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映画『ほつれる』あらすじと感想/繋がってもすぐにほつれる人間関係をソリッドに描いた加藤拓也の二作目の長編映画

ドードーが落下する』で第67回岸田國士戯曲賞に輝いたのを始め、演劇やテレビ脚本でいくつもの受賞歴を誇る劇団た組主宰、わをん企画代表、加藤拓也の二作目の長編映画監督作品『ほつれる』

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夫と冷え切った関係にある綿子は、友人の紹介で知り合った編集者の木村と頻繁に会っていた。2人でキャンプに行った帰り道、木村は綿子の目の前で事故に遭い、帰らぬ人となる。木村の死をきっかけに、綿子の日常が静かに崩れ始める。

 

主人公の綿子を『あのこは貴族』(2021)の門脇麦、綿子の夫、文則を『猫と塩、または砂糖』(2020)の田村健太郎、綿子の親友である英梨を『せかいのおきく』(2023)の黒木華、綿子の運命を大きく揺るがす木村を『きみの鳥はうたえる』(2018)の染谷将太がそれぞれ演じている。  

 

映画『ほつれる』作品情報

(C)2023「ほつれる」製作委員会&COMME DES CINEMAS

2023年製作/84分/日本、フランス/カラー/1:1.37/DCP/5.1ch

監督・脚本:加藤拓也 エグゼクティブプロデューサー:松岡雄浩、定井勇二 チーフプロデューサー:服部保彦 プロデューサー:松岡達矢、宮崎慎也、澤田正道 撮影:中島唱太 照明:高井大樹 録音:加藤大和、加唐学 美術:宮守由衣 装飾:前屋敷恵介 スタイリスト:高木阿友子 ヘアメイク:近藤美香 編集:日下部元孝、シルビー・ラジェ 音楽:石橋英子 助監督:鹿川裕史 製作担当:奥田順一

出演:門脇麦、田村健太郎染谷将太黒木華古舘寛治安藤聖佐藤ケイ金子岳憲秋元龍太朗、安川まり(声の出演)

 

映画『ほつれる』あらすじ

(C)2023「ほつれる」製作委員会&COMME DES CINEMAS

綿子と夫・文則の関係は冷めきっていた。綿子は友人の英梨の紹介で知り合った編集者の木村と頻繁に会うようになっていた。

その日も、綿子は、目覚めたばかりの文則と事務的な会話を交わしたあと外出し、木村と合流。ふたりでキャンプに出かけ、木村から誕生日のプレゼントにペアリングをプレゼントされる。

 

翌朝、地元に戻ったふたりは食事をしたあと、木曜日に又会おうと約束を交わし別れた。直後に夫から電話がかかって来る。何か話があるらしい。その時、激しい急ブレーキの音が響き、振り向いた綿子の眼に飛び込んできたのは、車道に投げ出されて動かない木村の姿だった。

 

あわてて119番に電話する綿子だったが、途中で電話を切ってしまい、後ずさりしながらその場を去ってしまう。

 

家に帰ると待っていた夫が話をしたそうだったが、綿子は疲れたからあとにしてほしいと自室に入る。

 

翌朝、夫はもう出勤していた。木村の番号に電話をすると出たのは彼の妻らしき女性だった。綿子は何も言わず切ってしまう。

部屋を片付けたあと、綿子はスーパーに買い物に出かけた。英梨から電話がかかってきて、木村の葬儀の報せが届いたが見たか?と問われる。葬儀に行くかどうかは当日決めることにして綿子は電話を切った。

 

その晩、夫が今日は話が出来るかと尋ねて来た。彼は新しい部屋を買おうと思っていると言う。このままの状態が続くのはお互いよくない、今がやり直すチャンスだ、新しい家に移ったら母には鍵を渡さないと言う。

 

彼は再婚で、今でも元妻が仕事で忙しい時、彼や、彼の母が子どもの面倒を見ることが度々あった。義母は元妻との子を連れて、頻繁にこの家にやって来るのだ。

 

