり、放出したりしている男性、街角に立ち道行く人々に「村山槐多を知っていますか」と声を掛けている女性、歩道の上でダンスパフォーマンスを披露している四人の男女のグループ。さらに彼らを双眼鏡で監視している男。そうした人物が矢継ぎ早に登場したかと思えば、双眼鏡の男を除いた三組は過去に互いに面識があったわけでもないにも関わらずあっという間に合流し、行動を共にし始める。

その疾走感と流れるように前へ前へと突き進んでいく様がすこぶるかっこいい。

 

彼らは「村山槐多」で結びついたのだ。槐多は、大正時代に活躍し、1919年に流行性感冒でわずか22歳で亡くなった天才画家である。詩や小説にも才覚を見せ、その特異なセンスに江戸川乱歩もうらやんだという。

主人公のひとり槌宮朔は過去から村山槐多が語り掛ける声を聞き取り、自身を「カイタ」と名乗っている。その設定からしてもう無茶苦茶なのだが、録音マイクを持ち歩いている槌宮朔の佇まいはまるで未来から来たガンマンのようだし、法月薊の目の輝きは尋常でない力を感じさせるし、パフォーマンス集団の四人組のしなやかな運動性にはうっとりさせられる。朔を演じる遊屋慎太郎、薊役の佐藤里穂、四人のパフォーマーを演じる工藤景元、涼田麗乃、八田拳、佐月絵美等、役者が皆、素晴らしい。

 

洞窟の山中の映画館という実に魅惑的な場所が出現する中、槌宮朔は「村山槐多の映画を撮りたいと思っているがなかなかうまくいかない」と語っている。が、本作こそがまさにその映画なのであり、それも普通なら村山槐多の伝記映画を想像するところを、佐藤寿保監督はまったく違ったアプローチで挑んでいる。槐多の作品ではとりわけ、全裸の僧が鉢に放尿する姿を描いた油絵『尿する裸僧』と怪奇小説『悪魔の舌』に焦点をあて、それぞれの映像化を試みているが、それだけではなく、村山槐多の作品、人物像、その生き方と影響力といった全てをスクリーン上に全身全霊で表現しようとしている。

画家がキャンバスに向かい死に物狂いで作品を仕上げていくように映画もまたありとあらゆる映像表現と役者同士の激しいぶつかり合いの中で、「村山槐多の映画」を創造していく。

槐多はガランスという深い茜色、やや沈んだ赤色を好み、作品に使用したのだが、映画もまた、どんどんガランス色に染まっていくのだ。

 

4人の若者はそれぞれ特殊能力を持っている。彼らは能力を消して「普通の」人間に戻す施設に監禁されていてそこから逃げ出して来たという。出る杭は打たれ、同調圧力が蔓延する日本という国において、「普通」からはみ出た者はひどく生きづらいだろう。しかし、画一化されるな、AGHARTAを目指せ!と映画は叫ぶ。

 

槐多の画集を見ていた四人組のひとり元村葉(工藤景)は「どう?」と法月薊に尋ねられて「いいね!ざわつく!」と答えている。シンプルだがなんと適格で粋な言葉だろう。彼が槐多にざわついたように、観る者はこの映画に終始ざわつきっぱなしだ。混沌としたまさにアングラ、アバンギャルドと表現するにふさわしい作品だが、若々しくて瑞々しい魅力に満ち溢れている。

(文責:西川ちょり)