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宮崎大祐監督インタビュー/映画『PLASTIC』/「PLASTIC」な景色の中で生きる若い人々への想いを青春音楽映画に込める

大和(カリフォルニア)』(2016)、『TOURISM』(2017)、『VIDEOPHOBIA』(2019)などの作品が国内外で高く評価され、『#ミトヤマネ』の公開も控える宮崎大祐監督が幻のアーティスト「エクスネ・ケディ」をモチーフにして撮った映画『PLASTIC』

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エクスネ・ケディの大ファンである高校生の男女が、2018年に偶然名古屋で出会い、恋に落ちた瞬間から、4年後に東京で行なわれるエクスネ・ケディ再結成ライブ当日に至るまでの感情の流れを音楽と共に描いた作品だ。

『石がある』(2022)で主演を務めた小川あんがイブキ、主演作『LONESOME VACATION』(2023)の公開が控える藤江琢磨がジュンを演じ、小泉今日子鈴木慶一とよた真帆尾野真千子ら個性あふれる俳優が脇を固めている。

また、「エクスネ・ケディ」こと井手健介が本作のために結成した「PLASTIC KEDY BAND」が音楽を担当している。

映画『PLASTIC』は、2023年7月14日(金)より名古屋・伏見ミリオン座にて先行公開され、7月21日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、アップリンク京都ほかにて全国順次公開される。7月23日(日)にはシネ・リーブル梅田、アップリンク京都にて宮崎大祐監督の舞台挨拶が予定されている。

 

(C)デイリー・シネマ

このたび、公開を記念して宮崎大祐監督にインタビューを敢行。作品が生まれた経緯や、作品に込められた思いなど、様々なお話を伺った。  

 

輝かしさの中に深い影が差す青春時代を描く

(C)2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──「エクスネ・ケディ」を主題にした映画を撮られることになった経緯について教えていただけますか。

 

宮崎大祐監督(以下、宮崎):井手健介と母船による『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists』というアルバムが3年前に出まして、その年のベストにもあげたほどよく聴いていました。

そんな時にちょうど「エクスネ・ケディをテーマにして映画を撮りませんか」というお話をいただきまして。毎回、映画を撮るときは、面白いミュージシャンと一緒にやりたいと思っていましたし、ここ、2、3年はエクスネ・ケディばかり聴いていたので願ったり、叶ったりという感じでお引き受けしました。

 

──高校生を主人公にした青春映画にされたのはどうしてですか。

 

宮崎:エクスネ・ケディも、グラムロックも、宇宙とかキラキラした派手なものと同時に影を描いている。僕にとって十代後半とか青春というのは、輝かしい時代だけど同時に深い影が差しているというものだったので、自然と設定的には高校生くらいの時期の話だろうなと感じていました。もともと「ハイスクールもの」をやってみたいと思っていたことも大きいですね。  

 

意識した映画は『ベイビー・イッツ・ユー』

(C)2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──宮崎監督の作品は音楽が非常に重要な役割を果たしていて、音楽と一体化した映画というイメージがあります。これまで、ヒップホップとかクラブミュージックなどの印象が強かったのですが、今回はロックということで「宮崎監督初のロック映画」と言われていますね。

 

宮崎:よくそう言われるんですけど、僕が初めて意識的に音楽を聴き始めたのは10歳くらいのときで、12、3歳で70年代のロックを聴いたり、伝説的なバンドの音楽なども聴いていたので、やはりロックありきなんですね。そこからいろんなジャンルに枝分かれしていったという感じで。だからずっとロック映画はやりたかったんですが、ただ、ロックを扱った映画ってあまりにも多いし、いろんな人がやっているので、これまでうまくタイミングが合わなくて実現していなかったんですけど、今回はいいタイミングで臨むことができました。愛嬌のあるロックの方向性というよりは、すごく自意識の強い、マニアックな音楽をやっている子たちのイメージで作品を作っていきました。

 

──制作するにあたって意識された作品はありますか?