別の日。綿子は英梨と落ちあい、山梨に行きたいと告げる。葬式に出なかったからせめて墓参りがしたいという綿子の言葉を素直に受け止めた英梨は車を走らせる。無事、墓参りを終えることが出来た綿子だったが・・・。  

 

映画『ほつれる』感想

(C)2023「ほつれる」製作委員会&COMME DES CINEMAS

(ラストに言及しています。ご注意ください)

朝、目覚めたばかりの夫と事務的な会話をしたあと、そのままドアの向こうに消え、継いで電車で先に乗り込んでいた恋人・木村の横にすっと収まる綿子。カメラが彼らの座席に静かに着実に近づいていく。

グランピング施設の中、綿子はキャンプの備品のようなものを抱えて、かなりの距離を歩く。木村はハンモックに寝そべりながら、綿子に声をかけているが、綿子は荷物を置くのに、また彼から少し離れたところにいかなくてはならない。カメラは一連の動きを引きの長回し(途中カットを割っているが)で撮っている。

前者の効率の良さと後者の不思議な距離感という対照的な捉え方が、ふたりの関係性を仄かに暗示しているかのようだ。

その後、木村が事故に遭うシーンでも、急ブレーキの音に驚いて振り向いた綿子の眼に映る木村は遠く離れたところで動かず横たわっている。綿子は近づきながら、119番に電話するが、途中で切り、背中を見せてその場を立ち去ろうと歩き出す。カメラは背中に貼りつくようにして彼女のあとを追い、彼女の息遣いを拾う

 

緻密に練られたカメラワークと共に、冒頭から気づかされるのは、綿子と文則の間では「挨拶」が交わされないということだ。木村との旅行に行く際も「おはよう」、「行ってきます」、「行ってらっしゃい」の会話がないし、「ただいま」「お帰り」もない。以降も挨拶らしい挨拶は交わされない。

「あまり眠れなかった?」「旅行はどうだった?」という会話がなかったとしても、とりあえず、挨拶くらいはするものだろうと考えるのはただの思い込みだろうか。このことから夫婦の間にもう決定的な距離感が出来てしまっていることが伺える。

 

文則という人物は、声を荒げたり、暴力をふるうという粗野な夫ではない。綿子が専業主婦をしていることからも、稼ぎのいいエリート社員なのだろう。妻に対してもなるべく理性的に、穏やかなトーンで、話し合い、歩み寄ろうとする人物だ。

 

しかし、どこか理詰めで、機械的な印象がある。話し合いをすれば万事解決すると考えていて、説明不可能な複雑で微妙な心理などには関心がない。この合理的な冷たさは、加藤拓也監督の前作『わたし達はおとな』の木竜麻生扮するヒロインが、気分が悪くなって友人に連絡した際、わざわざ駆け付けてくれたものの、彼女を親身に介抱するわけでもなければ、彼女の嘔吐物の始末の手伝いもせず黙ってティッシュを渡すだけの友人(菅野莉央)を思い出させる。

わざわざ来てくれるだけ誠意があるといえるのだが、どこか人情味がない。そんな人間を描くのが加藤監督は実にうまい。

 

加藤拓也作品では、恋愛も結婚も、キラキラした輝きや、胸のときめきなどは幻想にすぎないとばかり、冷たさと一種の緊張感のようなもので包まれている。

文則と綿子の関係も最初は不倫で始まったらしく、「不倫の時だけが楽しい」という言葉が綿子の口から洩れる。それは「結婚した人は皆、一人の人としかセックスできないじゃないですか」という木村の妻の言葉と対局をなしているようで実は表裏一体である。  

 

恋愛することも結婚することも誰もが当たり前のように信じているけれど、他人同士が繋がることはそう容易いものではないはずなのだ。繋がってもすぐほつれる、そんな関係を映画はリアルに鮮烈に浮き彫りにしてみせる。

 

 

全体に室内シーンは薄暗い印象だが、最後の室内シーンだけは少しばかり温かみのある光を感じさせる。車が走っていく中、自然音が消えて石橋英子の音楽だけが流れ始める。やがてそれも途絶え、無音のエンドロールがやってくる。実にソリッドで痺れるエンディングだ。

(文責:西川ちょり)

 

 

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