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【ジョン・カサヴェテス レトロスペク ティブ リプリーズ】映画『こわれゆく女』あらすじ・感想/愛し合っているのに生じる夫婦間のズレを見つめる

「〈特集上映〉ジョン・カサヴェテス レトロスペク ティブ リプリー」が全国順次公開されている。

www.zaziefilms.com

「インディペンデント映画」の父と称され、現代映画に多大な影響を与え続けた映画作家ジョン・カサヴェテス

今回のレトロスペクティヴでは『アメリカの影』(1959)、『フェイシズ』(1968)、『こわれゆく女』(1974)、『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(1976)、『オープニング・ナイト』(1977)、『ラヴ・ストリームス』(1984)の6作品が上映される。今回はその中から、『こわれゆく女』を取り上げたい。

『こわれゆく女』はカサヴェテス、ジーナ・ローランズピーター・フォークの共同出資で制作された。  

 

 

映画『こわれゆく女』作品情報

(C)1974 Faces International Films,Inc.

1975年製作/147分/アメリカ/原題:A Woman Under the Influence

監督・脚本:ジョン・カサヴェテス 撮影:キャレブ・デシャネル、ミッチ・ブレイト、マイケル・フェリス 編集:トム・コーンウェル 美術:フェドン・パパマイケル 

音楽:ボー・ハーウッド

出演:ジーナ・ローランズピーター・フォーク、マシュー・カッセル、マシュー・ラポート、キャサリン・カサベテス、レディ・ローランズ

 

映画『こわれゆく女』あらすじ&感想

(C)1974 Faces International Films,Inc.

オペラの響く中、川につかって作業している男たち。その中にピーター・フォークがいる。男たちは、車に乗って、固定されているカメラの前に来て止る。簡易食堂のようなところ。男たちは食事をとっている。そこに電話がかかってきて、ピーター・フォークが威勢よくしゃべっている。周りの男たちの不安そうな顔。「妻との約束があるんだ。俺たちはいかないぞ」とまくしたてて電話を切る。男たちは拍手している。何か、新しい仕事の呼び出しがあったようだ。


一方で、妻のジーナ・ローランズの方はといえば、自身の母親に3人の小さな子どもたちを預けているところである。ありったけのおもちゃを車に詰め込んで大騒ぎの末、車は出て行く。ジーナ・ローランズは見送ったあと、「行かせなきゃよかった」とつぶやきながら走って家にはいるが、はいったところの部屋の電灯はつけられない。

部屋で夫の帰りを待つ妻。今日は一日、ふたりきりで過ごす約束をしていたのだ。その一方で、作業員たちがトラックに乗って現場に戻って来たシーンへと続く。結局断り切れなかったピーター・フォークは恐る恐る妻に電話する。すると意外と妻は聞き分けがいい。彼はほっとした様子だ。

ジーナ・ローランズは夜の街に出て酒場に入るとカウンターに座る。煙草をふかし、鼻歌。「チアーズ」と酒を飲み干し、隣の男に歌いかける。男は女を抱きかかえて家に入り、その時、初めて玄関先の部屋に光がつく。男が抱えるようにダンスして階段脇に倒れる。抵抗するジーナ・ローランズ。翌朝、彼女は白いベッドに寝ている。男が服を着て部屋の中をうろうろしていると彼女は彼を夫だと思って大声で名前を呼ぶ。

そのすったもんだのあと、徹夜明けで帰ってきたピーター・フォーク。仲間を連れてきている。妻をほったらかしにしてしまったのを誤魔化すためというのも幾分あるのだろう。ここの家の構造はなかなか複雑で、玄関先の部屋の隣にベッドのある部屋があって、そこは敷戸で閉じられている。ここをイチイチあけしめするシーンが何度も何度も出てくるのだが、この家は実際のカサベテス邸なのだそうだ。

良妻を演じようと努め、スパゲッティーの朝食を提案するジーナ・ローランズ。騒がしい男たちと陽気な朝のテーブルにつく。オペラを歌いだすニックの同僚。力強い歌声に引きつけられ席を立つジーナ・ローランズは、その美しい声の出所を確認するように背後からその男の口を覗き込む。客人に緊張して「普通」を保とうとしていた心が解き放たれ、メイベルの微妙に度を過ぎた行動が頭をもたげる。

それまで輝いていた朝の光にさっと陰がさすように不穏な空気がながれ、ピーター・フォークの罵声が飛ぶ。彼の逆鱗にふれてしまったメイベルは、客人をもてなそうとしているのにと傷つき怒る。  

 

ふたりとも善人で互いを思いやっているのにも拘らず、生まれてくるズレ。物語が進むに連れ、ピーター・フォークが癇癪を起こす回数が増えてくる。

ジーナ・ローランズは、子どもを学校に迎えに行き、道行く人に時間を聞く際、奇行にしかとれない態度をとったり、遊びに来た子の父親を無理やり引き止めて帰らせない様子など、明らかに一線を越えており、その中で、夫は我慢強く妻に接しているのだが、つい我慢仕切れず感情を爆発させ、それが妻をさらに塞がせる要因の1つになっているのは見ていて明らかだ。

愛し合っているのに咬み合わない、それどころかどんどんとずれていく夫婦の様子が丹念に描かれ、見ていて身につまされる思いだ。

 

結局、ジーナ・ローランズは施設に入れられ、数ヶ月後に退院してくる。その時も、ピーター・フォークは大勢の人に声をかけ、パーティーを開こうとしており、ここにも彼の臆病な面が現れている。

彼の母親の説得で、大半の客は返され、親しい親族だけが残る。妻は帰ってくるが、回復しているようには見えない。夫の言葉は正しいのだが、それがまた彼女を混乱させてしまう。とにかく子どもたちを部屋に入れて遠ざけようとするピーター・フォーク。しかし、そのたびに子どもたちは、彼の手からすり抜け、ベッドから抜け出し、階段を降り、母親のもとへ何度も向かう。ぐるぐる、ぐるぐると円を描くように、子供たちは、母親へと飛びついていく。このシーンが本当に素晴らしい。そう、何度もやり直せばいい、何度だってやり直せばいい、まさにそのようなことを言っているかのように、子どもたちは母親のもとへと走るのである。

他に印象に残ったシーンといえばはやはり子どもがらみのシーンだ。ジーナ・ローランズの入院中にピーター・フォークが、子どもたちを仕事仲間の一人と一緒に海に連れて行くシーンだ。皆でトラックの後ろに乗り、帰っていくシーンが心に残っている。子どもたちの無垢さが救いだ。

(文責:西川ちょり)

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