 

宮崎ジョン・セイルズの『ベイビー・イッツ・ユー』(1983)ですね。僕はジョン・セイルズがすごく好きで、ずっとインディペンデントで活動していていろんなジャンルの作品を撮っている監督なんですけど全部クオリティが高くて、その中でも『ベイビー・イッツ・ユー』には生涯ベスト10にはいるくらいインパクトを受けました。『ベイビー・イッツ・ユー』にエクスネの音楽を混ぜて作ってみたらどういう感じになるかなという思いがありました。  

 

音楽を映像に乗せて行く行程

(C)2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──劇中、エクスネ・ケディのナンバーをはじめ、非常にメロウなインストルメンタルも流れますね。

 

宮崎:映画のために結成されたPLASTIC KEDY BANDの方々が、オリジナルスコアを書き足してくださいました。作曲されたのが、井手健介さん、石原洋さん、中村宗一郎さんという方々で知る人ぞ知るメンバーです。ひとりあげるなら石原洋さんは日本のサイケデリックロックの大御所でゆらゆら帝国の音楽プロデューサーでも知られている方で、そんな方々が、映画を観た上でみんなで話し合って曲を乗せてくださるという幸福な体験をしました。

最後の音楽はいい意味で揉めたんです。ジュンが朝起きて、東京に行くと決めてUターンして向かうシーンなんですけど、Uターンのところでドラムが入るべきだと井出さんはおっしゃって、石原さんはドラムなんて入らなくてもいいと言われて、そもそも僕は歌詞のある聞きやすい曲を乗せていたんですが、それはまず違うという話になって、激論が交わされて。あのUターンをどう思っているかがキーワードだっていう話になって。

──そういうふうにして音楽って映像に乗せられていくんですね。

宮崎:今回はいろんな段階でそれがあって、例えば部室でジュンがギターをやさぐれて弾いているところでも、どのミュージシャンっぽくするかでスタジオで議論があって、サウンドデザインの方は映画の音としてはこれかなと提案してくれて、音楽家としてはこれかなという拘りがあり、監督としてはこうしたいというのがあって、結構話し合いました。最終的にはこれならいいんじゃないという言語化できない感覚的な妥協点が毎回あって、そこに落ち着くという感じでした。

画は今回もリスボンで仕上げて、音はみなさんと共にポジティブな意見を出し合いながらいろいろと実験的なことがやれたので劇場で観ると迫力が全然違って体感型の映画として観ていただけると思います。  

 

宇宙的なマクロの視点と身近な取るに足りないものへの眼差し

(C)2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──具体的に作品についてお聞きしていきたいのですが、本作ではまず「1974年」という年が、エクスネ・ケディが消息を立った年として、またアレシボのメッセージの年として、印象付けられます。また、主人公のジュン(藤江琢磨)とイブキ(小川あん)のことが描かれているのは2018年から2022年までで、それに加えてアレシボのメッセージの2万5000光年の往復という時間も意識させられます。青春映画って一般的に短い期間の狭い空間が世界のすべてといった作品が多いように思うのですが、本作には壮大な時間が流れていて驚かされました。

 

宮崎:子供の頃から宇宙的なものにすごく興味があって、自分が認識しているこの世界とか教科書に書かれたものやニュースなどで報じられるもの以外にも世界があるとずっと思っていました。時間の感覚もそうだし、地球という星の我々が想像すらできず、人類が決して発見できないものが常にどこかに存在していると考えていました。最近はコロナのこともあって、宇宙や人類史レベルで今、何が起きているのかというめちゃくちゃマクロな視点と、だからこそ家族を大切にしようとか、今日出会う友達と会話を大切にしようというその対比が自分の中にできていて、それを映画で表現するとこういう形になっていきました。

ワクワクするような遠い未来や、遠い空間が存在する一方で、身近な人々との特に意識すらしない時間、どうでもいい会話がある。でもそれらは多分同じくらい価値があって、どちらも素晴らしい。僕はこの世界が本質的にはプラマイゼロの摂理が崩壊した上には完全にバランスが崩れて存在しているとずっと思っているんですけど、余剰として存在しているものも全てが実はめちゃくちゃ貴重なんじゃないか、と思う瞬間があって、それを映画にしようと思いました。  

 

等しくなってしまったが故に感じる閉塞感を描く

(C)2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──イブキの父親が、「イブキたちの時代はどこで生まれようとも自分の好きなところで好きなことが出来るんだよ」といった発言をしていますが、この台詞にはどんな意味が込められているのでしょうか。

 

宮崎:名古屋や、東京、パリ、ニューヨークといった都市の中心部が今、どんどん同じような景色になって来ていて、一方、地方に行くとそこはもう滅びていて、ただ朽ち果てるのを待っているだけのような風景が展開している。国家を超えたネットとかグローバリズムの中でどこにでも行けるんだけど、お金がない人は行けない。階級などがなくなってみんなが好きなように生きられる時代になったけどそれでも動けない私って何なんだろう、クラス全員同じ制服を着ていて同じ髪型だけどみんなと比べて私は何か違うしみんなより劣っている、というような部分が前に出てきてしまう時代になっていると思っていて。等しいからこそ、等しくないことを意識してしまう。だからその苦しみこそを映画全体に散りばめたかったんですね。お父さんの言うように「どこへでも行ける」んだけど行く勇気のない人もいるし、行ける人はイブキみたいに恵まれているからかもしれないし、行ったところで東京は名古屋と変わりなかった。そんな等しくなってしまったがゆえの閉塞感を描きたいという気持ちがありました。

 

──宮崎監督の2017年の作品『TOURISM』は、この街は好きだけど一度は別のところにも行ってみたいと言っていた神奈川県大和市に住む女性が、偶然シンガポールに行く機会を経て、人生が変わるという物語でした。

 

宮崎:彼女たちはくじ引きに当たってシンガポールへ行くわけですけどくじ引きにも当たらない人もいる。また、『TOURISM』にはちょっと歴史を感じる想像もできなかった世界がありましたが、今はどんどん削られてしまっている。あの頃は「食べログ」にもGoogleマップにも載っていないお店もありましたが、今は全部Goolgeマップに掲載されている。そんな世界で若い子たちはどう生きていくのだろうという思いがあります。  

 

──『PLASTIC』というタイトルについてお聞かせいただけますか

宮崎:先ほど、お話したように、都市というものがどこでも同じようになっていて、全部プラスティックで作られているような街になっている。平成ってすごくプラステイック的なものが多く作られたじゃないですか。そういうところに埃がかぶっていて、消してしまいたいんだけど消せないという景色が広がっている。

また、この映画にとってデヴィッド・ボウイはすごく大きな、核になる存在なのですが、彼は自分の音楽を自らまがい物のソウル、ニセモノのソウルとして「プラスティック・ソウル」と称しているんですね。まがい物の景色の中で、オリジナルにはもうなれなくて、ニセモノとして生まれて来た子たちがどうやって生きていくのかという映画のイメージがありました。あと、「PLASTIC」って形容詞で言うと「可塑性がある」、「安定しない」、「どうとでもなる」という意味がある。「青春」とか「人間」ってそういうもので、決意が定まらないうちにただなんとなくそうなってしまった人たちにすごくシンパシーを感じるところがあって、寧ろ、こうだと定めない、どうとでもなるという方が面白い状態なのではないかと僕は思っていて。そうした理由でタイトルを「PLASTIC」にしました。

誰の声なのか、誰の視点なのか

(C)2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──ラストシーンでナレーションに子どもの声が使われています。『TOURISM』も子どもの声のナレーションでしたが、特別なこだわりがあるのでしょうか。

 

宮崎:映画の人称って普通に起きていることを三人称で描くか、こんなことがありましたとナレーションで語るかの二通りしか基本的になくて、でも可能性はいくらでもある。単純に下手で人称がメチャクチャになっているということではなく、きちんと狙った上でこの視点、語り手は誰なんだという面白味を追求して、「なんじゃこれは!」というシーンを作りたいなというのでやり始めたんです。今回の声は、もしかしたら映画館にいる子どもの声なのかもしれないし、「TOURISM」のように未来の子どもの声なのかもしれない。プラネタリウムのシーンの声も同じ子どもの声なんですけど、実はこの映画自体が、「今から1000年前に地球で疫病が大流行して、その頃の人間はこんな感じでした」って未来のプラネタリウムで映写している映像なのかもしれない。いろんな時代とか空間とか可能性をまたいで行くような、ぱーっと広がっていくイメージが最後にあったのでああいう形にしました。  

 

──ラストシーンは勿論、ラストに向けての一連の映像も非常に印象的です。

 

宮崎:コロナ禍になった頃からひとり、ひとりが小箱の中で生活しているような体感がすごくあって。外に実際人間はいるのだろうかとか、電話の向こうに本当に相手はいるんだろうかと不安の小箱にみんな入っているような感じがあって。『VIDEOPHOBIA』でもカメラのフレーム感や位置で「断絶されている、何が本当かわからない」ということをやっていましたけど、その流れで本作のフレームサイズも後半にかけて孤独感が浮き立つようなサイズにどんどん変えていきました。世界中に無限にある小箱にそれぞれの人間が閉じ込められているように後半なっていって、かつ時間軸や、位置関係もバラバラになるような狙いを持って作りました。

観る人によっては明るい映画だ、感動して泣けましたと言って下さる方も結構いて、それがすごく意外でした。いろいろ考えましたという反応は予想していたんですが、感動して、泣いたという評判が多いのは自分の映画の中では初めての体験でちょっと驚きました。その一方で暗くなって落ち込んだという人も一部いらっしゃって。この受け取り方の違いはなんだろうと。

ラストシーンも会えるという人と、会えないという人に完全に分かれるんです。会えるのか、会えないのか、議論が巻き起こればいいなと思っています。

(インタビュー/西川ちょり)

 

 

宮崎大祐監督プロフィール

1980年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、映画美学校を経て、フリーの助監督として商業映画の現場に参加しはじめる。2011年に初の長編作品『夜が終わる場所』を監督。南米最大であるサンパウロ国際映画祭やモントリオール・ヌーボーシネマ国際映画祭に出品され、トロント新世代映画祭では特別賞を受賞する。2013年にはイギリスのレインダンス国際映画祭が選定する「今注目すべき七人の日本人インディペンデント映画監督」のうちの一人に選ばれた。その年に参加したアジア四ヶ国によるオムニバス映画『5TO9』は、中華圏のアカデミー賞こと台北金馬国際影展など多数の国際映画祭に出品され、2018年夏より全国公開。長編第二作『大和(カリフォルニア)』はタリン・ブラックナイト映画祭を始め幾つもの国際映画祭で上映され、The New York TimesやVARIETY、Hollywood Reporterなどの海外有力メディアでも絶賛された。2019年にシンガポール国際映画祭とシンガポール・アートサイエンスミュージアムの共同製作である『TOURISM』を全国公開し、反響を呼ぶ。大阪を舞台にしたデジタル・スリラー『VIDEOPHOBIA』は映画芸術の年間ベスト6位に選ばれた。オムニバス映画『MADE IN YAMATO』(2021)では監督・プロデューサーを務め、短編映画も多数制作している。また、最新作『#ミトヤマネ』が2023年8月25日(金)より全国のTOHOシネマズの劇場他にて公開される。

 

映画『PLASTIC』作品情報

https://plastic-movie.jp/index.html

2023年製作/105分/PG12/日本映画

監督・脚本:宮崎大祐 プロデューサー:仙道武則、樋口泰人 撮影:中島美緒 照明;加藤大輝 音響:黄永昌 美術:林チナ スタイリスト:小宮山芽以 ヘアメイク:菅谷征起 編集:平田竜馬 音楽:PLASTIC KEDY BAND 助監督:岩崎敢志

出演:小川あん、藤江琢磨、中原ナナ、辻野花、佃典彦、奏衛、はましゃか、佐々木詩音、芦那すみれ 井出健介 伊部幸太、北山ゆう子、羽賀和貴、大木ボリス 平野菜月、尾野真千子とよた真帆鈴木慶一小泉今日子  

 

映画『PLASTIC』あらすじ

2018年の夏の終わり。東京から名古屋に引っ越してきたジュンは、ミュージシャンになることを夢見ていた。ギターを抱えて街に飛び出したジュンは、憧れている幻のミュージシャン、エクスネ・ケディの曲を弾き始める。ちょうどその頃、地元の高校生、イブキは大好きなエクスネ・ケディの曲をイヤフォンで聴きながら自転車をこいでいた。そこに聞こえてきた、もうひとつのエクスネ・ケディ。運命的な出会いをした2人はエクスネ・ケディの話で意気投合。ある夜、2人は初めてキスをし、恋に落ちる。

それから1年。夢を追い続けるために高校を中退したジュンと、東京の大学に進学することに決めたイブキの間には距離が生まれ、やがて2人の恋に終始符が打たれた。

コロナ禍を経た2022年。エクスネ・ケディが再結成ライヴすることを知って、ジュンとイブキの心は高鳴った。果たしてエクスネ・ケディは再び2人を出会わせることができるのか——。

映画『PLASTIC』公式HP:

https://plastic-movie.jp/index.html